11月2日、日曜日の昼、Curzon Sohoで見ました。 東京国際映画祭でも上映されていたやつ。
日曜の11:00始まりで、この時間帯の上映はがらがらであることが多いのだが結構入っていて、今になっても配給もしているCurzonでの上映館数は増え続けている - 多くの人に見られているということで、これはよいこと。
パレスチナ–UK–フランス–デンマークーカタールーサウジーヨルダンの共同制作で、UKはBBCとBFIがお金を出している。このふたつがお金を出している映画にはイギリス人に見てもらいたいものがある、というのが多い。当時のイギリスの曖昧な態度が今のガザの元凶としてある、というのを明確に描いていて、これはイギリス人でなくても見るべき。
作・監督はパレスチナのAnnemarie Jacir。
1936年に始まったアラブ反植民地蜂起を描いているが、冒頭には「あなたが生まれた年」と表示される。あなたがどの年に生まれていようが、1917年にイギリス軍がパレスチナに入り、同年のバルフォア宣言でパレスチナにおけるユダヤ人国家樹立を目指すシオニスト運動への支持を表明してからずーっとこの状態のままできているのだ、と。
いろんな人が出てくる - 政治家の曖昧な態度が人々の生活を動かしたり脅かしていく、それに抵抗して立ちあがる人々が出てくる、そういうドラマだが、難しいものではない、かといって単純なヒーローが現れて民衆が蜂起する、みたいなものでもない。パレスチナはイギリスの植民地としてあり、ついこの間、イギリスはパレスチナを国家として承認した。それまでの間、イギリスはイスラエルが入植して、そこに代々暮らしていたパレスチナ人の土地や仕事や命を奪うのを100年に渡って容認してきた、という異常な、狂った背景がまずある。
イギリスの一番上は高等弁務官のArthur Wauchope(Jeremy Irons)で、なにもしない彼の周辺にはよいイギリス人もいれば悪いイギリス人もいて、特に英国軍の大尉Orde Wingate (Robert Aramayo)は残忍で容赦ないのだが、上がなにもしないし、はっきり言わないので現地に暮らすパレスチナ人は虐待され、追い詰められていく。「なぜ?」に対する明確な答えがない状態、平気でダブルスタンダードをかざす言い逃ればかりで、結果的にパレスチナの住民はされるがままに弾圧され、土地は接収されてユダヤの国ができあがっていく。
この状態をおかしいと思ったジャーナリストのKholoud (Yasmine Al Massri)は、いろいろ書き始めるが、夫のAmir (Dhafer L’Abidine)はシオニスト団体から裏でお金を受けとっていることを知ったり。
パレスチナ側でフロントにくるのはKholoudのところに出入りしていたYusuf (Karim Daoud Anaya)で、彼も最初は穏やかに見ているものの、家族も含めて犠牲があまりに広がっていくし、黙っていれば拘束される、抵抗すればあっさり殺される、のどちらかのなか立ちあがるしかない、という瀬戸際の選択がいろいろな場面で起こるのだが、映画はどちらかというと居場所と家族を次々と失っていく女性や子供たちの姿を際立たせている。堪忍袋で勇ましく立ちあがる男たちの姿ではなく、立ち尽くすしかない彼女たちの姿を – ここははっきりと今と繋がって、お先真っ暗になるというより、なんとかしてあげられないか、になって、だから今見るべきだし、見たら焦点がはっきりと定まる、そういう映画だと思った。
あと、イギリス人のものすごく礼儀正しいし、ちゃんと返答してくれるけど、相手を下と見ると譲らないところは頑として譲らないでのらくらを続ける、あのいやらしい態度のことを思ったりした。
11.11.2025
[film] Palestine 36 (2025)
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