4月10日、木曜日の夕方、シネマヴェーラの成瀬特集で見ました。
日々のリハビリというかエクササイズで通っているのだが、まだボディに塞がってくれない穴があるし痛いし、でもずっとごろごろしているのもよくないと思うし、なんか難しいことだ。
まずカラーだったのでびっくりした。成瀬作品として初のTOHO Scopeによるカラー作品。原作は農村に関する小説や著作を遺した和田傳、脚本は橋本忍、同時上映は『おトラさんの公休日』 - なんかおもしろそう。 成瀬作品のタイトルとしては、『稲妻』 (1952)、『浮雲』 (1955)、『驟雨』 (1956)、『乱れ雲』 (1967)などに並ぶ気象シリーズ(全体に影響を及ぼすどうすることもできない現象に近い何か、及びその予兆?)としてよいのか。
戦後、農地改革後の神奈川の方の農村で八重(淡島千景)が新聞記者大川(木村功)のインタビューを受けているのが冒頭で、これからの農家や家、女性/嫁のありかたについて、自分の言葉で澱みなく語り、その様子に感銘を受けた大川と八重はちょっといいかんじになり、その後はひたすら地面に向かっていく農作業も含めたどろどろの、綺麗ゴトもくそもない実情が並べられていく。
八重の夫は戦争で亡くなっていて一人息子を育てつつ姑ヒデ(飯田蝶子)の面倒を見ていて、本家の方では八重の兄・和助(中村鴈治郎)の長男、初治(小林桂樹)の縁談が立ちあがり、その嫁候補として名の挙がったみち子(司葉子)に会いに大川とふたりでその農村に赴いたらなんかよいかんじになって一晩を共にしてしまい、みち子の継母、とよ(杉村春子)は和助に追い出された最初の妻だったことがわかり、どんな勝手な酷い目にあわされたのかがわかるのだが、この家に嫁がせるんだーとか、この辺、少し複雑でこんがらがっててくらくらする。(外国の人からしたら??になるよ)
他には分家の娘の高校生浜子(水野久美)が大学に行きたいと言ったら、婿貰うしかないお前が大学に行ってどうする? って和助に一喝却下されて、でも彼女は駅前に部屋を借りて出て行った本家次男で銀行勤めの信次(太刀川洋一)と仲良くなって妊娠したり、和助が初治とみち子の式の費用をどうにかしたい、けど田んぼは売りたくない、でフリーズしたりとか。本家ファースト、家中心で問答無用の和助のこれまでのやり方と、それが経済的にも成り立たなくなったから家を出て独立するよ、の子供勢の間で建前と恥と本音が炸裂して誰にとってもどうにもならない状態になっていく。
ここに出てくる全員がそれぞれのバージョンで不幸になる予兆しか見えなくて、描かれる恋模様だって親たちが決めた初治とみち子のあれに(無邪気で幸せそうだけど)恋はないし、八重と大川のも浜子と信次のも許されない系のでどんよりしている。のだが、そんな彼らが部屋の暗がりでよりそう絵のなんと艶かしく美しいことか。
これが近代化がもたらした災厄なのだ、っていうのは簡単だけどその根は代々意識の隅々にまで浸透しちゃっている(とみんな思い込んでいる)し、いまの夫婦別姓に反対しているのもこの勢力だし、いまの地方の過疎化だって制度・政策的なもの以上にイエの延長としてのムラ意識の充溢だと思うし、鴈治郎が黙れば済む話ではないの。
なんか全体としてはチェーホフのやりきれないかんじに溢れていたような。
それにしても中村鴈治郎 (2代目)、すごいよね。『浮草』 (1959)でも『小早川家の秋』 (1961)でも、いやらしくてくたばらない嫌なじじいの典型をやらせたら右に出るものなしで、しかもその裏に弱さ辛さ優しさも滲ませて … 騙されちゃいかんー、なのに。
今回の成瀬はここまで。
もうじきNYのMetrographでもレトロスペクティヴがあるのね。
わたしが成瀬に出会ったのは2005年のFilm Forumでの特集だったなー。ロンドンにも回ってきますように。
4.11.2025
[film] 鰯雲 (1958)
4.10.2025
[film] あらくれ (1957)
4月9日、水曜日の午後、シネマヴェーラの成瀬特集で見ました。
前の日にリハビリ(言い訳)で『女の歴史』を見にいって生還して、まだ会社への通勤はしんどいかなー、と思いつつ、リハビリを一日でやめてしまうのはよくないな、と再びのこのこやってくる。階段はしんどいので可能な限りエレベーター/エスカレーターを使うのだが、日本のバリアフリー、まだまだよね。
『流れる』 (1956)の次の成瀬監督作品。原作は徳田秋声の同名新聞連載小説(1915)を水木洋子が脚色している。500%理解できないが公開時には成人映画指定されて18禁になったのだそう。そりゃヘイズ・コードには引っかかりそうだが。
大正時代の末期の東京、お島 (高峰秀子)は最初の結婚でごたごたして嫌だと実家に逃げて出戻った後に缶詰屋の鶴(上原謙)の後妻として入るのだが彼から日々着るものから態度振る舞いまで散々叱言と嫌味を言われ、その延長で堂々と浮気され、妊娠すれば早すぎないかと疑われ、いいかげん頭きて大喧嘩したら階段から落ちて流産して、そのまま離縁する。
続いて兄 (宮口精二)に連れられて山奥の旅館に下働きに出され、そこの暗くねっとりした主人の浜屋 (森雅之)から言い寄られて関係をもってしまうのだが彼には寝たきりの妻がいたのでお島は更に奥地の温泉宿に飛ばされて、島送りのような暮らしは父 (東野英治郎)が連れ戻しにくるまで続く。のだが浜屋との関係はその後もなんだかんだだらだらと。
続いて伯母 (沢村貞子)のところに預けられたお島は出入りしていた裁縫屋の小野田 (加東大介)のところで働き始め、仕事のできない怠け者で不細工な彼の尻を叩いているうちに仕事がおもしろくなり一緒になって洋装屋を興すことにして、何度か失敗を繰り返しながらどうにかなってきたところで、浜屋の病のことを聞いて駆けつけると彼は亡くなっているわ戻ってみると小野田は浮気しているわ、ブチ切れ、というよりすべてを吹っ切るべく洋装屋のできる若手の木村(仲代達矢)ともうひとりの若造に声をかけて飛び出していくのだった。
なす術もなく運命に翻弄されきりきりしていくこれまでの高峰秀子とは違い、言いなりになると思ったら大間違いだ、って毛を逆立てて突っかかっていく「あらくれ」で、あの後もぜったい仲代達矢となんかあって泣くことになるかもしれないのに勝ち負けじゃねえんだよ、って動じない。品行方正とか、そういうのを貫くというのでもなく、なーんで男はろくでもないのばっかしなのに、なーんで女ばっかりあれこれ言われり後ろ指さされたりなんだよ? って、その説得力は確かにある。水木洋子の脚色でどれくらい変わったのだろうか。
その反対側でハラスメント野郎(上原謙)に、いいかっこしいのむっつりすけべ(森雅之)に、働きたくない怠け者(加東大介)と、あとこいつの父親も酷いし、男の方もよく揃えたもんだ、こんなそもそものクズ連中に向かってあらくれても、と思ったりもするが、こんなのがそこらじゅうに吐いて捨てるほどいた(今もか…)のだとしたら… といううんざりの徒労感も見えたり。高峰秀子があと1000人いたら。
『流れる』からの流れでいうと、彼女がミシンを2階に引っ張りあげるところから何かが始まる、ような。ミシンは抵抗への狼煙になるのかー。
4.09.2025
[film] 女の歴史 (1963)
4月8日、火曜日の午後、シネマヴェーラの成瀬特集で見ました。
退院後、最初の1本で、これをなにがなんでも見たいから、というよりは地下鉄に乗って渋谷の町に出て2時間強の映画を見て帰ってくる、という活動がどれくらい体力的にしんどい負荷をもたらすのかを試す目的。これが無理なら会社に行くのはもっと無理だろうし、ね。
入院前の最後に見たのが『女の座』 (1961)だったので、次は『女の歴史』 (1963)かー、くらいだったのだが、こちらの原作(着想)はモーパッサンの『女の一生』 (1883)だという - けどモーパッサンのとは随分ちがう(脚本は笠原良三)。 公開時の同時上映は岡本喜八の『江分利満氏の優雅な生活』だったと(あれこれなかなかの段差)。
東京の下町で小さな美容室を切り盛りする信子(高峰秀子)がいて、姑の君子(賀原夏子)と自動車会社に勤める息子の功平 (山﨑努)と暮らしているのだが、功平はあまり家に帰ってこない。ものすごく幸せでもなく、 ものすごく辛くて不幸でもないこの現在地点から、いろんな過去が信子の語りと共に切り取られて行ったり来たりしつつ、現在もまた流れていく… という構成。
時間の流れには抗えない戻れないという『流れる』や『女の座』にあった語り口(なるようになる、しかない)ではなく、こんなこともあんなこともあったという「歴史」を振り返ることで「現在」を変えるなにかは見えてくるのか、というこれまでとは少し異なる視点。 あるいは「座」という空間的な切り口から「歴史」という時間的な切り口に変えてみたところで、女性の生き辛さの総量はそんなに変わらないよね、と言うことか。
木場の材木屋の跡取りだった幸一 (宝田明)からお見合いで見そめられて割と強引にもっていかれる婚礼から新婚旅行の初夜、相場で失敗して愛人と無理心中をした幸一の父のこと、幸一に召集令状が来て彼を戦地に送って空襲にあって疎開して、そこで幸一の戦死の報が届き、生活苦を玉枝(淡路恵子)に助けてもらったり、夫の親友だった秋本隆 (仲代達矢)に言い寄られたり、周囲が目まぐるしく変わっていく反対側で生活は直線で苦しくなっていく中、姑と幼い息子と3人で懸命に生きていく姿が描かれる。
現在の時間軸ではキャバレーで働いていたみどり(星由里子)と出会って親密な仲になった功平が彼女との結婚を信子に伝えたら反対されたので家を出て、郊外の団地でみどりと暮らし始めた - と思ったら自動車事故で突然亡くなってしまい、信子はどん底に。ひとりで信子のところを訪ねてきたみどりは功平の子を妊娠している、と言うのだが…
『女の座』との対比でいうと、しっかりした家に嫁いだ高峰秀子が戦争で夫を失い、拠り所のように大切に育てていた一人息子も失って家のなかで一人孤立してしまう、というところは同じ。婚前婚後の違いはあるが宝田明から言い寄られるのも同じ。最後にアカの他人と3人で残されてしまう、というところも同じ。あとはなんと言っても、自分はそんな悪いことしたわけでもないのになんでこんな目に? という不幸絵巻も。これらってぜんぶ彼女が女性だから起こったことだよね。 でもあのラストは素敵。
なぜ成瀬の映画で高峰秀子ばかり(他の女性も割とそうか)がこんな酷い仕打ちに遭ってしまうのか、についてはもう少し他の作品も見た上で書ければー。
あと、何度も映し出される美容室のある路地の佇まいが素敵なのと、終戦後の闇市の混沌を切り取った美術がどこを切り取ってもすごい。本棚の奥からリュミエール叢書『成瀬巳喜男の世界へ』 (2005)が出てきたので美術監督の中古智のインタビューを読んでみよう。
4.07.2025
[film] 女の座 (1962)
3月29日、土曜日の昼、シネマヴェーラの成瀬特集で見ました。
入院前日、まだ健康(でもないか)だった頃に見た最後の1本。フィルムの状態がよくない、という注意があったがそんなに気にはならなかった。始まってすぐ、見たことあったやつじゃん、になったがこれも気にすることはない。
オールスター・キャストによる正月映画、だそうで、こんな暗いのを正月に… と思ったが当時の「女の座」を基軸に見てみればこれでもじゅうぶん「よかった」ほうに入る「喜劇」なのかも知れない。
家長の父、金次郎 (笠智衆)危篤の報を受けて集まってくる家族たちが紹介される。金次郎の後妻あき(杉村春子)、戦死した長男の嫁芳子(高峰秀子)は高校生の息子健と一緒に同居して家にくっついた荒物雑貨店+家事全般を切り盛りし、長女の松代(三益愛子)は家を出て下宿屋をやっていてそのダメ夫が良吉(加東大介)で、次女で結婚していない梅子(草笛光子)は家の敷地内に別棟を建てて暮らしていて、次男の次郎(小林桂樹)は家を出て町の中華料理店をやっていて、三女の路子(淡路恵子)は正明(三橋達也)と結婚して九州にいたが今回の騒ぎで戻ってきて、そのまま居着こうとしていて、四女は夏子(司葉子)で、五女は雪子(星由里子)で… という大家族模様をわざとらしい形でなく紹介しつつ、そのまま満遍なく家族の出来事 - どんな昔のことも現在のことも家族の姿、ありように繋がっていく - のなかで展開させつつ見せていくやり方がすごすぎて目を離すことができない。
あの時期、おそらくどこにでもあった家長を中心としつつも核家族化の流れと共に解れるべくして解れつつあった大家族の、崩落でも没落でもない、誰も中心にいる家長の思う通りにはならないし、させないし、勝手に生きていこうとしていた家族の断面を『流れる』的な屈辱や自嘲のなかに描くのではなく、「仕方ない、けど私は」的な近代的自我の立ちあがりの中にばらばらと置いて、家族同士がその喧騒で騒がしくなっていくなか、これも同様にできあがりつつあった学歴社会の厳しさにひとり向き合って悩んでいた健は…
他にも独り身だった梅子のところに現れた(あきの先夫との間の子)六角谷甲(宝田明)が実はとんでもない詐欺師であることがわかったり、夏子は中華料理店の客で気象庁に勤める青山豊(夏木陽介)をちょっと好きになるものの結局は見合いをした相手とブラジルに駐妻として行くことにしたり、誰も彼も家族のことより自分のことばかり、の果てにぽつんと残されてしまったことに気づく金次郎とあきと芳子がいて、この辺が『東京物語』 (1953) と対比されるところなのだろう。
子供たちに置いていかれた老親と嫁として嫁いできただけの女性(他人)が心を通わせるこれらのお話しって、近代化と家父長制の軋轢、というか、これらをかわいそう、って思わせ泣かせてしまう甘さが、家父長制を精神的にも制度的にも支え、のさばらせてきたのだ、というところまで分からせてくれる視野の広がりがあるような。
あの荒物雑貨店ってセットなのかしら? ああいうお店ってあったよね。すばらしい臨場感。
4.06.2025
[film] BAUS 映画から船出した映画館 (2024)
3月23日、日曜日の昼、テアトル新宿で見ました。
これの次の回だと舞台挨拶もあったのだが、自分に残された時間はもうそんなにないのだった。
当初青山真治が脚本を用意して企画していたものが彼の急逝により弟子の甫木元が引き継いで完成させたもの。プロデューサーには仙頭武則に樋口泰人の名前もある。当然。
“BAUS”というだけでそれは2014年に閉館した吉祥寺のバウスシアターであることは最初からわかっていて、原作はバウスシアターの元館主・本田拓夫による経営者家族の年代記であるらしいのだが、そもそもこの映画の中心は「爆音映画祭」という特殊な映画の上映形態を編みだしてしまったその場所、あのシアターのなぜ? と核心に迫り、それを総括するはずのものであったのではないか。
本来なら「映画館から船出した映画」であってもおかしくないタイトルの転倒や、ちっとも船出なんかしないでひとつの土地にずっと停泊していることとか、ぜんぶ目眩しの照れ隠しで、あの時のバウスシアターがどうしてあんなふうでありえたのか、をストレートに掘って語ることをわざわざ回避している気もした。青山真治と樋口泰人によるドキュメンタリー『June12,1998 at the edge of chaos カオスの縁』(2000)のタイトルを引き摺る - 「カオスの縁」にあった場所なのに。
1927年、青森から流れてきたハジメ(峯田和伸)とサネオ(染谷将太)の兄弟が吉祥寺の映画館で巻き込まれるように働き始めて、サネオはハマ(夏帆)と結婚して家族ができて、でも戦争が近づいてきて.. という戦前〜戦後に跨る家族の物語を井の頭公園に佇む老人 - サネオの息子タクオ(鈴木慶一)が踏みしめていく。テンポが速くてサクサク進んで、音楽が大友良英だったりするので朝ドラっぽく見えてしまったりする(←見たことないくせに)のだが、それらは全て鈴木慶一の後ろ頭に収斂され、土地と興業、そして時の流れ、消えていった者たちの方へと意識は向かう。
この辺、『はるねこ』 (2006)の甫木元空の幻燈画のような人と景色の描き方が見事にはまっているのだが、他方で青山真治がやっていたら『サッド ヴァケイション』 (2007)の、あのなんとも言えないノラ家族の姿が見られたのかもなー、とか。
映画館の最初の季節には弁士が入っていたし、映画だけでなく落語などもやっていた。なにをやるか、よりもどう見せて、その向こう側の世界の作りだす渦にどれだけ囲い込むか、没入できるか、が試されていた、というあたりに爆音の話には繋げられそう。(だけど、その基点である吉祥寺という土地について、自分はよく知らない)。
映画の聴覚に訴えてくるところ全てをサウンドボード上で再構成し、コンサート用のPAでライブ音響として鳴らすことで娯楽パッケージとしての映画体験をライブのそれに変えてしまえ、という試み。そこには当然映画の歴史、興業の歴史、更にはそもそも映画って何? にまで踏みこんだ問いと答えが求められるし、それが可能となる/それを可能とする個々の映画作品の、更にその映画のジャンルやテーマにまで踏みこんだキュレーションのセンスが必要となる訳だが我々には樋口泰人(斉藤陽一郎)がいたのだ、と。(樋口泰人伝にしてもよかったのでは)
ここまで行って初めて”BAUS”がBAUSであった意義とか戦前からのならず者ストーリーが繋がってくると思うのだがそこまでは届かず、敢えてブランクにしているかのよう。映画館のインフラがどこでも平準化され、配給されなくても配信で入ってくるからいいや、がスタンダードになりつつある今こそ、映画・映像を爆音で体験することの意義を問うべき - とか言ってもなー。それはもう船出しているのだ、とか?
など.. というのもあるが、やはりこれは映画からどこかに船出していった青山真治の、家族や歴史や文化、人々への眼差し、洞察に対する敬意に溢れた作品としか言いようがない、と思った。
最後に流れた1曲がものすごく沁みて、誰これ? と思ったら(やはり)Jim O'Rourkeだった。
[film] Underground アンダーグラウンド (2024)
3月22日、朝にシネマヴェーラでその日のチケットを確保した後、ひとつ下の階のユーロスペースで朝一の回を見ました。
小田香監督の前作『セノーテ』 (2019)はパンデミックでロックダウンしているロンドンで見て、あの水脈というか水路というか、それ以上に地下の洞窟にあんな光景がある、ということを未知未開の驚異映像のように取りあげるのではなく、昔からずっと積み重ねられてきた現地の人々の歴史と生活の合間に - こういう地層、というか水と共にうねる何かがあるのだ、とマップしてみせるその手つき、というか接し方と、その映像たちがその土地の成り立ちに重なりながら形成されていくような様がとてもよかったの。
『鉱 ARAGANE』 (2015) - 未見、『セノーテ』 に連なる地下三部作(となるのか?)の最新作が今作で舞台は日本、タイトル通りに日本の”Underground”を追っている。
では、日本の”Underground”とは、いったい何を指し示すことになるのか?
初めにダンサーの吉開菜央が日本家屋のような建物のなかで起きてトイレに行って窓を開けてストレッチして、という朝の始まりの光景や野菜を切って味噌汁をつくったり - のルーティーンが描かれる。 何気なくそこにある一日、晴れても曇ってもいない光の射してくる場所。オーバーグラウンドとアンダーグラウンドの中間にあるような。
日本のアンダーグラウンドには何があるのか? 掘ったら何が出てくるのか? のっぺりなんの面白みもなさそうな商業目的で開発された新興住宅地とかニュータウンといった「オーバーグラウンド」のB面として、遺骨とかお墓とか遺跡とかは必ず「先祖代々の」みたいな文句と共にやってくるものの、その正体がなんであるのかはわかっていてもあまり語られないことが多い。それははっきりと死骸で、でもかつて生きて喋ったり動いたりしていた者たち、時によっては殺されてしまった人々であったり、今は姿を変えて棄てられたりなかったことにされ埋められたりしている、それらの記憶を、声をつかみ取る、(下に澱んでいるそれらを)掬いあげようとする試みが16mmフィルムに収められている。
それを単なる紀行ドキュメンタリーにするのではなく吉開菜央(「演じる」ではない、「操られる」「同化する」というか)の「影」がひっそりと射していくかのように沖縄戦の現場のひとつ - ガマやダムで沈んだ村や大きな雨水菅や半地下の映画館など、各地の地下空間を巡っていく。 その影の形に沖縄戦体験者の声を紡ぐガイド松永光雄や読経の声が重ねられて記憶は多層となり鹿の骨やサンゴに固化していく - そんなふうに時間をかけて繰り広げられていく地下世界の循環、連なり。
「影」の日常と彼女の向かっていくアンダーグラウンドとの対比が興味深くて、例えば、自分の部屋でごろごろだらだらし続けるChantal Akermanの姿と、その反対側で彼女の向かっていったホテルや「東」や「南」の姿のことを思った。単純に両者を比較できるものではないが、なぜそれを撮るのか、撮り続けようとするのか、の問いの起点には部屋や家、基調として流れる日常の時間が必ずどこかにあるのだと思う。
あとは、Edward Hopperのシアターや映画館の暗がりに佇む女性の像なども。重ねられた記憶の間でどう動くのか、そこから外? どこ? に出ていくのか。
ひとつの「影」の出どころ、ありようを特定するのに目を凝らす必要があるのと同じように、この映画が映しだしているイメージたちも一度で見て終われるものではないような。それくらいこの作品に映しだされるイメージと音の豊かさ、多様さは半端ではないので、どこかでもう一回見たい。英国ではもう上映されたのかしら?
[log] March 30 - April 6 (3)
そしてずっと繋がれて動けないまま時間の感覚が歪んでくるのか、痛みの感覚 - 麻痺のような何かが広がってくるのか、単なる鎮痛剤のおかげ ←たぶんこれ - なのか、状態が変わってきた気がしたのは2日目くらいからで、痛いけど食べるし痛いけど寝るし、が常態となり、そうしながら点滴の管の数が減っていき、あとは自分内でどうにかしなはれ、になる、その跳躍というのか切断というのか、はちょっと怖い。生まれた時がまさにそうだったわけだが。
ここから先の生活はひたすらだらだらするばかりであまりおもしろくなくなるのだが、ひとつだけ、執刀した先生にお願いして自分の手術の映像を見せてもらったの。自分の顔や体が映っているわけではないので本当にそれが自分のかはわからないのだが、じょきじょき切り刻んでいって患部に到達してより分けて摘んで切り取って結んで、の一連の小さい箇所に対するマイクロな作業を、ロボットの3本の手なのか指なのか、がさっさか捌いていくのを倍速で見せて貰って、テクノロジー! って思った。でもそれ知らずに映像だけみたら鶏や魚捌いてるの(のを100倍拡大したの)とそんな違わないかも。
手術後2日過ぎて、点滴による鎮痛剤投与がなくなったあたりから歩く練習をしましょう、って管の繋がったガラガラに掴まって病棟内のサーキット(ただの通路、一周30mくらい?)をゆっくりぐるぐる歩く - だけなのにすごくしんどい。こんなんではエレベーターのまだ動いていない時間帯のシネマヴェーラに並べない! になってしまうのでがんばる。病と戦うとか、リハビリで歯を食いしばってなどという態度は個人的に嫌なのでそういうんじゃないんだ、という顔をつくって歩くのだが誰もわかってくれない。
既に少し書いた朝昼晩のお食事は、一日のトータルが1800Kカロリーを超えないように、各食200gのご飯とメインおかず、副菜1〜2でコントロールされつつ、質も量ももう飽きた嫌だになりそうでならない絶妙な線を維持し続けて、部屋からほぼ出れないのでお腹減らないはずなのに少しは減ってやってくる半端な欠落感をどうにかー、をどうにかしてくれる。で、それでもなんかー、とかパン食べたい、とか言う場合は追加料金での特別メニューを事前予約できる。楽しみがないので晩一回、朝一回、洋食をやってみたのだが、ロールパンとか別皿サラダとか、なんとなく昭和のゴージャス感たっぷりのやつだった。お年寄りにはうけるかも。
5日の土曜日の午前に最後の管が抜かれて - あれらを引っこ抜く瞬間のにゅるん、とくる痛覚ってなんかCronenbergだよね、とか思いつつ、抜かれた後の虚脱感 - いや、抜かれた抜かれないに関係あるのかないのかどうでもよくなるくらいとにかくだるいのってなんなの? 今回、切り取って体外に出されたのなんてせいぜい数十グラムくらい、手術の日から退院するまでに約6〜7日じっと転がっていた、それだけなのになんでこんなに力が入らないの、って?
でもとにかくこの状態から動き始めるしかないわけね、とこれから退院する。 当分スポーツ・運動はだめ(やるかそんなもん)らしいがじっとしている映画館はべつによい(好きにすれば)らしいので、がんばる。
あととにかくケアしてくれたナースの皆さんには本当に感謝しかない。すばらしい人たち。ありがとうございました。
[log] March 30 - April 6 (2)
この先、0時からは断食で、水分摂取は午前6時までとのこと、5時56分くらいに看護師のひとが来て、この先飲めなくなるので思いっきり飲んでおいてくださーい、というので飲んだのだが、飲んでおかないとどんなリスクや危機が待ち受けているのかがわからないのでいまいち腑に落ちてこないまま、胴はたぷたぷに。
手術は8:30からで、管を入れる場所にパッチを貼ったり線を引いたり、前回のよりは明らかに大掛かりっぽく、手術用の服と紙パンツで待機して、時間になったら連れられて手術室まで歩いて向かう。前回はベッドに横たわった状態で運ばれてかっこよかったのに今回は何故? と思ったら手術をするロボットのある部屋が奥の方でごちゃごちゃ入り組んでいてベッドが通れないからではないか、と。沢山の手術室のあるフロアの湯気のあがる現場っぽい臨場感 - SWに出てくる整備庫みたいな - がなかなかかっこよくてそのまま機器とか配線とか見たかったのだが、そんな場合ではないのだった。
まずは麻酔医の人々が(いつもずっとものすごく丁寧でてきぱきなのすごい)、これまで説明してきた手順通りに声を掛けあって指示をして一発で管を通して、点滴から麻酔が入りますー深呼吸してー、と言われ今度は負けないと思って天井を睨んで、いまその絵は残像として残っているのに意識が戻ったのは病室に戻った14:30なのだった。その間自分はなにをされていたのか? の変なかんじ。戻ってこれたので手術は「成功」と言ってよいのか? こんな管まみれで動けない状態での「成功」ってなに? など。
その先はいろんな管に繋がれて動けないまま2時間置きにいろんな人たちがやってきて体温脈拍血圧などのデータをとったりガーゼを替えたり点滴を替えたり痛み止めをくれたり、なにかお困りのことは〜? などあらゆる方角からよってたかって生かされている状態とそれを維持する活動 - この人たちがいなくなったら簡単に死んじゃうんだろうな - が深夜0時くらいまで続いて、その0時になってはじめて水を飲んだ。
痛みについてはどう言ったらよいのだろうか? 胸から下のお腹の全面がじんわり小針で刺されながらロースターでゆっくり回転しているような、走っている時の脇腹の痛みと腹筋の筋肉痛がカラフルに炸裂しているような、これらが体を起こしたりくしゃみしたり、立った状態からベッドに横になる、という動きをするだけで一斉に猛々しく立ちあがって内臓を食い破ろうとする - こんなに騒々しい痛みの感覚は初めてかも。痛みについては考えない、というのがそれを回避するひとつの方法なのかも知れないが、ここまで影のようにひっついてくるとなんなの? って。
こういう入院・手術って大きな流れのなかでは大凡これで「死ぬことはないから」って片付けているし、それだからここまでのこのこやってきたわけだが、実際にその最中に入ってみるとこれはやばいかも、ってなってくるのはこんなふうにずっと「痛い」からではないか。痛いのが止んでくれないとなんかおかしい、とんでもないなにかが降りかかってきているのではないか、が反射していってそればかり考えるようになる(→ カルト)、とか。
[log] March 30 - April 6 (1)
このたびはこれのために日本に来たので、逃げたり隠れたり蒸発したりするわけにもいかず、着陸して3週間、どんより冴えない悶々の日々を過ごしてきて、ついにこの日、というかこの週、が来てしまった。
治療してよくなる、健康になるのだから、という大義はあるものの、これまでの日々の暮らしで具体的に痛みや苦痛や不便を感じてきたわけではなく、手術の後もはっきりとよくなった、万事快調! と感じることができる類いのものでもなさそうなのだが、でもその真ん中の手術と術後しばらくの間ははっきりと痛いし気持ち悪いし辛くしんどいものになるであろうことは前回の検査入院でようくわかっていたので、体感レベルでは高いお金を払って泊まりがけで痛いめにあいにいくようなもので、なにひとつおもしろくないし、でもだからと言って泣いたり騒いだり逃亡したりするのは子供のすること、というのもわかっている。
あとはこの先、もう老いたぽんこつなので、これと同様のことが別の部位で起こらないとも限らず、多かれ少なかれそんな痛みが裏に表に本人にはどうすることもできないオセロみたいな陣地とりを繰り広げていくことになるであろうことを思うと、せめてきちんと記録くらいはとっておこうかな、という備忘を。
病院は10時に入院受付ということでその時間に入った。周りには開いた桜がぽつぽつ。
病室は667で、666だったら素敵だったのになー、ちぇっ、など。
サインしたいろんな誓約書を渡して、引き換えにいろんなルールの説明を受けて(ここまで来たんだからじたばたしないで観念して言うこと聞け)体重血圧測って採血されて(針6回刺してやっと)、パジャマを借りて、本日はそのまま病室でお過ごしください、って言われたのがお昼前。
最初のお昼は天ぷらそばで、昔の給食のソフト麺みたいに温かい蕎麦つゆを蕎麦の容器に入れる方式で、翌日の手術以降しばらくは食べれなくなるらしいのでありがたく頂くのだが、量が少ない… のと、あと12時間くらい、映画館にも美術館にもお花見にもいかず、静かにこの部屋で過ごせと? (だからあんたは病人だって言ってるだろ)
でも見張られているわけではないので、外に出て近くの古い教会を見たり桜を見たり駅の方のお店に行ってみたのだがどこも日曜日で閉まっていて、あんまりにもつまんないので下のコンビニで「金のアイス あずき最中」を買って部屋で食べたり。
今回、あまり選ぶ時間がなかったものの、本は『目白雑録Ⅲ 日々のあれこれ』(中公文庫版)と『ショットとは何か 歴史編』と『灯台へ』(文庫版)を突っ込んできていて、個室にはTVもDVDプレイヤーもあるのだがちっとも見る気にはならないのでだらだらうとうとしながら読む。「目白雑録..」には老いと病と病院についていろいろ書いてあってリアル病室で読むと枯れた臨場感がたまらない。
晩ご飯は18:00に来て、翌日からは点滴になるのでこれがラストフィジカルご飯、なのだが鮭の切り身と粉ふき芋となめこおろしとご飯、って少なすぎてこれだと夜中にわなわなが来てしまう気がしたので、パジャマから普段着に替えて下のコンビニに降りたら日曜日は17:00で閉まっていてこんなのコンビニじゃないじゃん、って泣きながらそういえば4階に食べ物の自販機があった気がしたのでそこに行ってシュークリームとフルーツヨーグルトを買って食べた。