10.16.2017

[film] Lucky (2017)

10日の火曜日の晩、21:15からLeicester Squareのシネコンで見ました。LFFの1本。
ついこの間、余りに突然の訃報が来たばかりで生々し過ぎてきついよう、だけどこれを見ることでお別れをすることができるのであれば、と。

Harry Dean Stantonの最後の主演作で、彼が、彼にしか演じることのできない役を彼にしかできない演じ方で演じている。 ストーリーとか個々のエピソードとかよりも彼が演じるLuckyがそこにいる/いたという感触とか彼の輪郭、息遣い、そういうのとか、彼がいっちゃった後のがらんとした部屋のかんじばかりかやってくるので切なくて辛くて、隣で見ていた若者はずっとべそをかいてて、それもよくわかるの。

冒頭、砂漠の景色をゆっくり横切る陸亀がいて、そこから亀のように干からびたLucky (Harry Dean Stanton)の首筋と髭を剃る姿と身支度をして帽子をかぶって外に出る様子と、日課と思われるカフェでのクロスワードをしたり、場所を変えてバーでそこの常連 - David Lynchとか - や店員とだべったり、合間にずっとタバコを吸ったり、突然なんか言ったり、(スペイン語で)歌いだしたり、そういう姿が繰り返されるだけなの。 カフェで隣あった客 - Tom Skerritt! - との会話でかつてNavyにいたらしいことがわかり、結婚したことがないこと、子供も身寄りもないこと - もわかって、そういうのをずっと心配している近所の人が来てくれたりもするのだが、そんなことされてもどうしろというのか、と心配する方もされる方も困って顔を見合わせるしかない。

なにか事件や問題が起こったりすることもなく、Luckyの日常を定点観測しているだけ、のような内容なので、ドキュメンタリーでもおかしくもない気もするのだが、やはりこれは映画で、映画のなかで様々な人生を演じてきた男の生の、映画的に映しだしてみるしかないその終わり(本人がそれを一番よくわかっている)のありようなのだと思った。

テーマをよく言われ易い「老い」のようなところに置くとぼやけてしまう気がする。若者だろうが子供だろうが今ここにある魂の状態について、その扱いかたについて、明確に伝えようとしている。
それをここには書かないけれど、とにかく映画を見てほしい。 Harry Dean Stantonという俳優のことを、彼の映画のことをよく知らなくても、彼のあの大きな目がなにを語ろうとしたのかはわかり易すぎるくらいわかって、この後で彼が旅立ってしまったことをあわせてみると、これを遺してくれてありがとうとしか出てこない。

上映後に脚本のLogan Sparks氏のQ&Aがあった。 氏は自分の結婚式のBest ManをHarryにしてもらって、自分の息子にStantonと名付け、Harryに会う前と後で自分の人生ははっきり変わった、と言い切っている人で、そういう人がHarry Dean Stantonのことを書いた映画で、彼にとってもまだ映画を見るのは辛いそうなのだが、とても誠実にいろんな質問に答えていた。ここに出てきたエピソードとかLuckyの挙動はほとんどが彼が生前やっていたようなことなんだって。

日本でも公開されますように。(Harry Dean Stantonの特集上映と一緒に)

あ、俳優としてのDavid Lynchさんはほとんど出来上がっていた。Twin Peaks的ないみで、ね。


今日(15日)でLFFが終わりました。 まだ書いていないのはあるのだが、明日から仕事で中東のほうに行くので一週間くらい更新は止まります。   これのおかげで水曜日のMatt JohnsonがFilm Scoreを語る会は行けなくなっちゃったよう …

ではまた。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。