7日の晩、Barbicanで見ました。
前に映画のとこで書いた80年代New YorkのDowntownシーン振り返り特集のひとつ、のようなかたちで行われたライブ。
おなじシリーズでもういっこあったのは、"Jim Jarmusch Revisited"ていう Jim Jarmuschの映画音楽を演奏するライブで、鍵盤はSteve Nieveさんだったりしたのだが、Jim Jarmusch本人が来てなんかやるのならともかく、 そうではないようだったのでパスしたの。
でもこっちの、Arto LindsayとKid Creole and the Coconutsは悩ましくて、特にKid Creoleはライブ見たことないしなー、もう相当老人だろうし動けるのかしら? とか思って、7月頃にチケット取った(ら、前から3列目だった..)
彼ら最近は何か活動しているのかしら、と思ったらCulture ClubとかABCのサポート・アクトもやっているのだった。
NYでライブ告知とか見たことなかったのは80年代に活動拠点をヨーロッパに移したからなのね。
(ライブのMCでは米国に「いられなくなった(笑)」て言ってた.. )
事前のタイムテーブルではどちらの割当も1時間15分だったので、前座というより対バンなのね、というArto Lindsay氏のバックはパーカッション、ドラムス、鍵盤、ベースの4人 - 6月に来日したときのと同じ? メンツで、ばしゃばしゃ羽音のレンジが広くてやかましい太鼓の砂利道にMelvin Gibbsのぶっとくうねる荒縄が筋をつくって、そこに鍵盤が薄いカーテンをふんわり、と思ったらアヒルのくちばしギターががしゃがしゃと切り裂いて、ふん! みたいなそういう音で、これとか、Cyro Baptista氏がJohn ZohnやMark Ribotらと一緒にやるときの音 - 90年代の旧Knitting Factory 〜 Tonicあたりで鳴っていた音が自分にとってのNYアンダーグラウンドの、一番涎だらだらになる音だなあ、と思って、なにをどう聴いてもどうしようもなく気持ちよいばかりなので、ああしょうもないと思った。
Arto Lindsayさんはゆらゆらふらふら変幻自在で、仙人みたいになっていた。あひるポーズも仙人の余裕で何度か決めてた。
休憩のあとでKid Creole and the Coconuts。 最初に遠くから「でーを!」のバナナボートがアカペラで聞こえてきて、ドラムス、鍵盤、ベース、ホーン3人、ギターのバックにCoconutsの女性3名 - 当時からのメンバーだったらすごいよね - だったがそれはなくて、みなさんぱりぱりの、英国から1名とオランダから2名 - が入ってきて、ギターの若者(後で、August Darnellの息子さんであることがわかる)が威勢よく煽って、いつものあの恰好のAugust Darnellが滑るように入ってきて、Coconutsの3人と絡みまくる。
あーこういう楽しい系のやつ、久しぶりかも、と思ったら3曲めくらいまでにあげてあげてBarbicanのお行儀よい年寄り(&孫)だらけの客席を総立ちにさせてしまうのだった。
かんじとして一番わかりやすいのは、映画"The Blues Brothers"(1980)で、Cab Callowayが待ちでざわざわし始めた観客を瞬間湯沸かしさせてしまった、あの場面。 あれとほとんど同じよ。あの長いコートになんか仕込んであるとしか思えない。
わたしはくたびれていたので座ったが、立っているひとはずーっと立ってそれぞれに楽しそうにスイングしてて、いいなー、だった。
1時間強の本編のあと、20分くらい続く1回めのアンコールがあって、さすがにもうへとへとじゃろ、と思ったらバンドはステージの端にまだ待機してて、当然な顔して2回めに入って更に軽快に吹きはじめて、それがまったく終わる気配を見せないので、かつて3時間を超えてもぜんぜん終わる気配を見せなかったGeorge Clintonの恐怖 - あんときはほんとしぬかとおもった - が立ちあがってきたのだったが、さすがにあそこまではいかなかった。
終わったあとホールのロビーがダンスフロアになってて、NYから来たDJさんが午前1時までお皿廻すらしかったが、こちらもごめんなさいして帰った。
後になって冷静に考えてみて、このええじゃないか音頭を、当時のDowntownシーンにどう位置付けるべきか、改めてわかんなくなったかも。 「なんでもありだったからさ」のバケツにつっこんでしまってよいのだろうか?
10.13.2017
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