14日の土曜日のごご、“Let the Sunshine In“のあとに少し歩いて移動して、Licester Odeonていう一番でっかいLFFのメイン会場で見ました。今回ここで見た唯一の一本。Alexander Payneの新作。
冒頭、ノルウェイのベルゲンの生化学研究所みたいなとこで、ネズミを使ったなんかの実験がうまくいったらしく、研究者はおおおってなって、次のシーンは5年後で、どこかの学会で人口爆発による食糧難を解決するかもしれない画期的な研究成果を発表します、と檀上の箱を開けると十数センチの人がにこやかに手を振っている。更に数十人、同様にダウンサイジングされた研究仲間の人々や家族が別の箱から手品のように現れて、彼らが1年間で排出したゴミはたったこれだけなんです、とか、サイズが小さくなれば消費する資源の量も排出されるゴミの量も抑制されるので地球にはとってもやさしいのです、という成果が強調されて観客はおおおおってなる。
アメリカに暮らして食肉工場で整体師をしているPaul (Matt Damon)は妻のAudrey (Kristen Wiig)と二人で住む家を探しているのだが住宅ローンが下りなかったりで苦労してて、そんなとき小さい人々の居住コミュニティ(ある地域の一画をすべて縮んでいった人達向けの計画都市 - ニュータウンみたいな - として作って売りだしている)を見学して、ここなら今の予算でも十分賄えそうだし移住してみようか、てなって、家族や友人達ともお別れして、ダウンサイジングすることにする。
ふたり揃って誓約して、まずはPaulが縮小する工程(なかなかおもしろい)を通って小さくなってみるとAudreyは準備段階の髪と片方の眉毛を剃ったところで怖くなってやめて逃げちゃったと。ひとりだけ小さくなって意気消沈して暮らすPaulだったが同じアパートで陽気に暮らすChristoph WaltzとかUdo Kierとかと知り合い、更に掃除婦として現れたベトナム人の元アクティヴィスト - Ngoc Lan Tran(Hong Chau)と出会ってばしばしこき使われたりしているうちに少しづつ変わっていってやがて。
設定はSF、しかも結構リアリティのあるSFで、うまくやれば“Elysium“ (2013) とか“High-Rise“ (2015)のような倒錯した変てこユートピア/ディストピア劇にできたかもしれないのだが、そこはAlexander Payneなので、基本は傷ついて立ち直れないかんじになりつつあった男がある出会いをきっかけに立ち止まったり踏みとどまったりして自分の場所を再発見する、そういうドラマになってしまう。 別にぜんぜん良いのだけど、そういうドラマなら別に縮まなくてもできるんじゃねえの? とか少しだけ。
もういっこ難をいうと、Matt Damonてさあ、“Interstellar“ (2014)でも“The Martian“ (2015)でもひとりぼっちでもしぶとく生きていけるとこ見ちゃっているから、あんま説得力ないのよね。
もっと小さくなったときにほんとに小さくて吹けば飛んじゃうようではらはらかわいそうに見えるひとを主役に置いたほうがよかったかも。別にぜんぜん良いのだけど、ほんの少しだけ。
あと、自分だったらどうするか、を考える楽しみもあるねえ。 少し考えてみたけど、本とレコードが同じように縮んでくれないのだったらやなこった、て思ったの。あそこには古本屋も中古レコ屋もないだろうしな。
10.20.2017
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