こっちから先に書く。
20日の金曜日、テヘランからヒースローに着いたのが正午くらいで、一旦荷物置いて夏服を替えてから会社に行って、5時過ぎに飛びだして(座席指定じゃなかったので)ICAの列に並んだ。
18日のRoyal Albert Hall (Elgar Room) でのトークは涙を飲んだけど、こっちはなんとしても、だったの。
The The - Matt Johnson - のドキュメンタリーのLondonプレミア。
でもどんなものかはぜんぜん知らないで行ったの。「ものぐさ変奏曲」?
冒頭に監督のJohanna St Michaelsさんが挨拶に立って、この作品は詩人のJohn Tottenhamの同名の詩のシリーズにインスパイアされてできたものです、と言って客席にいるJohn Tottenhamさんを紹介する。
映画は最初、Radio Cineolaの電波塔(?)を建てるところから入って、一見アートプロジェクトの進行過程を追っていくのかと思いきや、基本はMatt Johnsonのなかなか音楽制作に向かうことができないゆるゆるの日々を綴っていく。 The Theの動きが見られなかった00年代真ん中くらいから最近まで、彼はいったいなにをしていたのか? 別に欝で苦しんでいるふうではなくて、自宅兼スタジオで自身のラジオ番組 - Radio Cineola - にゲストを呼んでThe Theのスタンダードを演奏させたり(何人かはびっくりするくらいよいの)、慌ただしく働いているようなのだが、曲を書けないし歌う気にもなれないしもう12年くらい歌っていない - 世界は目まぐるしく変わっているしやることは沢山あるし - そんな理屈あんなコメントをいろんな場面でつぶやきながら、映画は彼の家族や89年の弟Eugeneの死のことなどにも触れていく。
あなたにとって音楽は失敗できない妥協を許さない絶対の領域であるのに対し、ラジオは失敗したってそんなに痛くない、今のあなたがラジオとかに入れこんでしまうのはそのせい? て監督に突っこまれてもごもごしてしまったりしている。
後半に入って唐突に彼の兄Andy Johnson - The Theの初期のジャケットアートを手掛けていた画家 - が亡くなり、ここから少し様子が変わって、Andyの遺した彼のアートを見つめなおしていく過程でMattは楽器を少しづつ触り始める。F#のコードを転がしていくと - ブランケットに包まれるという言い方をする - 何かが生まれてくることがある、と(過去の曲のいくつかのフレーズをぴらぴら流してくれて)。
やがてこうして、フィルムの最後には彼の十数年ぶりとなる“We Can't Stop What's Coming”がRadio Cineolaのスタジオで演奏されることになる(ここにはまだJohnny Marrはいない)。 「やってくるものを止めることはできない」と。Mattは普通に歌っているだけなのにそれはとてもとても感動的なシーンで、客席には声を殺して泣いている人たちが何人もいた(わかるから)。
上映後のQ&Aには監督、Matt Johnson、John Tottenhamの3人が並んで、映画となっていったいきさつとかいろいろ。最初は2003年頃に、Johnの”Inertia Variations”てあなたのことよね、と監督と話しながらなんとなくカメラを回すようになって、最初は共同作業 - アートプロジェクトのような - を進めていく記録のつもりだったのが、だんだん視点がMattの日々の生活のほうに移っていって、その流れがAndyの死で更に大きく変わっていったと。
おもしろかったのが、Johnの詩の"A Long Hard Lazy Apprenticeship"をまずMattが朗読して、それに続けてJohnが自作を読んだところ。
Mattの朗読は、それはそれはブリリアントで揺るぎなくて、そのまま歌に入ってくれないか、くらいにかっこよいのだが、Johnのは酔っ払いが酒場でくだを巻いているようにしか聞こえない。 そういう幅、受け口をもった詩なんだねえ。(この違いについてはJG Thirlwell - FoetusさんもBoxsetのブックレットで書いている)
質問でよかったのが、"Infected"が86年にリリースされたとき僕は13歳で、このアルバムは目の前に広がる大きな世界を示してくれて人生を変えてくれて(うんうんいう人多数)、でも今の時代の音楽にそれだけの力はあるのでしょうか? というやつ。同様に"Infected"(後述)の上映前のイントロで、今これと同じような映像化プロジェクトをやったらどうなるか? と問われて、どちらの問いに対しても状況が当時とは全く違ってしまっているので難しいかもね、と。 その辺の答えを探し求める旅がMattにとっての”Inertia Variations”だったのではないだろうか。
ライブに向けて新しい曲も書き始めていて、新バンドのメンツも決まって、やるから、と力強く言ってた。
終わって、ロビーの物販のところでRadio Cineola Trilogy Boxsetのアナログのほうを買って次の上映のために並んだのだが、Mattが物販のとこでサイン会を始めてしまったので列から離れてサインもらった。なのでサイン貰ってシアターに入ったときには席はほとんど埋まってた(ひとりで行くとこれだからさー)。
前にも書いた、Boxsetについているブックレットの序文をJG Thirlwell (Foetus)さんが書いていて、これがおもしろいの。
JGは78年から83年までロンドンで暮していて、The Scalaっていう50年代B級SFとかを上映する映画館に昼から夜まで入り浸っていた。そこでJohn Tottenhamさんと会って、ふたりでJoy Division, Pop Group, Essential Logic, This Heatなんかのライブに通いまくって仲良くなった、と。
The Theのライブを見たのもそういう中で、Wireの前座で、Mattと最初に会ったのは当時Mick Harveyとシェアしていたアパートのソファで、パーティ明け(The Theの前座がThe Birthday Partyだったって..)に彼が寝転がっているのを発見したときだって。
やがてJGはNYに居を移して、Mattもそのうちやってきて交流は続いたのだが、二人ともどんどん次のアルバムへのリリース間隔が延びていって、なんだろうね? というときにJohn Tottenhamの件の詩に出会っ、これおもしろいよ、ってMattに渡した、と。
これだけでも十分映画になりそうな。
The The: Infected (1987)
続いて"Infected"の映像版上映、ということでイントロでMatt Johnsonと映像作家のTim Pope(彼は”Inertia Variations”にも出てくる)が登場した。
"Infected"の制作は27人のミュージシャンを使いものすごいお金と時間が掛かった大プロジェクトだったので、レコード会社側はプロモーションをやれ人前に出てトークをしろ、とうるさくて、面倒だったのでこういうのを作ったのだ、って。(それでさっくり作っちゃう方もどうか、だけど)
4人の監督がいるなかで、Matt自身がすごいと思ったのは"The Mercy Beat"のPeter Christophersonと、"Out of the Blue"の Tim Popeのふたりだったと。 前者は南米のジャングルで、後者はNYのHarlemで、どっちも現場は相当やばかったらしいのだが、ふたりともへらへら笑っているのだった。(足下にでっかいネズミが寄ってきてさ、そこでそのまま腹向けて死んじゃったんだよ... とか)
この上映のために Tim Popeさんは改めて全部を見直してみたらしいのだが、ぜんぜんいけるじゃん、と思ったと。
久々に見た。 全部を通してきちんと見たのは初めてだったかも。 あっというま。
当時、Peter Barakan師が当時の彼(ら)を「英国から現れた素晴らしい才能」と絶賛していたので正座して見たことを思い出す。
一見するとポストコロニアルの時代、911以降の今の時代にどうか、みたいな映像もないことはないが、見るべきはそういうところではないの。 "Tweeted"でも"Liked"もで"Shared"でもない、"Infected" - 「感染する/させられる」ようなかたちで現れてくる世界の像と、では感染していない状態とはなんなのか、とか、世界をまるごとひっつかんで(変えて)やろうという意思が漲っていて、それはこの後更に"Mind Bomb"として炸裂する。 狂信でも盲信でもない、それは呼吸であり生殖であり感染であり浸食であり増殖であり、世界を生き抜くというのはそういうことなのだ、という確信の大風呂敷があって、それがいつからこんなふうになってしまったのやら、と改めて思ってしまうのだった。 遠くなったもんじゃ。
でもこの日、これを作ったひとと会って、彼は再び動きだそうとしている。 そうはっきりと言った。
これだけで十分だったの。
Some Bizzareのロゴ、なんか懐かしかった。
選挙の結果? 絶望しかないわ。 ほんとにあそこの国民やめたい。
10.23.2017
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