8.12.2021

[film] Blood Red Sky (2021)

8月8日、日曜日の晩、Netflixで見ました。Netflixは英国で使っていたアカウントをそのまま使えたの。
オリンピックでTVを見たくないときはここで「きのう何食べた?」とかを見ていた。なんも考えなくていいやつ。

ドイツ/英国合作映画。別のタイトルは”Transatlantic 473”。

ハイジャックされた機内に乗り合わせた吸血鬼親子が.. というだけでなんかおもしろそうで、Guillermo del Toroの”The Strain”を思い起こしたり、子連れ吸血鬼ものだとTwilight Sagaを思い起こしたり、自分ではぜったいに遭遇したくないけど、っていうあれ。

冒頭、スコットランドの空港にハイジャックされたらしい飛行機が誘導されて着陸し、厳戒態勢のなか、クマのぬいぐるみを持った男の子ひとりが機体後部から保護される。機内ではなにがあったのか、なんでこの子だけが?

時間が巻き戻って、母親のNadja (Peri Baumeister)と息子のElias (Carl Anton Koch)がドイツからNYに向かう深夜便 - Transatlantic 473 - に乗ろうとしていて、Nadjaはどこか具合がよくないらしくNYの医師のところに治療に向かおうとしていて、荷物チェックのところで機内に持ち込む薬剤について説明したり、トイレでも自分で注射をして呻いたりしている。

離陸した後で、怪しい動きをしていた男性たちが操縦席のパイロットも巻き込んであっさり機を乗っ取ってハイジャック宣言して、NadjaとEliasも素直に犯人グループの指示に従うのだが、Eliasを守ろうとしたNadjaの動きが犯人の癇に障って彼女は撃たれてばったり倒れる。

このあたりから彼女がシングルマザーの吸血鬼になってしまったエピソードが挟みこまれる。彼女は家族で田舎をドライブしていた時に吸血鬼に噛まれてそういう状態になってしまったのだ、と。

で、そういうことなので撃たれても死ななくなっている彼女はむっくり起きあがり、Eliasを守るためにも犯人グループに噛みついて血みどろになってぐさぐさ反撃していくのだが、噛まれた犯人側も時間が経てば吸血鬼になって起きあがってくるし、Nadjaを正常状態に戻そうとしていた薬剤もなくなっていって(そうすると彼女は牙とか目とか吸血鬼ルックに変容していく)、そんななか、ほぼ唯一まともなEliasと善玉乗客のFarid (Kais Setti)は操縦席に立てこもったりして戦っていくのだが、吸血鬼の感染はふつうの乗客の方にも広がっていって..

吸血鬼ものというよりゾンビものにしても通用しそうな逃げようのない閉ざされた空間内で攻防が繰りひろげられる航空機パニックで、母子のドラマとか吸血鬼ものにつきものの人の血を吸わなければいけない辛さ悲しみみたいのがパニックの洪水で後退してしまったのはやや残念かも。あとはアクションが結構ぶつ切りであれよあれよになっていかないもどかしさも少しある。 まあ、血も涙もないドイツ的なリアリズムというか – 機内だったらこうなるしかないじゃんさよなら – はわかんないでもない。

でも冒頭の空港着陸後のEliasのところに戻ったあとの展開はすこし大技のびっくりがあって、あれじゃDie Hard 2じゃないか、みたいな。でもやっぱり、1時間半くらいに収めてほしかったかも。

ハリウッドがリメイクしそうな気もする。実は機内にもうひとり、別の吸血鬼の一族が紛れていて..  とか。


あんなふうになってもいいから飛行機に乗ってどこかに行きたいよう。
 

8.11.2021

[film] In the Heights (2021)

8月8日、日曜日の昼、TOHOシネマズの日比谷で見ました。ここの日比谷のは初めて。
2005年にLin-Manuel Mirandaを中心に初演されたミュージカルの映画化。

冒頭、どこかの浜辺でUsnavi (Anthony Ramos)が子供たちを前に、マンハッタンの北西にあるWashington Heightsの物語を語り始める。

Usnaviがやっている街角のボデガを中心にリモ会社をやっているKevin (Jimmy Smits)、そこで働く親友のBenny (Corey Hawkins)、美容室の3人娘、Usnaviが思いを寄せるVanessa(Melissa Barrera)、Kevinの娘でStanfordから戻ってきたNina (Leslie Grace)、ボデガで一緒に働くいとこのSonny (Gregory Diaz IV)、彼らを育ててくれたおばあちゃんのAbuela (Olga Merediz)がいる。

Usnaviはいつか故郷のドミニカに帰りたいと思っているし、でも幼い頃にここに来た若いSonnyはそうは思っていない(パパのMarc Anthonyもそういう)し、Vanessaはここを出てイーストヴィレッジに引っ越そうとしているし、Ninaは学費のこともあるからStanfordはやめようと思っているし、美容室はブロンクスに移転しようとしている。みんなそれぞれに夢と現実のはざまで留まるべきか行くべきかで悶えていて、そこに等しく夏の暑さが被さって、とどめに大停電がやってくる。

ミュージカルとしてはひとりひとりの登場人物とそのコミュニティを音楽と共に軽やかに紹介して、そのなかでもUsnaviとVanessa、BennyとNinaのカップルにフォーカスして彼らの夢と現実とその行く末、悲喜こもごもを歌いあげる。音楽も作劇もとってもよくできたストレートな作品だと思った。

でもたぶん、この作品が狙っていたのはそれだけではなくて、このWashington Heightsに暮らす人たちひとりひとりの事情 – どこから来てどこに行くのか行きたいのか、を「多様性」なんて適当な用語で胡麻化そうとせずに見つめようとしたのだと思う。その時に彼らが先祖から背負ってきたそれぞれの音楽とリズムは格好の万能の道具になるはず – だけどこれまでのこういうとこの音楽って違いを際立たせたりとりあえず踊ってしゃんしゃんだったり、そんな使われ方ばかりだったんじゃないか、って。

プエルトリカンがいてドミニカンがいてペルビアンがいてメキシカンがいてジャマイカンがいてチャイニーズもいて、彼らの話す英語にいろんなクセがあるのと同じように音楽もぜんぶ違っていて、サルサでもマンボでもチャチャでも、彼らと会って話をしてて(話のネタはそういうとこにしか持っていけないので)音楽の話になると必ず、ちょっとステップを踏んでみようよ、簡単だよ! って誘われる。そんなの簡単だったためしがないのだが、でもいつもああ素敵だな、って思ってて、そういうのを思い出したり。

ちょうど”American Utopia” (2020)が四角四面のキューブにブイヨンの塊のように煮出した音楽のコクとフレーバーを、夏の路面にそのまま干して広げて風に散らしたかのような。

Washington Heightsには一回だけ、会社の同僚のお父さんの葬儀で行ったことがあった。会ったことも話したこともない、若い頃にTony Bennettの運転手をしていたという棺に横たわる彼にお祈りをして、本当に来てくれてありがとう、と暖かく言われてなんか行ってよかったかも、って思った – そんな記憶と共にある場所。たぶん偏見交じりだけどHarlemよりも緩くて居心地よさそうなかんじはした(もちろん、瞬間滞在風速での印象)。

あと、真夏の大停電はNYの2003年8月のを経験しているのだが、あれは楽しい思い出だった(辛い経験をした人がいたらごめんなさい)。道路の信号が消えているのでみんながボランタリーにマニュアル誘導してたり、バーは冷蔵庫がだめになるので大盤振る舞いしてたり、冷房が切れて暑いのでみんな外をぶらぶらしていたり。エレベーターも動かない(から外に出るのはめんどい)のでみんな開け放った窓からそれらを見ていたり。今のコロナ禍でこれが起こったらちょっと、相当怖いけど。

ミュージカル観点だと、Film ForumとかMoMAとかMoving Imagesとかの定期上映館でNYのミュージカルを特集するときに必ず論じられるBusby Berkeleyは押さえているし、同様にこんがらがって語られることの多いChita RiveraとCarmen Miranda(バナナはこっち)にも触れられているし、Fred Astaireの”Royal Wedding” (1951)への参照もあるし、今後特集のラインナップに加えられることであろう。

ミュージカル以外でも、実際の地域問題を少し東に寄っていったドキュメンタリー”In Jackson Heights” (2015)があるし、60年代のハーレムが舞台の”The Cool World” (1963)とか、ローワーイーストだったら”Raising Victor Vargas” (2002)とか、ここから繋がる新旧の素敵なNY映画がいっぱい浮かんでくる。

Usnaviの店で最初の方に出てくるFirmlandの箱ミルクも懐かしかったが、それよりも棚のとこにあるAdvilをひと箱ください..  低気圧でしんでしまう…

ボデガなのに猫が出てこなかったのは明らかにキャスティングミスではないのか。

8.10.2021

[film] F9 (2021)

8月7日、土曜日の夕方、TOHOシネマズの六本木で見ました。2Dで。 帰国後六本木行ったのははじめて。

“Fast & Furious”シリーズの最新作で9作目。”F9”がオリジナルタイトルで、他の国ではだいたい”Fast & Furious 9”みたい。    大漁旗とか暴走族の幟みたいな邦題はおもしろいと思うけど、ほんとバカだとおもうので書かない。

“Fast & Furious”のシリーズは英国でのロックダウン期間中に順番でがんがん放映してくれたりしていたので、それなりに語れるかんじにはなっていて、最初の方の西海岸ローカルのどっちが速いどっちがヤバい合戦がエリアを広げてインターナショナルになって地場のちんぴら悪合戦がなんでか悪の世界組織と戦っていくようになって、という流れは、このシリーズそのものが持つばかばかしい力業の痛快さに連なってて悪くないと思ってきた。Mission Impossibleというよりとにかく力ずくでPossibleに持っていってしまう愚連隊のお話し。ただいいかげん、あそこまでのどんぱちやっても誰も死なないし牢屋にも行かないし最後はファミリーで仲良くまったりやっているのはどうなのか、とかいいかげん思い始めたところ。 ブラジルで金庫を走らせたF5あたりがいちばんバランスがよかったような。

冒頭、70年代のアメリカのサーキットで、レーサーだったDomの父が事故で亡くなった時の記憶が再生されて、でもいまはアメリカのどこかの隔絶された地でLetty (Michelle Rodriguez)と子供と平和に暮らすDom (Vin Diesel)がいて、そこに世界中のどんなネットワーク防御も無効化できるデバイス強奪(もしこれが実現できたら世界中でIT奴隷にされてる労働者たちが解放されるからそんなに悪くない気がする)の件が持ちこまれる。なんでCIAでもMI6でもなくここなのか、ちっともわかんないのだがMr.Nobody (Kurt Russell)案件でCipher (Charlize Theron)も関わっているのだと。

そしたら反対側でデバイスを追っているのが、冒頭の父の事故死にも関わっていたDomの弟Jakob (John Cena)であることがわかり、当然ここは俺がやる、になっていつものメンバーが集まってくるのと、F6の最後で爆死したはずのHan (Sung Kang)と彼の養女のElle (Anna Sawai)が加わって、デバイスふたつとそれを起動するキーを求めての世界中での追っかけっこが始まる。父の死を巡るDomとJacobの確執はテーマとして掘り下げれば重みもあるし面白くなったかもしれないのだが、とりあえずはぼかすか殴り合うのみ。

前作で見どころのひとつだった車をハッキングして一括でコントロールする(これは無理だよねってすぐ言われてた)は、今回、強力な磁力で車を寄せたり剥がしたりになって、原始的だけどこっちのほうがおもしろいかも。あと地雷原を突っ走る(車が速ければかわせる)ところとか。結局シンプルな重力とのバトルが一番つよいってことか。

あと、前作の氷上で原潜とやりあった後は衛星を無効化するためにRoman (Tyrese Gibson)とTej (Ludacris)が宇宙まで飛んでいって(誰も聞いてない)不死身伝説を更新する。ここはベソスのはげが宇宙に行ったのに呼応しているのだと思った。 彼ら、宇宙線を浴びてスーパーパワーを、とかになってもよかったのに。

車とかメカが出てこない肉弾のほうのバトルはHobbs & Shawが出ていない分、DomとJacobの割とオーソドックスな兄弟喧嘩がメインになってしまい、やはりちょっと弱かったかも。同様にずっと恒例だったはずのびちびちの女性たちがレースを煽る場面もやや減ってきているかも。レースしている場合じゃないか、と。

Hanの帰還も含めてファミリーのReunionがテーマになっているのかも。車でぶんぶんぶっちぎってあーすっきりした、はあんまなかったかも。 F10ではきっとCipherの妹とか出てくるんだよ。 Hanだけじゃなくて実はGiseleも生きてました.. だったらよかったのにな。

東京よりもロンドンやエジンバラが出てくる方にきゅんとした。Helen Mirren、貫禄だねえ。



感染症対策も温暖化対策も、政府のなかに科学のことをちゃんとわかる人がいないとだめよね。
いまいないから、まちがいなく連中に殺されるよね。

8.09.2021

[film] Black Bear (2020)

8月7日、土曜日の昼間、英国のMUBIで見ました。
“Ingrid Goes West” (2017)がすばらしかったAubrey Plazaが主演で、プロデューサーとしても入っている。
二部構成で、第一部が“The Bear in the Road”、第二部が“The Bear by the Boat House”。クマ好きなので。

冒頭、Allison (Aubrey Plaza)がひとり、やや靄のかかった湖畔に突きでたデッキの上で、赤いワンピースの水着を着て湖水の方を向いて座っている。笑ってはいないし寛いでいるかんじもない。このイメージは映画の中で数回繰り返されて、これが何かの起点としてあるのか、何かが起こってしまった後の状態なのかはわからない。

第一部は、Allisonが車で人里離れた湖畔の家にやってくる。そこにはGabe (Christopher Abbott)とBlair (Sarah Gadon)の夫婦が住んでいて、元女優で映画を何本か撮っているAllisonは新作を書きにやってきたらしく、GabeとBlairとは特に親しい間柄ではなく、知り合いの知り合いを介してこの家を紹介して貰った程度で、夕食の席でGabeは売れないミュージシャンだったこととか、Blairは妊娠していることとか、ふたりの口論する様子から、夫婦仲があまりよくなさそうなことも伺えて、でもAllisonには関係ないしどうでもいいし、って夜中に湖で泳いでいるとGabeがやってきて、Blairの妊娠は間違いだったんだとか言ってべたべた始めたらその現場に怒り狂ったBlairが現れて、その際のどたばたでBlairは出血したって大騒ぎになって、Allisonは車を出して医者に向かうのだがー…

第二部は、第一部とはぜんぜん関係ない、というかひょっとしたらどこかで繋がっているのかも知れないが明確ではなくて、ここでのAllisonは湖畔 - 同じ湖畔 & 建物もおなじ - で撮影中の映画の主演女優をしていて、Gabeはその映画の監督で、Allisonの夫でもある、という設定。Blairも同じ映画に女優として出ていて、Gabeとは仲がよくて、Allisonもそのことを知っている。 撮影現場でのGabeはAllisonにきつくあたって、気に食わないならBlairを主演にすればいいでしょ、とか言うのだが聞き入れられず、Gabeが虐め続けた状態でなんとか撮影を終えて、終えたあとのパーティでやはりGabeはBlairとくっついていくと…

第一部でAllisonが書こうとしたストーリーが第二部の映画に繋がっていくのか、第二部で撮影している映画のなかみが第一部で展開された内容だったのか、それともまったく関係のない2本なのか、どうとでも取れるかんじで、どちらにしてもGabeはやや情けない浮気性のミソジニストの役で、Blairはやや不安定で落ち着かなくて、男性に寄っていくタイプの女性で、AllisonはBlairとは対照的に自分のやりたいように強く出るタイプで、この3人が静養にやってきた山荘で、あるいは映画撮影の現場で、どんなふうに交錯したり衝突したりするのか。 そしてそこに唐突に出現するクマ。そいつがどんなふうに現れるのかは書きませんが、クマとは一体なんなのか? なんでここにクマなのか? などなど。

精神分的の観点から、言おうと思えばなにか言うことができるのかもしれないし、こないだの”The New Mutants” (2020)に出てきたようなあれ、なのかもしれないとか、いろんなことを考えることができて楽しい。なによりもAubrey Plaza = Allisonがいて、彼女があんなふうになったところにクマが現れることについて、ちっとも違和感がないところがすごい。ここはヘビでもアリでもカエルでもありなのかもしれないけど、クマの説得力には敵わない気がする。

第一部にはフェミニズムを巡る議論も出てきたりして、たぶんAllisonがデッキに座って見つめる湖の奥にあるのはその辺の靄で - 撮り直しを要求されたりもしてるし - ここに山の獣を放ったのは間違っていない。やっちまえ、の怒りが渦を巻いていて、Aubrey Plaza かっこいいなー、しかない。

クマの出没は増えているけど、できれば駆除しないでそのまま山に返してあげてほしい。



低気圧とかウィルスとか、まだまだ困難は続くものの、ずうっと吐き気を催させ続けてくれたイベントがひとつ、ようやく終わった。昔からだいっきらいなやつだったが、改めてぜんぶ嫌になった。特にメディアとか代理店とか、要は間で媒介する連中のレベルの低いこと。もちろん、それらを背後から操ろうとしても無能すぎてバカを晒すクズな委員会の連中とかも。こんなふうにしてファシズムは立ち上がるし戦争も起こるのだってようくわかったので、やはり脱出計画を考えよう。
 

8.08.2021

[film] 消失的情人節 (2020)

7月31日、土曜日の午後、ヒューマントラストの有楽町で見ました。
最近こういうの見てないなー、くらいで。邦題は『一秒先の彼女』、英語題は”My Missing Valentine”。 「情人節」っていうのがバレンタインのことなのね。

開幕したばかりの20th New York Asian Film Festivalでもかかる予定の1本。

こういうアジアの - この場合は台湾の - 恋愛ものには土地勘みたいのがまったくなくて監督のことも知らない。けど見る。

アラサーで郵便局に勤めている一人暮らしのシャオチー(李霈瑜)がいて、子供の頃から他の子より何事もワンテンポ早くて(これが「1秒先」の由来)、写真を撮れば必ず目を瞑っているし、かけっこはフライングばかりだし、目覚ましアラームは鳴る手前で目覚めるし、そんな特技があっても結局周囲にうまく合わせたり溶けこんだりすることはできないまま、仕事場の窓口ではしょうもない客の相手ばっかりしてて、お家ではラジオのDJとかヤモリとかがお友達で、でもなんとかやっているし不幸せなかんじはしないし、周囲には断固そんな目で見るんじゃねえよ、になっている。

もうひとり、彼女の真逆で何をやるにもワンテンポ遅くなるバスの運転手のグアタイ(劉冠廷)がいて、彼も周囲には馴染めないままにカメラを抱えて(カメラは一秒後の世界を捕まえる道具)大きくなってしまったひとりで、彼もどうにか生きている。

お話はもうじきやってくる七夕情人節(チャイニーズバレンタインデー)に向けて、ひょっとしたら彼ができそうになってきたシャオチーの息詰まる動向を小刻みに追いつつ、でも突然、気がついてみればバレンタインの日の記憶が無くなった状態で - 顔が何故か日焼けしている - どうしちゃったなにがあった? わたしの恋はどこに? ってパニックになっている彼女がいる。

ヤモリたちからアドバイスを受けたりなにかの鍵を貰ったりしつつ失われた1日を追う彼女がその背後に広がる失われた過去、失踪した父親とのこととかも - を取り戻してグアタイと出会うまでを、日々のアパート暮らしから明るい海辺のリゾート地にまで敷衍した偶然と必然の織物のようなお話 - 奇跡という程の驚きや煌めきはないかな - として描いていて、物語の座りはしっかりしているのでよかったねえ、にはなる。

あえていうと、1秒前の世界に生きる彼女と1秒後の世界を生きる彼の間の時差(計2秒)や段差がふたりの偶然の出会いやふたりの過去の発見にがっちりと作用したり揺さぶったりしてくれたら、もうちょっとおもしろくなったかもなー、とか。 1秒先の彼女を1秒後の彼が追いかけるのは当たり前として、そういうのがあってもなくても、こんなふうにふたりは出会うし恋は起こるもの、っていうのはある。でもでも、それにしても彼女と彼は - 過去に何があったにしても - 今現在の彼女と彼として見つめ合ったとき、本当にスパークしたのだろうか?  っていうのはお節介かもしれないけど、少し… (← ひねくれやろう)

それか、最後を“Last Christmas” (2019)みたいな方に持っていっていきなり梯子外して泣かせる、みたいのがあってもよかったかも(←ひとでなし)

あとは、Michel Gondryの”Eternal Sunshine of the Spotless Mind” (2004)にも少しだけ似ている。恋愛における記憶ってなんなのか、とか。

豆花たべたい。台湾、行ってみたいな。



船便荷物のお片付け状況はどうかというと、あと残り箱十数個くらいまできた。でもこの調子で開けていっても床に積まれている山の高度を上げていくだけで、ほんとうにやらなければいけないのは、部屋のレイアウトをばっぽんてきに変えて、向こうから持ってきた本棚(John Lewisで買ったふつうの。IKEAのよりは軽い)3つを入れて、そこに(積むんじゃなくて)並べることよ。あったりまえよ。でもそれをやるために床に積んであるのをぜーんぶまた..  (以下略) それをこの連休にやろうと思ったわけだが低気圧のやつらがさー。

8.06.2021

[film] The Sparks Brothers (2021)

7月31日、土曜日の晩、米国のYouTubeで見ました。
いろいろやばくなった時のさいごの切り札としてとっておいたが、もういいかげん我慢できなくなった。ほんとうはもちろん、大画面の爆音で見たかったのだけど。

Edgar WrightによるRon Mael & Russell Mael – Sparksの評伝ドキュメンタリー 140分。

こういうのって、見たい人はなにがなんでも見るだろうし、Sparksを知らなかったりあまり興味ない人はどうせぜったい見ないだろうし、知らなかったり興味なかったりする人に見て!とはあまり言いたくなくて、これから見ようと思っている人に、やっぱりとんでもなくよかったからぜったい見て! ってすごく強く言いたい、そういう1本。

ロスに生まれて育ったRonとRussellの兄弟はママにThe Beatlesのライブに連れていって貰ったりしながら当時の西海岸音楽シーンにどっぷり浸かって育って(いいなー)、あたりまえにバンドを組んでTodd Rundgrenのプロデュースで1st (1971)を作って、でもぱっとしなくて、英国に渡って3枚目 - ”Kimono My House” (1974)の"This Town Ain't Big Enough for Both of Us"でブレークして、その後もGiorgio Moroderと組んだ”No. 1 in Heaven” (1979)が当たって、90年代初のお休みの後に再び~ といったバンドの変遷は当然のように押さえつつも、おもしろいのは本人たちのコメントと膨大な量の関係者とかファンの人々のいろんな言葉なの。

モノクロ画面になるコメンテイター - Todd RundgrenやTony ViscontiやGiorgio Moroderといった歴代のプロデューサーたちやバックを支えた人たち、BeckにFleaにRoddy BottumにJane WiedlinにJack AntonoffにThurston Mooreといった米国のミュージシャンたち、Neil GaimanやAmy Sherman-Palladino & Dan Palladinoといった作家たち、Mike Myers、Fred Armisen、Jason Schwartzman、Patton Oswaltといった俳優たち、そして監督Edgar Wright自身もここは自分が言わないと(言いたいの!)というところで発言していたり。

でも個人的に一番興味深かったのは、”No. 1 in Heaven”が当時の英国音楽に与えた影響を語る- ここは監督の世代的なものもあるのだろう- Nick Rhodes & John Taylor、Stephen Morris & Gillian Gilbert、Martyn Ware、Vince Clarke、Andy Bellなどなど。他にはSteve JonesとかBjörk(声のみ)とかBernard ButlerとかChris DiffordとかNick HeywardとかAlex Kapranosとか。Joy Divisionの”Closer”(1980)のレコーディングの時にスタジオで常にかかっていたのがシナトラのベストと”No. 1 in Heaven”だった、とか。

Pet Shop Boysがここにいない理由もわかったり。あといないのは誰だろ - Soft Cell? こういうののコメンテイターとして必ず口を挟んできそうなJarvis Cockerもいないな。

確かに”Terminal Jive” (1980)以降の作品の英国での扱いってなんだかよくわかんない特別なものだった気がする。
自分が初めて聴いたのは、高校生の頃、みんなとおなじく”Kimono My House”で”、This Town Ain't ..”はまったく聴いたことのないかっこよさに溢れていた。それはパンクの錯乱ともグラムの繚乱ともちがって、真似してよいのか戸惑う(もちろん真似なんてできない)類の、口に出すのも憚られるようなかっこよさで、The Number One Song in Heaven"もそうで、これらの曲にある変な高揚感とかジャケットの怪しいのと曲のギャップ、なによりもこいつら何者?? がきた。

映画は誰もが彼らの音楽に最初に接した時に感じるであろう - そしていまだに世界の至る所で続いていると思われる - こいつら何者? の正体をクロノロジカルに追っていく。でももちろん、あの漫画みたいなハイトーンのヴォーカルとちょび髭コンビの創作の秘密なんて最後まで明らかにされることはないのでご安心を。

ひとつあると思ったのは冒頭に「xxxファンファーレ!」って連打するところで、彼らの音楽って突撃するときの不敵で不穏なファンファーレのように鳴ることがあるなあ、って。勝ち負けなんてどうでもいいけどよくわかんないけどとにかくいくぜ! っていう時にどこからか響き渡ってくる威勢のいいやつ。

あと、Intermissionのパートで明らかにされる映画との関係。頓挫したJacques Tatiとのプロジェクト、同様になくなったTim Burtonとのアニメのプロジェクトのこと、でも最後の最後に、こないだのLeos Caraxとのあれが。 見た翌日に”Annette”のサントラ盤 - 緑のポスター付き - が英国から届く(レコードはまだ英国から買ってる。日本の高くない?)。これがまたSparks & Adam Driverとしか言いようがない変態なやつで.. 映画”Annette”と一緒にSparksにもスポットが当ってまたライブに来てほしいなー。

形式としてはドキュメンタリーなのだが、アニメもあるし(Simon PeggとNick Frostもここに)、いろんな引用たっぷりだし、中心のふたりと一緒になって遊んでるし、Edgar Wrightによる渾身の講談とか紙芝居一巻! のようなかんじ。とにかくずっと楽しくて幸せになれる。



”Annette”のサントラ盤と一緒に届いたのがThe Durutti ColumnのEP - ”Deux Triangles”のRSD Dropで出たやつ。おまけに付いていた81年8月のブリュッセルのライブ(既発のだけど)をかけるとあの頃の空気がとげとげ吹いてくる。この音とThe Cureの”Faith”だったねえ。

8.05.2021

[film] 四畳半物語 娼婦しの (1966)

7月27日、金曜日の夕方、シネマヴェーラの成沢昌茂特集で見ました。

これがこの特集で見た最後の1本で、始まってから昔に見たことがあるやつだとわかった。それにしても、今回の特集を通して成沢昌茂の作家性みたいのはあんまよくわからなかったかも。どれもとてもおもしろかったのだけど。もっと見ないとだめよね。

原作は永井荷風の『四畳半襖の下張』(の春本版と呼ばれる方?)で、東映の「文芸」路線らしい。冒頭廃墟のようになった古い屋敷に上からカメラが入っていって(ここすばらし)、そこの離れの四畳半の襖の下張にあった昔の人の綴ったおはなしをおっさん(語りは東野英治郎)が愛おしそうに懐かしそうに語っていく。

ある日そこの四畳半にやってきた客 - 糺(田村高廣)を相手にした娼婦しの(三田佳子)は彼のことを気にいって、彼も財布を彼女に贈ったりするのだが、その財布は元々彼女のもので、それを彼女から巻きあげた情夫の竜吉(露口茂)から糺がすったものだった。そういう縁も含めて糺のことを気に入ったしのは自分の本当の名前を教えてふたりで頻繁に会っていくようになるのだが、おもしろくない竜吉はふたりの仲を裂こうとやっきになって、そうしていると糺はよいところから縁談がきたのでスリもやめてそっちに行くよ、と。竜吉はそのまま逃げるなんて調子よすぎじゃねえかおらって突っかかってきて..

この他に厳しくて計算高い宿主の種子(木暮実千代 - 明治一代女)とか、初めてで客の老人を腹上死させてしまう若娘のきみ(野川由美子)とか、それで見境を失って彼女に突っかかっていくその未亡人の浦辺粂子とか、男性はどれもろくでもないクズばかりなのだが女性はみんな強くて逞しい – だからよい、っていうことではなくて全体としてはやっぱり悲惨な時代だったのだと思う。

襖の下張りにあるのを読んだり現れた春画を眺めたりしてよい時代だったのおーって懐かしんだり涎を垂らしたり、昔のポルノグラフィをそのまま楽しむことってもうあんましできないのかも - 少なくとも自分は。 そうやって産業(含.映画)として構造に組みこまれた快楽のありようがセックスワーカーや女性を長く苦しめたり搾取したりしてきた、そのことを知ってしまった今となっては - ポンペイの昔から春画なんてあるし今後もなくなるとは思えないけど – 時代と性産業の過去と現在を、特にその表象のされ方については無神経になりたくない。(これは人種や歴史認識についても同様。特にその見えないようにされてきた箇所については)

その点で、男性たちの影の薄さ – 小悪党でみみっちくて空威張りしかできなくてなんとなく向こうに消えていってしまう – はなんかよかった。ラストに四畳半にやってくる客のやらしいかんじも含めて。

それはそれとして、構図と長回しのカメラがとらえた遊郭宿の佇まいとそこにJazzふうの音楽が被さって見ている我々を連れていく昔の路地とか窓からの景色とかは悪くないと思った。これを「悪くない」って思わせてしまうもの - 上品さ? それってどういうこと? はあるとしても。



もう散々悪口言ってきているけど、ほんとに酷すぎるよねえ。こんな酷いのないわ。
英国のだって相当酷かったけど、彼らは誤りや考慮不足があれば非を認めて謝罪したし、亡くなった人たちや苦しんでいる人たちや前線でがんばるNHSの人たちへの弔意と敬意は常に表明していた。それが彼らを動かしていた。 今の政府の連中ってなんとか委員会で寄り集まってお触れとか注意喚起とかを出すだけで、なんもしないで居直って関係各所に丸投げしておわり。 政治(家)に殺されるってこういうことよ。