8.08.2021

[film] 消失的情人節 (2020)

7月31日、土曜日の午後、ヒューマントラストの有楽町で見ました。
最近こういうの見てないなー、くらいで。邦題は『一秒先の彼女』、英語題は”My Missing Valentine”。 「情人節」っていうのがバレンタインのことなのね。

開幕したばかりの20th New York Asian Film Festivalでもかかる予定の1本。

こういうアジアの - この場合は台湾の - 恋愛ものには土地勘みたいのがまったくなくて監督のことも知らない。けど見る。

アラサーで郵便局に勤めている一人暮らしのシャオチー(李霈瑜)がいて、子供の頃から他の子より何事もワンテンポ早くて(これが「1秒先」の由来)、写真を撮れば必ず目を瞑っているし、かけっこはフライングばかりだし、目覚ましアラームは鳴る手前で目覚めるし、そんな特技があっても結局周囲にうまく合わせたり溶けこんだりすることはできないまま、仕事場の窓口ではしょうもない客の相手ばっかりしてて、お家ではラジオのDJとかヤモリとかがお友達で、でもなんとかやっているし不幸せなかんじはしないし、周囲には断固そんな目で見るんじゃねえよ、になっている。

もうひとり、彼女の真逆で何をやるにもワンテンポ遅くなるバスの運転手のグアタイ(劉冠廷)がいて、彼も周囲には馴染めないままにカメラを抱えて(カメラは一秒後の世界を捕まえる道具)大きくなってしまったひとりで、彼もどうにか生きている。

お話はもうじきやってくる七夕情人節(チャイニーズバレンタインデー)に向けて、ひょっとしたら彼ができそうになってきたシャオチーの息詰まる動向を小刻みに追いつつ、でも突然、気がついてみればバレンタインの日の記憶が無くなった状態で - 顔が何故か日焼けしている - どうしちゃったなにがあった? わたしの恋はどこに? ってパニックになっている彼女がいる。

ヤモリたちからアドバイスを受けたりなにかの鍵を貰ったりしつつ失われた1日を追う彼女がその背後に広がる失われた過去、失踪した父親とのこととかも - を取り戻してグアタイと出会うまでを、日々のアパート暮らしから明るい海辺のリゾート地にまで敷衍した偶然と必然の織物のようなお話 - 奇跡という程の驚きや煌めきはないかな - として描いていて、物語の座りはしっかりしているのでよかったねえ、にはなる。

あえていうと、1秒前の世界に生きる彼女と1秒後の世界を生きる彼の間の時差(計2秒)や段差がふたりの偶然の出会いやふたりの過去の発見にがっちりと作用したり揺さぶったりしてくれたら、もうちょっとおもしろくなったかもなー、とか。 1秒先の彼女を1秒後の彼が追いかけるのは当たり前として、そういうのがあってもなくても、こんなふうにふたりは出会うし恋は起こるもの、っていうのはある。でもでも、それにしても彼女と彼は - 過去に何があったにしても - 今現在の彼女と彼として見つめ合ったとき、本当にスパークしたのだろうか?  っていうのはお節介かもしれないけど、少し… (← ひねくれやろう)

それか、最後を“Last Christmas” (2019)みたいな方に持っていっていきなり梯子外して泣かせる、みたいのがあってもよかったかも(←ひとでなし)

あとは、Michel Gondryの”Eternal Sunshine of the Spotless Mind” (2004)にも少しだけ似ている。恋愛における記憶ってなんなのか、とか。

豆花たべたい。台湾、行ってみたいな。



船便荷物のお片付け状況はどうかというと、あと残り箱十数個くらいまできた。でもこの調子で開けていっても床に積まれている山の高度を上げていくだけで、ほんとうにやらなければいけないのは、部屋のレイアウトをばっぽんてきに変えて、向こうから持ってきた本棚(John Lewisで買ったふつうの。IKEAのよりは軽い)3つを入れて、そこに(積むんじゃなくて)並べることよ。あったりまえよ。でもそれをやるために床に積んであるのをぜーんぶまた..  (以下略) それをこの連休にやろうと思ったわけだが低気圧のやつらがさー。

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