7日の日曜日の昼、アンスティチュの「シャンタル・アケルマン追悼特集」でみました。
こんどこそ絶対みるんだから、て意気込んで行った。 「家からの手紙」
76年当時の、NYのいろんな場所、いろんな時間を撮って繋いで、そこにシャンタルの母からの手紙を朗読する声(英語)が重ねられる。その声は映っている場所のノイズにかき消されてしまうことも多い。 場所の選択、場所と場所のつなぎ、手紙の朗読をオーバーダブする箇所やタイミングに明確なルールや意味(性)はないように見える。
対象を撮影する場所は、それがマンハッタンで何か(車とか電車とか)、誰かが映っていて、それらが動いている、という点を除けば意味があるとは思えなくて、彼女が読みあげる手紙は(おそらく)母国語で書かれたであろうものを彼女自身が英語に変えて音読している、という点、それが頻繁に町のノイズにかき消されてしまう、という点でなにごとかを意味しているように思えないこともない。
これらと"News from Home"というタイトルを重ねたときに見えてくるもの - 母からの手紙は決してニュースにはならず - みんな元気よ - 親戚のだれそれは元気よ - お札を同封したから - 手紙待ってます - いつも同じことを繰り返し書いてきているようで、逆にニュースていうのはシャンタルから母に向けたこれらの映像のことなのかしらとか、つまり、シャンタルはお母さんの手紙もとぎれとぎれの英語になってしまうような場所で、こんな事物や人物が映りこんでくる場所にカメラを置いて回して暮らしているんだよ、ていうことを伝えようとしているのか。 これを見たらママはあの子ったらだいじょうぶかしら? て思うだろうし、これを見る我々も、シャンタルだいじょうぶか? になるのではないか。 少なくともああ元気そうね心配いらない、にはならないかも。
という見方がひとつあるのと、彼女の切り取った光景と自分の脳内NYをマップすることでものすごくおもしろい、多層的な印象やイメージが生まれてくる。 失われた時、のようなものがそこにくっきりと現れる、ような。
冒頭の場所はトライベッカのあそこ、とか、Vestry St. 9th Ave, 46th Ave, がでてくる。 地下鉄がChristopher - Houston - Canalと止まるのでこれはダウンタウン行きの①ラインだ、とか、あれはTimes Square駅のAとEのホームだ、とか、St Marks TheatreがあるからEast Villageで、これ、Veselkaの軒先じゃないか、とか、トークンブースなんて今の子はわかんないだろうな、とか、それにしてもひでえ落書きだな、とか、地下鉄が96th st → 86th stと止まったので次に停まる駅で①ラインなのか⑥ラインなのかわかるぞ、と思ったら切れちゃったり、とか、Times Squareのシャトルのホームからメインコンコースに渡るとこ - 今はパフォーマンスとかやってる辺り - にホットドッグスタンドがあったのね、とか、10th Aveを車でゆっくり上にのぼっていくところは、Penn Stationがあって、Port Authorityがあって、42ndがあって、PANAMビルの脇腹がみえて、"Times Square" (1980) の彼女たちがたむろしていたのはこの辺なんだわ、とか、いろんな想念が雑念が、夏のぶっこわれた消火栓みたいに吹きあげてきて止まらない。
地下鉄の車内を固定で捉えた画面。そこに映り込んでいる30 - 40人くらいのいろんな人たち、通りに佇んでいる、歩いてきてすれ違ういろんな人たち、彼らひとりひとりのその後の40年間を想像してみよう。 なんかとってもめまいがしてくるのはなんでか。
最後、2nd Ave(だよね、あれは)のゆるやかな坂をまたいだ後で、突然、South Street Seaportから出帆するラストがほんとにすばらしいの。 それまで地べたを地味に水平移動していたカメラが波に揺られるようになり車や地下鉄のノイズに変わってカモメの鳴き声が遠くから聞こえてくる。 そして、沖に出ていくに従って左側にぼうっと現れるツインタワー。
NYを離れていくイメージ、波がゆっくりと過去と現在の像を揺らすイメージとしてこれは完璧で、なんども夢に見るくらいに出てきたイメージがそのままあって、なんか泣きたくなった。
(「世界の現状」(2007) の彼女のセグメントがおなじような)
あと、今後は新しいOne WTCがこの像に変わっていくのだろうか、とか、Instagramやスマホで撮られた大量のイメージで代替可能なのか、とかいろいろ思ってしまうのだが、40年後のこれらが、この美しいフィルムとおなじ何かを湛えているとは思えないの。
このあと、「アンナの出会い」も見たかったのだが、「むかしむかし」のチケットを買っていたのでそっちに移動した。 ところで、むかしむかしにアテネフランセでやったシャンタル・アッカーマン特集のパンフをずうっと探しているのだが出てこない。
いま、メカスの“Lost, Lost, Lost” (1976)をとっても見たい。
2.08.2016
2.07.2016
[film] Buscando a Gastón (2014)
土曜日の夕方に成田に戻ってきました。 5時少し前に駐機して走って5時19分発のNEXに飛び乗ったのだが東京駅に着いたのは6時20分くらいだったのでアンスティチュは諦めた。ううう。
機内で見た映画たち;
Buscando a Gastón (2014)
「料理人ガストン・アクリオ 美食を超えたおいしい革命」。英語題は“Finding Gaston”。
見逃していて見たかったやつ。
ペルーの料理人Gaston Acurio - 94年、リマにAstrid & Gastónをオープンして、当初フレンチビストロだったはずのそれがどんどんペルー地産料理レストランに変貌していって、世界のベストレストランに選ばれるまでになった、本人と周囲のインタビューを通してその軌跡と哲学を明らかにしていく。
料理人としての技法を駆使してマイナーな地位にあったペルーの食材や料理を世界に通用するレベルまで高めて広めていくこと、それを通してペルーの農業や漁業、料理教育のベースを豊かにする - このサイクルをまわしていくことでペルー経済を救うこと。 書いてしまえば簡単だけどものすごく大変そうで、でも確かに映画のなかで言われているように90年代に暗黒だったペルーの経済は、そんなでもなくなっている気がして、もちろん彼ひとりの所業ではないのだろうが。
ペルーに初めて行ったのは96年くらい、仕事で3〜4回行った(その頃に彼はもう自分の店でのしあがろうとしていたのね)。 映画にも出てくるお魚もセヴィーチェもキヌアもトウモロコシも芋も、食材の豊かさおいしさにはとてもびっくりしたものだったが、でもそれを言うならブラジルもチリもアルゼンチンもエクアドルもそう - 現地のものにスペインやアフリカのものが流れこんで多様化・進化していった - だと思っていて、ではなんでペルーだったのだろう?
そこにGastonがいたからだ、というのは多分当たっていて、ではなんでブラジルの料理界にGastonは現れないのか、そんなにも彼の技術はすごいのか、政治家の息子としてその辺に長けていたからなのか、といった辺りを映画は明らかにすべきだったのではないかしらん。 彼が試食したり人と会ったりするところではなくて料理するところの、そこで起こる魔法を見たかったのに。
でも、食材とその生産者、料理をつくる人をレスペクトすることが世界の平和につながる、ていう彼の思想はそんなに間違っていない気がする。「カスタマー」にひたすらぺこぺこして「和食」とかわけわかんないもんを代理店経由で持ち上げてバンザイしているこの国のみっともない食事情よかずっと健全だわ。
彼がNYに出したお店 - La Mar Cebicheria Peruana - がNY Timesのレビューで星ゼロをくらったことは有名なはなしなのだが、もうクローズしてしまったので行って確認することもできないの。
ああでもおいしいセヴィーチェ食べたくなった。 すごいセヴィーチェってとっても繊細で口のなかに海まるごとみたいに広がって転がって至福なんだよねー。
Pan (2015)
これも見逃していたやつ。 Joe WrightによるPeter Panの前日譚。 孤児のPeterはどうしてPanのPeterになったのか、ていうおはなし。
第二次大戦の頃のイギリスで孤児院のとこに棄てられていたPeter(Levi Miller)が黒ひげ(Hugh Jackman)の空飛ぶ海賊船に吸いこまれて、怪しい石を掘りだす奴隷仕事をさせられるなかHook(Garrett Hedlund)と知り合って、海賊と原住民と彼らが守る妖精の国との戦いに巻きこまれていくの。 やがて原住民のTiger Lily (Rooney Mara)から聞かされるPeterの出生の秘密と黒ひげのやろう〜 を通してPeterが目覚めるまで。
ロンドン上空に現れた海賊船が孤児院の屋根の上で子供たちをひょいひょいさらっていくところと、それをイギリス空軍が迎撃して宇宙まで飛んでいっちゃうあたりまではすごくおもしろいのだが、採掘の奴隷仕事から革命だー、になって、でもぼくはそんな器じゃないし飛べないし、てうだうだするあたりからなんかふつーでつまんなくなっちゃうのね。 なんでPeterが覚醒して大人になることをやめちゃったのか、もうちょっとちゃんと描かないといけないんじゃないの、とか。
Rooney Maraかわいい。 あの扮装、The CreaturesのころのSiouxsie Siouxだよね。 ちょっと運動神経なさそうだけど。
それにしても、“Smells Like Teen Spirit”はこういう群衆ミュージカルの定番みたいになっていくのかしら。
あと、あの鳥。どっかで見た気んだけど..
これ以外は、”The Peanuts Movie”をもういっかい見てじんわりして、まだ時間があったので”Valentine's Day” (2010) - 来週だし - を見ていた。既にとってもなつかしいかんじ。
機内で見た映画たち;
Buscando a Gastón (2014)
「料理人ガストン・アクリオ 美食を超えたおいしい革命」。英語題は“Finding Gaston”。
見逃していて見たかったやつ。
ペルーの料理人Gaston Acurio - 94年、リマにAstrid & Gastónをオープンして、当初フレンチビストロだったはずのそれがどんどんペルー地産料理レストランに変貌していって、世界のベストレストランに選ばれるまでになった、本人と周囲のインタビューを通してその軌跡と哲学を明らかにしていく。
料理人としての技法を駆使してマイナーな地位にあったペルーの食材や料理を世界に通用するレベルまで高めて広めていくこと、それを通してペルーの農業や漁業、料理教育のベースを豊かにする - このサイクルをまわしていくことでペルー経済を救うこと。 書いてしまえば簡単だけどものすごく大変そうで、でも確かに映画のなかで言われているように90年代に暗黒だったペルーの経済は、そんなでもなくなっている気がして、もちろん彼ひとりの所業ではないのだろうが。
ペルーに初めて行ったのは96年くらい、仕事で3〜4回行った(その頃に彼はもう自分の店でのしあがろうとしていたのね)。 映画にも出てくるお魚もセヴィーチェもキヌアもトウモロコシも芋も、食材の豊かさおいしさにはとてもびっくりしたものだったが、でもそれを言うならブラジルもチリもアルゼンチンもエクアドルもそう - 現地のものにスペインやアフリカのものが流れこんで多様化・進化していった - だと思っていて、ではなんでペルーだったのだろう?
そこにGastonがいたからだ、というのは多分当たっていて、ではなんでブラジルの料理界にGastonは現れないのか、そんなにも彼の技術はすごいのか、政治家の息子としてその辺に長けていたからなのか、といった辺りを映画は明らかにすべきだったのではないかしらん。 彼が試食したり人と会ったりするところではなくて料理するところの、そこで起こる魔法を見たかったのに。
でも、食材とその生産者、料理をつくる人をレスペクトすることが世界の平和につながる、ていう彼の思想はそんなに間違っていない気がする。「カスタマー」にひたすらぺこぺこして「和食」とかわけわかんないもんを代理店経由で持ち上げてバンザイしているこの国のみっともない食事情よかずっと健全だわ。
彼がNYに出したお店 - La Mar Cebicheria Peruana - がNY Timesのレビューで星ゼロをくらったことは有名なはなしなのだが、もうクローズしてしまったので行って確認することもできないの。
ああでもおいしいセヴィーチェ食べたくなった。 すごいセヴィーチェってとっても繊細で口のなかに海まるごとみたいに広がって転がって至福なんだよねー。
Pan (2015)
これも見逃していたやつ。 Joe WrightによるPeter Panの前日譚。 孤児のPeterはどうしてPanのPeterになったのか、ていうおはなし。
第二次大戦の頃のイギリスで孤児院のとこに棄てられていたPeter(Levi Miller)が黒ひげ(Hugh Jackman)の空飛ぶ海賊船に吸いこまれて、怪しい石を掘りだす奴隷仕事をさせられるなかHook(Garrett Hedlund)と知り合って、海賊と原住民と彼らが守る妖精の国との戦いに巻きこまれていくの。 やがて原住民のTiger Lily (Rooney Mara)から聞かされるPeterの出生の秘密と黒ひげのやろう〜 を通してPeterが目覚めるまで。
ロンドン上空に現れた海賊船が孤児院の屋根の上で子供たちをひょいひょいさらっていくところと、それをイギリス空軍が迎撃して宇宙まで飛んでいっちゃうあたりまではすごくおもしろいのだが、採掘の奴隷仕事から革命だー、になって、でもぼくはそんな器じゃないし飛べないし、てうだうだするあたりからなんかふつーでつまんなくなっちゃうのね。 なんでPeterが覚醒して大人になることをやめちゃったのか、もうちょっとちゃんと描かないといけないんじゃないの、とか。
Rooney Maraかわいい。 あの扮装、The CreaturesのころのSiouxsie Siouxだよね。 ちょっと運動神経なさそうだけど。
それにしても、“Smells Like Teen Spirit”はこういう群衆ミュージカルの定番みたいになっていくのかしら。
あと、あの鳥。どっかで見た気んだけど..
これ以外は、”The Peanuts Movie”をもういっかい見てじんわりして、まだ時間があったので”Valentine's Day” (2010) - 来週だし - を見ていた。既にとってもなつかしいかんじ。
2.05.2016
[log] February 6 2016
帰りのシドニー空港まできました。
あたりまえだけど、あっという間すぎて、あとあとなんだったんだあれ、みたいに残されるであろうかわいそうな時間。
昨晩のご飯はシーフードではなくて、お肉だった。
Neil PerryさんていうQantas航空の機内食のデザインをやっている - と言われて名前を思いだしたのだが、Qantasはこれまで夜行便しか乗っていなくて、チーズ盛り合わせとアイスクリームくらいしか食べたことなかった - セレブシェフのお店で、1936年に建てられたアールデコ建築 - もとは証券取引所だか銀行だったかの建物で、Kobeの熟成肉もあったのだが、ふつうのDry Agedので36ヶ月と60ヶ月のがあって、60ヶ月のにした。
よく考えてみると、5年前のお肉、ってことだよね、て思って、3年前のと5年前のとだと、どれくらい違うのかしら、と少し思ったが、思っていたよりしっかりしっとりしていておいしかった。 5年も暗いとこ(たぶん)で焼かれるのを待つのって、どんなかんじだろうか。
ふだんお酒は飲めないことになっているのだが周りに日本人いなかったし、オーストラリアの地ワイン飲ませてあげる、というので少しだけ舐めてみた。 オーストラリアのインディー系のがすごいっていうのはよく聞くのだが、あまり試す機会ないし。 Clonakillaていう、キャンベラ産のシラーズ(シラーズっていうのはシラーのオージー読みね)で、一緒に行ったキャンベラのひとのおうちの近所のだという。
すごくどっしりしてて土っぽくてでも後にのこるブドウのかんじがしなやかで、いつまでも飲んでいられるかんじで、すごーい、て思って、あとで値札みてたいへんびっくりした(この年のは日本には入っていないみたい)。
デザートはPavlovaをたべろ、て言われたのでたべる。 パッションフルーツが振りかけてあるメレンゲケーキで、あっという間になくなっちゃったのであんま憶えていない。 そりゃおいしいでしょ、みたいなかんじ。
泊まっていたホテルの一階にCreperieがあって、食べたいなー、だったのだが時間あるわけないし。
帰り、ホテルまで歩いていく途中、金曜の晩でみんなわいわい、通りで涼んでいるのでも浮かれているのでもなく楽しそうにしていて、なんかいいなー、だった。
メルボルンもよいけど、こっちも坂とかいっぱいあって楽しいかも。
またこなくては。
ではまた。
あたりまえだけど、あっという間すぎて、あとあとなんだったんだあれ、みたいに残されるであろうかわいそうな時間。
昨晩のご飯はシーフードではなくて、お肉だった。
Neil PerryさんていうQantas航空の機内食のデザインをやっている - と言われて名前を思いだしたのだが、Qantasはこれまで夜行便しか乗っていなくて、チーズ盛り合わせとアイスクリームくらいしか食べたことなかった - セレブシェフのお店で、1936年に建てられたアールデコ建築 - もとは証券取引所だか銀行だったかの建物で、Kobeの熟成肉もあったのだが、ふつうのDry Agedので36ヶ月と60ヶ月のがあって、60ヶ月のにした。
よく考えてみると、5年前のお肉、ってことだよね、て思って、3年前のと5年前のとだと、どれくらい違うのかしら、と少し思ったが、思っていたよりしっかりしっとりしていておいしかった。 5年も暗いとこ(たぶん)で焼かれるのを待つのって、どんなかんじだろうか。
ふだんお酒は飲めないことになっているのだが周りに日本人いなかったし、オーストラリアの地ワイン飲ませてあげる、というので少しだけ舐めてみた。 オーストラリアのインディー系のがすごいっていうのはよく聞くのだが、あまり試す機会ないし。 Clonakillaていう、キャンベラ産のシラーズ(シラーズっていうのはシラーのオージー読みね)で、一緒に行ったキャンベラのひとのおうちの近所のだという。
すごくどっしりしてて土っぽくてでも後にのこるブドウのかんじがしなやかで、いつまでも飲んでいられるかんじで、すごーい、て思って、あとで値札みてたいへんびっくりした(この年のは日本には入っていないみたい)。
デザートはPavlovaをたべろ、て言われたのでたべる。 パッションフルーツが振りかけてあるメレンゲケーキで、あっという間になくなっちゃったのであんま憶えていない。 そりゃおいしいでしょ、みたいなかんじ。
泊まっていたホテルの一階にCreperieがあって、食べたいなー、だったのだが時間あるわけないし。
帰り、ホテルまで歩いていく途中、金曜の晩でみんなわいわい、通りで涼んでいるのでも浮かれているのでもなく楽しそうにしていて、なんかいいなー、だった。
メルボルンもよいけど、こっちも坂とかいっぱいあって楽しいかも。
またこなくては。
ではまた。
[art] Grayson Perry – My Pretty Little Art Career
シドニーにはほぼ予定通りについた。
ねむい、だるい、することがない。 (ねればいいのに..)
22時羽田発のQantasは今となってはなんか懐かしいボーイング747で、でっぷり昔のアメリカの車みたいにクラシカルでぼろくて、ファーストクラスはなくて、一番前の席は上の棚がないのでどこに荷物入れるの? て聞くと先頭まんなかの突きあたりにあるでっかいタンスみたいなキャビネットに入れといて、ていう。上着もここのハンガーにかけてね、というのだが、ほんとふつうのタンスみたいなので変なかんじ。 セルフサービスなのも、なんかおもしろい。
ここの機内ディスプレイはひと昔前の解像度いまいちのやつなので映画どうしようかなー、と思ったら、”Absolutely Anything”があったので見てみる(日本公開決まったみたいね)。Monty Pythonの連中が作っているのだが、Simon Peggがあまりに期待通りのSimon Peggしてて、そりゃ ”Absolutely Anything”だよね、みたいなふうに話が進んでいくので、ねてしまった.. 床に落ちてた犬のうんこが自分で立ち上がってトイレに飛びこむところとかはおもしろかったんだけど。
仕事場に着いたのは11時すぎで、3時過ぎにはおわっちゃったの ...
べつにいいけどさ、べつにいいけどー、ランチのサンドイッチの時間をひいて3時間くらいのためにがんばって飛んできたわけ? て強く言わないからこういうのばっかりになっちゃうのかなあ ...
とかぶつぶつ言わないで空き時間ができたことを喜ぼうではないか、金曜日だし! と切り替えて、荷物をホテルにぶっこんでから近所のMuseum of Contemporary Art Australiaに行って、これ見ました。
前回12月に来たときは見れなかったやつね。
http://www.mca.com.au/exhibition/grayson-perry/
Grayson Perryは英国のアーティストで、"Claire”ていう女性のオルターエゴがいて女装したりしてて、2003年にTurner Prizeを獲っていて、2007年に金沢で展覧会をやっている(未見)。
セラミックの壷とか焼き物とかでっかいタペストリーとか地図とかオブジェとか彫刻みたいのとか絵画とか落書きとか、展示タイトルのとおりの、「ちっぽけなあたしのアート遍歴」(謙遜)みたいなかんじの。
ふつうに、漫画みたいでおもしろいの。 メディアはセラミックがその典型だけどほんとに伝統にのっとっていて - ビデオで壷の製作プロセスを早回しで流していたが、地道に粘土を積んで回して整えて、を延々繰り返しながら、びっくりするくらいふつうに丁寧に作っていく - でもその表面に浮かびあがる絵とか模様とかちょこんと乗っかっているやつとかがバカな妄想してたり悪趣味だったりグロかったりエグかったり、米国だとJeff KoonsだったりMike Kelley,だったりJim Shawだったり、日本だとなんだろ - 楳図 かずおとかみうらじゅんとか、だろうか。
ただ素材がセラミックだったりタペストリーの布だったり、といったような伝統にしっかりのっている、あたりが大英帝国、なのかもしれない。汎歴史的なアートへの欲望や意気込みみたいのに従順なようでいて、しらーっと、でもねちねちとおちょくってみせる、とか。 本人のインタビュー映像も流れていたけど、ものすごく真面目なひとなのよね。 変人だけど。
この特別展示が3階で(これだけ有料)、せっかく来たので常設展示とかも見てみた。
ほとんどが現代オーストラリア作家の存じていない方々ばかりだったのだが、これって海外のひとが清澄白河にきても同じかんじになるんだろうなー、とか。 全体に大陸ふうとか土俗ふうとか、そんな形容がどこにでもはまってしまう気がしたのは気のせいか。
そんななか、Louise Hearman (1963 -) さんのがとってもよいかんじだった。
ここでいくつかの作品は見ることができる。
http://tolarnogalleries.com/artists/louise-hearman/
外に出て晩ご飯の待ち合わせまで時間があったのでGeorge Stていうメインの通り(ひたすらまっすぎ行くとキャンベラまで行けるんだって)をだらだら歩いてみた。
陽射しはそんなに強くなくて暑くもなくて気持ちよくて、昔のアーケードとか、あと本屋もあったので入ってみた。 割とふつうだったけど、料理本のコーナーだけ異様に充実していた、気がした。
ねむくなったので晩ご飯とかの件は、また別で。
ねむい、だるい、することがない。 (ねればいいのに..)
22時羽田発のQantasは今となってはなんか懐かしいボーイング747で、でっぷり昔のアメリカの車みたいにクラシカルでぼろくて、ファーストクラスはなくて、一番前の席は上の棚がないのでどこに荷物入れるの? て聞くと先頭まんなかの突きあたりにあるでっかいタンスみたいなキャビネットに入れといて、ていう。上着もここのハンガーにかけてね、というのだが、ほんとふつうのタンスみたいなので変なかんじ。 セルフサービスなのも、なんかおもしろい。
ここの機内ディスプレイはひと昔前の解像度いまいちのやつなので映画どうしようかなー、と思ったら、”Absolutely Anything”があったので見てみる(日本公開決まったみたいね)。Monty Pythonの連中が作っているのだが、Simon Peggがあまりに期待通りのSimon Peggしてて、そりゃ ”Absolutely Anything”だよね、みたいなふうに話が進んでいくので、ねてしまった.. 床に落ちてた犬のうんこが自分で立ち上がってトイレに飛びこむところとかはおもしろかったんだけど。
仕事場に着いたのは11時すぎで、3時過ぎにはおわっちゃったの ...
べつにいいけどさ、べつにいいけどー、ランチのサンドイッチの時間をひいて3時間くらいのためにがんばって飛んできたわけ? て強く言わないからこういうのばっかりになっちゃうのかなあ ...
とかぶつぶつ言わないで空き時間ができたことを喜ぼうではないか、金曜日だし! と切り替えて、荷物をホテルにぶっこんでから近所のMuseum of Contemporary Art Australiaに行って、これ見ました。
前回12月に来たときは見れなかったやつね。
http://www.mca.com.au/exhibition/grayson-perry/
Grayson Perryは英国のアーティストで、"Claire”ていう女性のオルターエゴがいて女装したりしてて、2003年にTurner Prizeを獲っていて、2007年に金沢で展覧会をやっている(未見)。
セラミックの壷とか焼き物とかでっかいタペストリーとか地図とかオブジェとか彫刻みたいのとか絵画とか落書きとか、展示タイトルのとおりの、「ちっぽけなあたしのアート遍歴」(謙遜)みたいなかんじの。
ふつうに、漫画みたいでおもしろいの。 メディアはセラミックがその典型だけどほんとに伝統にのっとっていて - ビデオで壷の製作プロセスを早回しで流していたが、地道に粘土を積んで回して整えて、を延々繰り返しながら、びっくりするくらいふつうに丁寧に作っていく - でもその表面に浮かびあがる絵とか模様とかちょこんと乗っかっているやつとかがバカな妄想してたり悪趣味だったりグロかったりエグかったり、米国だとJeff KoonsだったりMike Kelley,だったりJim Shawだったり、日本だとなんだろ - 楳図 かずおとかみうらじゅんとか、だろうか。
ただ素材がセラミックだったりタペストリーの布だったり、といったような伝統にしっかりのっている、あたりが大英帝国、なのかもしれない。汎歴史的なアートへの欲望や意気込みみたいのに従順なようでいて、しらーっと、でもねちねちとおちょくってみせる、とか。 本人のインタビュー映像も流れていたけど、ものすごく真面目なひとなのよね。 変人だけど。
この特別展示が3階で(これだけ有料)、せっかく来たので常設展示とかも見てみた。
ほとんどが現代オーストラリア作家の存じていない方々ばかりだったのだが、これって海外のひとが清澄白河にきても同じかんじになるんだろうなー、とか。 全体に大陸ふうとか土俗ふうとか、そんな形容がどこにでもはまってしまう気がしたのは気のせいか。
そんななか、Louise Hearman (1963 -) さんのがとってもよいかんじだった。
ここでいくつかの作品は見ることができる。
http://tolarnogalleries.com/artists/louise-hearman/
外に出て晩ご飯の待ち合わせまで時間があったのでGeorge Stていうメインの通り(ひたすらまっすぎ行くとキャンベラまで行けるんだって)をだらだら歩いてみた。
陽射しはそんなに強くなくて暑くもなくて気持ちよくて、昔のアーケードとか、あと本屋もあったので入ってみた。 割とふつうだったけど、料理本のコーナーだけ異様に充実していた、気がした。
ねむくなったので晩ご飯とかの件は、また別で。
2.04.2016
[log] February 4 2016
ずっとばたばたで落ちつかなくて微妙な低気圧頭痛も続いてて、まったくほんとにこんな仕事はって、こういうのはもうやめにしたいって、何度も何度もずうっと言ってるのに、いまは羽田でこれからシドニーに飛んで着いたら打ち合わせ場に直行して打ち合わせして土曜の朝のフライトでその夕方に戻ってくる。現地滞在24じかん。 穴に落ちたのか落とされたのかどこのどいつのせいなのか問答がどこまでいっても止まらない(もう2年くらいやってら)。
シドニー24じかん、はもうしょうがないとして、悔やんでも悔やんでも悔やんでも悔やみきれないのが明日からのシャンタル・アケルマン特集の、特に『アメリカン・ストーリーズ/食事・家族・哲学』で、土曜日のフライトが間違って2時間早く着いたら(成田着でやがる)なんとかなるのだが、まあむりよね。
もういっこいうと、5日の晩のGEORAMA2016ていうやつの、David OReilly x Don Hertzfeldtもすんごおく楽しみだったのにこういうとき、こういうのに限っての典型的なやつだわ。 ついてないわ。
シドニー、たしかもう3回目なのに、まだ美術館も映画館も本屋もレコ屋もいっこもなんも。
なんかきっと、そういう方角なのかもしれない。
ではまた。
シドニー24じかん、はもうしょうがないとして、悔やんでも悔やんでも悔やんでも悔やみきれないのが明日からのシャンタル・アケルマン特集の、特に『アメリカン・ストーリーズ/食事・家族・哲学』で、土曜日のフライトが間違って2時間早く着いたら(成田着でやがる)なんとかなるのだが、まあむりよね。
もういっこいうと、5日の晩のGEORAMA2016ていうやつの、David OReilly x Don Hertzfeldtもすんごおく楽しみだったのにこういうとき、こういうのに限っての典型的なやつだわ。 ついてないわ。
シドニー、たしかもう3回目なのに、まだ美術館も映画館も本屋もレコ屋もいっこもなんも。
なんかきっと、そういう方角なのかもしれない。
ではまた。
2.02.2016
[film] 千姫御殿 (1960)
土曜日の午後の京橋、「編笠権八」のあとに続けてみました。
「編笠の権八」のあとに「千姫の御殿」。 それがどうした。
千姫っていうのは家康の娘で歴史上ゆうめいでかわいそうなたらいまわし姫のことね。
吉田御殿にお籠りしている千姫(山本富士子)のところに大工の若者が呼ばれてマッサージしてあげたらそいつが翌朝田んぼにぷかーて浮かんで、それから若侍とか、舞いの名手とかみんな千姫の虜になって仲良くなったと思ったら翌朝ぷかー、てなるので千姫のとこに行くとやばいってみんな思い始めたころ、隠密として内部を探るべく田原喜八郎(本郷功次郎)が千姫に近づいたり、実彼の仇を討つべく屋敷に潜入していた大工の許嫁おかつ(中村玉緒)が千姫に詰め寄ったりして、御殿をめぐるいろんな厚塗りごてごてが明らかになってくる。
なんもしらない千姫の周りが実は相当血なまぐさい、風評とかも炎上しまくりでぼろかすなのだが、それなのに、というか、であるが故に彼女はひとり無垢で美しくて、噂を聞きつけてやってきた男たちもころころばたばた虫のようにやられる、ていう、典型的なファム・ファタールの循環ができあがっていて、その歯車を裏でからから回しているのがやたら不気味でおっかない山田五十鈴なの。
でもそんななか切り札のようなかんじで田原喜八郎が現れて、御殿から遠くに馬で逃げていって、豪雨のなか洞窟でふたりが結ばれるとこはとても美しいのだが、それでもやっぱり。それはやっぱり。
千姫にしてみれば、①自分の知らないところで妖婦みたいに呼ばれてて実際にひとがいっぱい死んでる ②それをぜんぶ手繰っていたのは自分の側近の如月(山田五十鈴)だった ③最後の王子さまとして現れた本郷ですら実は隠密だった。 ていう空から金だらい3連発をくらってへろへろになったところで、もう一回どっかに嫁にいくか、嫌なら出家ね、あ、そうそう喜八郎は切腹だから、とか言われて、もうほんとに残酷でかわいそうで、これじゃ死んだも同然よね、とか思ったところで最後の最後に、ほんとうに美しいなにかが現れて少し救われる。 あそこで純な魂みたいのが顕わになる。
喜八郎が死んじゃうのと喜八郎が生きているのとあの後の千姫にとってはどっちが地獄だろう? とか考えるのは野暮というもの。
「近松物語」にしても「残菊物語」にしてもこれにしても、つくづくキリスト教でいう神はここにはいないんだなあ、とかおもう。
どうしようもなく残酷で救いようもない恩寵もないのだが、それでもなんか美しいものはある、ていおう。
画面の切りかたとか姫と御殿との距離のとりかたとか、日本美術だねえ、とうっとりしながら見ていた。 こういうのを紹介すべきよね。 世界に。
「編笠の権八」のあとに「千姫の御殿」。 それがどうした。
千姫っていうのは家康の娘で歴史上ゆうめいでかわいそうなたらいまわし姫のことね。
吉田御殿にお籠りしている千姫(山本富士子)のところに大工の若者が呼ばれてマッサージしてあげたらそいつが翌朝田んぼにぷかーて浮かんで、それから若侍とか、舞いの名手とかみんな千姫の虜になって仲良くなったと思ったら翌朝ぷかー、てなるので千姫のとこに行くとやばいってみんな思い始めたころ、隠密として内部を探るべく田原喜八郎(本郷功次郎)が千姫に近づいたり、実彼の仇を討つべく屋敷に潜入していた大工の許嫁おかつ(中村玉緒)が千姫に詰め寄ったりして、御殿をめぐるいろんな厚塗りごてごてが明らかになってくる。
なんもしらない千姫の周りが実は相当血なまぐさい、風評とかも炎上しまくりでぼろかすなのだが、それなのに、というか、であるが故に彼女はひとり無垢で美しくて、噂を聞きつけてやってきた男たちもころころばたばた虫のようにやられる、ていう、典型的なファム・ファタールの循環ができあがっていて、その歯車を裏でからから回しているのがやたら不気味でおっかない山田五十鈴なの。
でもそんななか切り札のようなかんじで田原喜八郎が現れて、御殿から遠くに馬で逃げていって、豪雨のなか洞窟でふたりが結ばれるとこはとても美しいのだが、それでもやっぱり。それはやっぱり。
千姫にしてみれば、①自分の知らないところで妖婦みたいに呼ばれてて実際にひとがいっぱい死んでる ②それをぜんぶ手繰っていたのは自分の側近の如月(山田五十鈴)だった ③最後の王子さまとして現れた本郷ですら実は隠密だった。 ていう空から金だらい3連発をくらってへろへろになったところで、もう一回どっかに嫁にいくか、嫌なら出家ね、あ、そうそう喜八郎は切腹だから、とか言われて、もうほんとに残酷でかわいそうで、これじゃ死んだも同然よね、とか思ったところで最後の最後に、ほんとうに美しいなにかが現れて少し救われる。 あそこで純な魂みたいのが顕わになる。
喜八郎が死んじゃうのと喜八郎が生きているのとあの後の千姫にとってはどっちが地獄だろう? とか考えるのは野暮というもの。
「近松物語」にしても「残菊物語」にしてもこれにしても、つくづくキリスト教でいう神はここにはいないんだなあ、とかおもう。
どうしようもなく残酷で救いようもない恩寵もないのだが、それでもなんか美しいものはある、ていおう。
画面の切りかたとか姫と御殿との距離のとりかたとか、日本美術だねえ、とうっとりしながら見ていた。 こういうのを紹介すべきよね。 世界に。
2.01.2016
[film] 編笠権八 (1956)
もう2月だなんてありえない。
23日の土曜日のごご、NFCの三隅研次特集でみました。
このひとのならなんでも見たい、になりつつあるかんじ。
どこぞのなにものかわからない志賀原権八郎(市川雷蔵)が山道をすたすた歩いていると背後から謎の長髪剣士が切りつけてきて睨み合いになり、その様子を見ていた藩の指南役がなかなかの腕のようなので稽古に寄らぬか、て誘って、あんまり気が乗らなかったのだが行ってみると、偉い人たちもみんな見ている公開稽古みたいなやつで、文句をいうのだがとりあえず藩の剣士をばたばた倒しちゃうの。 で、その帰り道、やられっぱなしで気にくわなかった藩の若い連中にいちゃもんつけられて、相手をしてたら間違って藩の指南役を軌ってしまって、てえへんだてえへんだー、になって藩から追われて、指南役の娘姉妹 - 千草(三田登喜子)と露路(近藤美恵子)はお上から仇討ちやってよしを取り付け、みんなして権八を追いはじめる。
片方は逃げて片方は追っかける途中、露路のほうが足を痛めてひとり群れから離脱し、ひょこひょこしていたら酔っ払いに絡まれて、そこを権八がやっつけて助けてあげたのをきっかけに、お礼にお食事でも、とか、剣を教えてしんぜよう、とか互いの素性を知らぬままに(ほんとかなー)ふたりは惹かれていって、でもそのうちに追っかけ組が追いつくと彼と彼女はお互いの正体を知って、がーん、なのだが、権八はおれを斬れるのはお前だけじゃ、斬れ、て露路にいうの。
非情な仇討ちものにこてこての少女漫画設定 - かわいいけどひとりでは生きていけないドジな妹 -をぶつけてみて、仇を討つのか愛をもらうのか、好きになった相手を斬ることができるのか、みたいなところに追いこんで、でも結局かっこいいのは市川雷蔵ひとり、ていうフェミニズム批評的にはどうしたもんか、みたいな世界なのだが、原作は長谷川一夫主演の歌舞伎のために書かれたそうなので、それじゃしょうがないか(なにが?)、なかんじもした。
65分、コンパクトにまとまっていてよいのだけど、権八ってそもそもなにやってるひとなの? とか、かげろうの剣ってなに? とか、「編笠」ていみあるの? とか、最初に斬りつけてきたあいつって誰? とか、よくわかんないところはいっぱいあって。 でも、ま、いいか。
オルタナエンディングの愉しみ;
① 最後に露路が、足を痛めてわざと近寄っていったのじゃ、思い知れこのくそ野郎~ ばさー(斬)、てやっちゃう。
② 権八を斬ろうとする姉に妹が立ち向かってそれを庇おうとした権八が姉を軌ってしまって、父と姉を殺したやろうを露路は愛せるのか、ていう別の試練が。
③ 夫婦となった権八と露路の枕元に夜な夜な父の亡霊が。
23日の土曜日のごご、NFCの三隅研次特集でみました。
このひとのならなんでも見たい、になりつつあるかんじ。
どこぞのなにものかわからない志賀原権八郎(市川雷蔵)が山道をすたすた歩いていると背後から謎の長髪剣士が切りつけてきて睨み合いになり、その様子を見ていた藩の指南役がなかなかの腕のようなので稽古に寄らぬか、て誘って、あんまり気が乗らなかったのだが行ってみると、偉い人たちもみんな見ている公開稽古みたいなやつで、文句をいうのだがとりあえず藩の剣士をばたばた倒しちゃうの。 で、その帰り道、やられっぱなしで気にくわなかった藩の若い連中にいちゃもんつけられて、相手をしてたら間違って藩の指南役を軌ってしまって、てえへんだてえへんだー、になって藩から追われて、指南役の娘姉妹 - 千草(三田登喜子)と露路(近藤美恵子)はお上から仇討ちやってよしを取り付け、みんなして権八を追いはじめる。
片方は逃げて片方は追っかける途中、露路のほうが足を痛めてひとり群れから離脱し、ひょこひょこしていたら酔っ払いに絡まれて、そこを権八がやっつけて助けてあげたのをきっかけに、お礼にお食事でも、とか、剣を教えてしんぜよう、とか互いの素性を知らぬままに(ほんとかなー)ふたりは惹かれていって、でもそのうちに追っかけ組が追いつくと彼と彼女はお互いの正体を知って、がーん、なのだが、権八はおれを斬れるのはお前だけじゃ、斬れ、て露路にいうの。
非情な仇討ちものにこてこての少女漫画設定 - かわいいけどひとりでは生きていけないドジな妹 -をぶつけてみて、仇を討つのか愛をもらうのか、好きになった相手を斬ることができるのか、みたいなところに追いこんで、でも結局かっこいいのは市川雷蔵ひとり、ていうフェミニズム批評的にはどうしたもんか、みたいな世界なのだが、原作は長谷川一夫主演の歌舞伎のために書かれたそうなので、それじゃしょうがないか(なにが?)、なかんじもした。
65分、コンパクトにまとまっていてよいのだけど、権八ってそもそもなにやってるひとなの? とか、かげろうの剣ってなに? とか、「編笠」ていみあるの? とか、最初に斬りつけてきたあいつって誰? とか、よくわかんないところはいっぱいあって。 でも、ま、いいか。
オルタナエンディングの愉しみ;
① 最後に露路が、足を痛めてわざと近寄っていったのじゃ、思い知れこのくそ野郎~ ばさー(斬)、てやっちゃう。
② 権八を斬ろうとする姉に妹が立ち向かってそれを庇おうとした権八が姉を軌ってしまって、父と姉を殺したやろうを露路は愛せるのか、ていう別の試練が。
③ 夫婦となった権八と露路の枕元に夜な夜な父の亡霊が。
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