2.08.2016

[film] News from Home (1976)

7日の日曜日の昼、アンスティチュの「シャンタル・アケルマン追悼特集」でみました。 
こんどこそ絶対みるんだから、て意気込んで行った。  「家からの手紙」

76年当時の、NYのいろんな場所、いろんな時間を撮って繋いで、そこにシャンタルの母からの手紙を朗読する声(英語)が重ねられる。その声は映っている場所のノイズにかき消されてしまうことも多い。 場所の選択、場所と場所のつなぎ、手紙の朗読をオーバーダブする箇所やタイミングに明確なルールや意味(性)はないように見える。

対象を撮影する場所は、それがマンハッタンで何か(車とか電車とか)、誰かが映っていて、それらが動いている、という点を除けば意味があるとは思えなくて、彼女が読みあげる手紙は(おそらく)母国語で書かれたであろうものを彼女自身が英語に変えて音読している、という点、それが頻繁に町のノイズにかき消されてしまう、という点でなにごとかを意味しているように思えないこともない。

これらと"News from Home"というタイトルを重ねたときに見えてくるもの - 母からの手紙は決してニュースにはならず - みんな元気よ - 親戚のだれそれは元気よ - お札を同封したから - 手紙待ってます - いつも同じことを繰り返し書いてきているようで、逆にニュースていうのはシャンタルから母に向けたこれらの映像のことなのかしらとか、つまり、シャンタルはお母さんの手紙もとぎれとぎれの英語になってしまうような場所で、こんな事物や人物が映りこんでくる場所にカメラを置いて回して暮らしているんだよ、ていうことを伝えようとしているのか。  これを見たらママはあの子ったらだいじょうぶかしら? て思うだろうし、これを見る我々も、シャンタルだいじょうぶか? になるのではないか。 少なくともああ元気そうね心配いらない、にはならないかも。

という見方がひとつあるのと、彼女の切り取った光景と自分の脳内NYをマップすることでものすごくおもしろい、多層的な印象やイメージが生まれてくる。 失われた時、のようなものがそこにくっきりと現れる、ような。

冒頭の場所はトライベッカのあそこ、とか、Vestry St. 9th Ave, 46th Ave, がでてくる。 地下鉄がChristopher - Houston - Canalと止まるのでこれはダウンタウン行きの①ラインだ、とか、あれはTimes Square駅のAとEのホームだ、とか、St Marks TheatreがあるからEast Villageで、これ、Veselkaの軒先じゃないか、とか、トークンブースなんて今の子はわかんないだろうな、とか、それにしてもひでえ落書きだな、とか、地下鉄が96th st → 86th stと止まったので次に停まる駅で①ラインなのか⑥ラインなのかわかるぞ、と思ったら切れちゃったり、とか、Times Squareのシャトルのホームからメインコンコースに渡るとこ - 今はパフォーマンスとかやってる辺り - にホットドッグスタンドがあったのね、とか、10th Aveを車でゆっくり上にのぼっていくところは、Penn Stationがあって、Port Authorityがあって、42ndがあって、PANAMビルの脇腹がみえて、"Times Square" (1980) の彼女たちがたむろしていたのはこの辺なんだわ、とか、いろんな想念が雑念が、夏のぶっこわれた消火栓みたいに吹きあげてきて止まらない。

地下鉄の車内を固定で捉えた画面。そこに映り込んでいる30 - 40人くらいのいろんな人たち、通りに佇んでいる、歩いてきてすれ違ういろんな人たち、彼らひとりひとりのその後の40年間を想像してみよう。 なんかとってもめまいがしてくるのはなんでか。

最後、2nd Ave(だよね、あれは)のゆるやかな坂をまたいだ後で、突然、South Street Seaportから出帆するラストがほんとにすばらしいの。 それまで地べたを地味に水平移動していたカメラが波に揺られるようになり車や地下鉄のノイズに変わってカモメの鳴き声が遠くから聞こえてくる。 そして、沖に出ていくに従って左側にぼうっと現れるツインタワー。

NYを離れていくイメージ、波がゆっくりと過去と現在の像を揺らすイメージとしてこれは完璧で、なんども夢に見るくらいに出てきたイメージがそのままあって、なんか泣きたくなった。 
(「世界の現状」(2007) の彼女のセグメントがおなじような)

あと、今後は新しいOne WTCがこの像に変わっていくのだろうか、とか、Instagramやスマホで撮られた大量のイメージで代替可能なのか、とかいろいろ思ってしまうのだが、40年後のこれらが、この美しいフィルムとおなじ何かを湛えているとは思えないの。

このあと、「アンナの出会い」も見たかったのだが、「むかしむかし」のチケットを買っていたのでそっちに移動した。 ところで、むかしむかしにアテネフランセでやったシャンタル・アッカーマン特集のパンフをずうっと探しているのだが出てこない。

いま、メカスの“Lost, Lost, Lost” (1976)をとっても見たい。

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