11月11日、月曜日の晩、Wyndham's Theatreで見ました。
古代ギリシャ悲劇をRobert Ickeが翻案し、演出もしていて、2018年にオランダで初演され、2019年にエジンバラの演劇祭でも再演されたもの。休憩なしで約2時間。
冒頭、幕が下りた状態で選挙キャンペーン中のOedipus (Mark Strong)のプロモーション映像が流れる。結構長めに有権者の発言から彼自身の揺るぎのない言葉と自信に満ちた立ち姿、そんな彼を支える妻Jocasta (Lesley Manville)まで、出生証明書? 勿論ちゃんと出しますよとか、どこの代理店が作ったのか政治家として申し分なさそうな好い印象を与えて、幕が開くと選挙戦が終わって後は開票結果を待つばかりの彼の事務所になる。
舞台の右手には開票結果が出る迄の時間だろうか、デジタルの文字盤が舞台上で経過する時間とシンクロしてカウントダウンしていって、頭の切れる実践者としてのOedipusと現実を見て漏れなくカバーしていく庇護者としてのJocastaのコンビは勿論、彼の子供達にずっと一緒のスタッフたちからキャンペーンを仕切っていた義兄のCreon (Michael Gould)まで、人々が慌しくざわざわ行ったり来たり、事務所を片付けたり宴をしたりしつつも最後まで感触が悪くなかったせいか皆一様に明るく騒がしく既に緩やかなお祝いムードで、それでもこれまでとこれからについてCreonとの間でちょっとした波風が出ては消え、ひとりぽつんとやってきたOedipusの母Merope (June Watson)がどうしてもあなたに言っておきたいことが、と何度か出てきて、いまちょっとバタバタだからごめん、と脇にどいてもらっていた彼女が最後に…
開票直前のこんなタイミングになんでどうしてそんなことを?というドラマとしての強引さのようなものはあるものの、これがいろんなレベルで「政治」の根幹を揺るがすスキャンダル - どころではない大ごとであることは確かなので客席のほうは「ひぃ」って固まって悲劇が転がっていくのを見ていることしかできない。
全くだれることなく張り詰めた状態のままに(選挙)戦の熱狂からどん底の最後までじりじり持続させていく構成は見事だし、ギリシャ悲劇のテーマをこんなふうに現代の選挙戦に織りこんで見せるのっておもしろいと思いつつも、これを現代の選挙/政治のありように接続して語るのであれば、あのエンディングの後を見たいし、見せるべきではないのか、とか。せっかくあれだけの俳優を揃えたのだからさー
Lesley Manville は、2018年にJeremy Ironsと共演したRichard Eyre演出の”Long Day's Journey into Night”の舞台を見て、ただそこに立っているだけ、その背中だけでも.. のすさまじい存在感に圧倒されたし、Mark StrongはNTLの”A View from the Bridge” (Arthur Miller)でやはりすばらしい輪郭線だったし、そんなふたりの激突なのでなにが起きたって大抵のことは、でだから猶のこと、あと少し… これが演劇だ、みたいな瞬間はいっぱいあるけど。
悲惨な結末であることは確かで、でも他方でこれがなんで現代の悲劇として成立しうるのか、については人によっていろんなことを言えたり考えたりする余白、のようなものを与えてくれたりもする、という点では、よい意味で開かれている気もして、いろんな人に見られてほしいな、って。
11.25.2024
[theatre] OEDIPUS
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