11.12.2024

[theatre] The Fear of 13

11月2日、土曜日の晩、Donmar Warehouseで見ました。
チケットはずっと売り切れでぜんぜん取れなかったのだが、当日の昼、ぽこりと空いた晩のが取れた。

アメリカのペンシルベニアで21歳の時に誘拐とレイプと殺人の容疑で捕まり、22年間死刑囚監房で過ごさなければならなかった冤罪事件 – その被害者であるNick Yarrisを取材した英国のドキュメンタリー映画 - “The Fear of 13” (2015) - 未見 - を元にLindsey Ferrentinoが舞台化したもので、Adrien Brodyはこれがロンドンの舞台デビューとなる。演出は”Prima Facie”を手がけたJustin Martin。休憩なしの約1時間50分。緊張で終わると少しぐったりするけど、だれることはない。

もともと狭いシアターで(StallはD列が最後尾)、折りたたみ椅子のA列はかぶりつき、というよりほぼ目の前にあり – そこの椅子の背に貼られた番号はそのまま独房の番号にもなっている。A列とB列の間には狭い通路が敷かれていて、そこも人が走ったり抜けたりしていく。

奥はガラス窓がはめ込まれた壁に重そうな扉があり、壁の向こうはしばしば監房の向こう側(の社会、連れだされて拷問されたりの部屋)だったり、その上のテラスのようになったところは、監獄映画にもよく出てくるような監視塔だったり。ごちゃごちゃしているようで、場面ごとにうまく工夫された見せ方をしていて、これが重苦しい牢獄の閉塞感をうまく救っている。

Yarrisの手記をベースにAdrian Brodyがナレーションで読みあげていく形で、若い頃にしでかした悪いこととか、どうやってあの晩のあの事故が起こって、それにどんなふうに巻きこまれて不本意に拘束されて – そこからの捜査ミスに誤認に手続きミスと偏見が重なり戻りのきかない雪だるまになって、全てがなんの根拠もない状態から歪んだ恐怖(The Fear of 13)に溢れた状態 - 牢獄に入って抜けられないようなことになったのか。牢獄での日々は、暴力的な看守や警官や囚人らが束になってのしかかってきて - 囚人役のひとが看守役も兼ねていたり – 変わり身が速い - その団子になったお先真っ暗の酷さに抵抗しようがないので自棄になるなか、調査にきた学生のJackie (Nana Mensah)と会話を重ねていくうちに仲良くなって獄中結婚して、でもやはり無理がきて別れることになったり、途中でDNAによる科学的捜査が可能となり、これが決定的に覆してくれる、とやってみたらここでもミス - 配送時にサンプルが破損する - が起こったり、ついていない、なんて言うのが憚られるくらい、全体として酷いしさいてーすぎて言葉を失う。

すっとそんなふうに、あらゆる出口と希望を塞がれ続けていくので、Adrian Brodyの、あの途方に暮れた表情や絶望で打ちひしがれている様子は重ね絵で当然のように見ることができるものの、あんまりの極限状態だらけなので、彼以外の俳優がやってもそんなに違いが出なかったのではないか、とか少しだけ。彼特有の軽み – なにやってるんだろう、ってふと洩れてしまう溜息のような巧いところ、見たいところをじっくり見ることはできなかったかも。 劇全体としてじゅうぶんに見応えあるのでよいのだが。

最後のカーテンコールの後に、Nick Yarris本人のメッセージが映像付きで流れて、日本でもついこないだひどいのがあったばかりだし、英国でも富士通の件が今だに話題になるし、なので、そうだよねえ二度と起こしてはいけない、しかないのだが、こんな劇を警察や検事たちが見るとは思えないし、こうして取り上げられるケースの方が稀なんだろうなあ… になる。こういう間違いや誤りはいつでもどこでも起こる可能性がある、という前提でどこかにチェックしたり救済できる仕組みがあるかどうか、なのだが、そんなの誰も作ろうとしないだろうし… ってぐるぐる。
 

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