11月17日、日曜日の晩、BFI Southbankで見ました。
監督はドキュメンタリー”Cow” (2021) がよかった英国のAndrea Arnold - 他には”Wuthering Heights” (2011) とか - で、これはフィクション。
Barry KeoghanとFranz Rogowskiという、英独を代表する肉の痛みとうねり剥き出し系男優が一緒に出ているので、ものすごく肉体として痛そうな描写とかあったらやだな、だったのだがそれはなかった。 そんなことより、小さい作品だったけどすごく沁みてよかった。予告を見たときは、またこういうの(とは?)かー、って思ってしまったことを反省。
12歳の女の子のBailey (Nykiya Adams)が主人公で、郊外の廃屋のような集合住宅に父親のBug (Barry Keoghan)と暮らしていて、彼のタトゥーだらけの上半身はいつも裸で、近所をスクーターですっとばしていてご機嫌に変なダンスを踊ったり歌ったり、とっても機嫌がよいのでなぜ?と聞いたら、ここんとこ一緒にいるKayleyと結婚するんだおまえも式にでろ、衣装も買ってきたからほれ、って。頭にきた彼女が家に戻らず、異母兄で自警団をやっているというHunterと会ったりしていると、草っ原の真ん中で浮浪者みたいに怪しげなBird (Franz Rogowski)と名乗る男と出会う。彼はかつて住んでいた家とそこにいた母親を探している、というのだがそれらしいアパートに行ってみてもいなくて…
Birdの持っていた住所が自分の生母のいるところと同じアパートだったので、彼女なら何か知っているかも、と訪ねてみると幼子たちを連れた彼女はしょうもないDV男と暮らしていて、どいつもこいつもー になる。「家族」が嫌で、そこから弾かれたひとりの少女が日々表情を明るくしたり暗くしたりしながら家を、家族を探して彷徨うお話しなのだが、どこに行っても解決できそうな状態なんてなくて、みんな家畜や鳥や虫と同じようにそこらを移ろいながらどうにかしていくしかない。でもよく見てみれば鳥だって虫だってふつうに強いし。
どうやって生計を立てているのか謎のBugもちんぴら稼業のHunterも、まあ雑な、政治とかどうでもよいし金が入って日々楽しく過ごせればの、今の典型的なうざくて厄介で関わりたくない男性像そのもので、誰もBaileyのことをわかってくれない状態だったところにきょとんとした鳥顔で現れたBirdは、そのぽつんとビルの屋上に立つ姿も含めてBaileyに鳥の目の高さと自由を示してくれるようで、でもBirdは最後まで鳥の気高さを失わずになんかかっこよいの。
カメラはずっとひとりぼっちのBaileyに寄り添い、ゴミ箱に捨てたくなるどーでもよいゴミ男たちをてきとーに流して、Birdの、彼の家族に対する思いとBaileyのそれを並べてみせる。どれだけ酷く扱われて棄てられても、「彼ら」と自分らがいることは動かしようがなくて、そこから飛ぶことも渡ることも還ることもできる。
Barry Keoghanは相変わらず余裕ですばらし - この人の幅の広さって独特 - いのだが、やはりFranz Rogowskiのすごさ。Michael Keatonの”Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance)” (2014)を軽く超えて鳥にしか見えなくなる。
音楽は監督がPVを撮ったりしているFontaines D.C.の鳴りっぷりがパンクでかっこよくて、こいつらよいかも、って今更…
というわけで、おうちに飛んで帰ります。
ばたばたすぎてぜんぶだめだった…
11.29.2024
[film] Bird (2024)
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