11月9日、土曜日の夕方、Curzon Sohoで見ました。
正式公開を前にしたドキュメンタリーのPreviewで、上映後に監督Hasan Oswald(とあと一名)とのQ&Aつき。Executive Producer はEmma Thompson。
昨年のDOC NYCでGrand Jury Prizeを獲っている。DOC NYCって、たまたまNYにいた時に第二回があって参加したけど、よい映画祭になってきたねえ。
2014年、ISISの侵攻〜虐殺によりYazidiの村が襲われ、父母、弟たちと平和に暮らしていたMedihaの一家は連れ去られ、家族は散り散りとなり、彼女は10歳で見知らぬ男に妻として買われ、そこから転売されて数年間、5年前に救出されて避難キャンプで別のところから戻ってきた双子の弟たち(末の弟は不明)と一緒に暮らし始めたところ。
監督がMedihaにカメラを渡し、カメラを手にした彼女は自分や弟たちにカメラを向けて自分たちが今いる場所について〜自分たち家族に起こったことを語り始める。なので、映画には監督がMedihaたちやISISの拠点から人々を救出するスタッフの姿を撮った映像、Medihaが弟たちやキャンプの生活を撮った映像、更には姉に教えられた弟たちが撮った映像の3種類があって、でもそれぞれに大きな段差はない。なんでこんなことになっているのか? の重い問いかけは3者に共通している。
話としてはとにかく酷くて陰惨で、父も祖父も行方不明のまま、母は後の方の調査で生きているらしいことはわかったが他の男の妻となり、その男の子供もいて名前も変わっているので救出/帰還の話を持ちかけても戻ってくるかどうか微妙、と言われるし、末の弟はトルコの方で別の家族に売られていて、買い戻した(!)あとにキャンプにやってくるのだが、ママがいないと寝れないなんで引き離した、って延々夜泣きがひどいし。
比較できるものではないが、やはり最もひどいのは現地で売られたMediha本人が語る自分の身の起こったことだろうか(注:具体的なところまでは語られない)。本人にそれを語らせるのって酷くない? と思ったが、上映後の監督の発言によるとMedihaの方からきちんと語りたいと言ってきたのだそう…
宗教とか原理主義とか見ている世界が違うとか第三者がいくらでも慮って言うことはできるだろう。けど普通に幸せに暮らしていた家族や一族や民族の生活をある日突然勝手に壊して潰してよいわけがない。許されてはならない。
ここだけじゃない、今の(いや、ずっとそうなのかも知れない)世界はこんなのばっかりで辛すぎて考えるのを止めたくなるけど、彼らが生きて晒されているのは考えたらどうなる、という世界ですらない。どうしたらよいのだろう…
終映後のQ&Aでも今のメディアはパレスチナとウクライナばかりで、現在の危機として重要であることは確かだけど、この問題もシリアのも、ずっと継続していて、なんの罪もない市民が理不尽に殺され続けている。報道の流行り廃りのようなことも問題、と。その通りではあるけど…
少しだけほっとした(でよいのか?)のは、Medihaは今はNYで暮らしていて、シティガールとして街にも馴染んで、人権問題の法律家になるべく勉強をしているのだそう。(アメリカの上映会には顔を出しているって)
地方選の結果を聞いて、ますます子供の頃に聞いた発展途上国の選挙みたいになってきたなーやだやだ、って思っているところに、少しだけ出張で帰国します。映画も音楽会もこっちで見たいのが山ほどあるのにー。
というわけで更新は少し止まる、か。
11.17.2024
[film] Mediha (2023)
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