11月3日、日曜日の晩、”Juror #2”を見たあと、Curzon Sohoで見ました。
LFFで見れなかったやつを順番に見ていくシリーズ。
監督はJacques Audiardなので、痛そうだし辛くなるかも、だったのだが、今年のカンヌでJury PrizeとBest Actress(女性のアンサンブルに対して)を受賞しているというので、見るしかないかー、と。原作はBoris Razonによる2018年の小説” Écoute”をもとにJacques Audiardがオペラ用の台本として書いたものだそう。
事前に情報を入れてなくて、なぜか中世ヨーロッパの女性ドラマだと思いこんでいて(なんで? どこで?)、現代メキシコのお話しだったのでびっくりして、更にミュージカルだったのでそれが更に倍にー。
冒頭、弁護士のRita (Zoe Saldaña)の上司もクライアントもなにもかもしょうもない女性(ではない男性)問題の訴訟とかいいかげんにして、の姿が歌と踊りで示され、そんな彼女が目隠しされてどこかに連れていかれ、悪名高い麻薬カルテルの大ボスManitas Del Monteと面談することになる。どうみてもラティーノのマチズモの大波をサバイブしてきて実際にそういうもの凄い風体と臭気を放つ彼は、ずっと間違った身体に生まれてきたことを苦しみ、その人生を後悔してきた(そういうタイプの人が犯罪組織の大ボスになれるかどうか、は少し考える) のだと。ついては、誰にも知られないように性別適合手術を受けたいので、しっかりした腕の外科医を探しだし、自分をどこかに隔離・失踪したことにして、家族(妻と2人の子供たち)も心配だからどこかに移す、この大作戦を企画・実行してほしい、報酬はたんまりいくらでも。
お話しとしてあまりに荒唐無稽で、それが突然Ritaのところに来たのも解せないのだが、あんな化け物みたいだった「男」が性別を変えたらどうなるのか? - ここにミュージカルの要素 - 歌とダンスを強引に突っこむことで、こんな世界ならこんなこともあるかー、くらいに思わせてしまおう、と。最近だと”Annette” (2021)がそんなふうだったのと同じように。
手術はうまくいったようで、Ritaも報酬を貰って解放されて、そこから4年後、再び呼びだされた彼女はどうみてもふつうの中年女性であるEmilia Pérez (Karla Sofía Gascón)と出会う。 それがかつてのManitasで、彼女は過去を隠した状態で自分の家族をこの家に呼んで一緒に暮らしたい、そして家族が失踪して悲しむ女性たちのためにできることをしたい、と言い出す。こうして再び動き出したRitaはEmiliaと一緒に失踪により生の時間が停止してしまった女性たちをケアし支援する団体を立ちあげて社会的なうねりを作っていくのだが、他方で夫Manitasが失踪した状態の妻Jessi (Selena Gomez)は悲しむどころかかつて付き合っていた男とよりを戻して、駆け落ちしようとしていて…
後半は悲劇の元を大量に作りだしていた過去の自分を、その性を反転させて、その結果のような形で多くの女性に救いと希望をもたらすのだが、自分の足下にいたex.妻だけは知るかそんなの、って突っ走り、その暴走が彼/彼女自身を... という極めてオペラティックな転換と階段おちがあって、構造としておもしろいなー、ではあった。けど、メキシコの悲惨な現実とも性適合手術のリアルともきちんとリンクしていないシュールなファンタジーとして見るなら、で、当事者からすればふざけるな、になるのではないかしら。メキシコでの反応はどうだったのだろう?
昨晩、Cursiveのライブに行く途中、道路を渡ったところで躓いて転んで膝と手数箇所を打って流血して、ライブはすごくよかったのだが、一晩寝たらすごく痛くなってきていやだ。なんでライブに行くと階段から落ちたり転んだりするのか?
11.15.2024
[film] Emilia Pérez (2024)
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