11月3日、日曜日の午後、Leicester SquareのCineworldで見ました。
94歳になるClint Eastwoodの新作。
どういう事情によるのか、なんか事情があるのかどうかすらもわからないのだが、Clint Eastwoodの新作って、駅やバスにそこそこの広告は出ているのに自分が普段行っている映画館のチェーンではかからなくて、カジノに併設された変なシネコンなどで細々とやっていたりするので、よほど意識していないと見逃してしまう – なので前作の”Cry Macho”(2021)も前々作の“Richard Jewell” (2019)も見ていない(←言い訳)。 英国での彼の扱いって、そんなものなの。理由はしらんけど。
原作はJonathan Abrams、撮影はYves Bélanger、音楽はMark Mancina。
ジャーナリストでアル中歴のあるJustin (Nicholas Hoult)には身重で出産間近の妻 Ally (Zoey Deutch)がいるのだが、ある事件の裁判の陪審員として召集される。
それはバーでカップルが喧嘩して、男性James Sythe(Gabriel Basso)の方が女性Kendall Carter (Francesca Eastwood)を殴って、女性は怒ってその場を去るのだが、男性はそれを車で追って、その晩、橋の下の河原でCarterは死体となって発見された、という殺人事件で、日頃から暴力をふるう傾向のあった男性が彼に反抗的な態度をとった女性を殺した、という一見、わかりやすいものに見えた。
出産前でいつそれが来るのかわからない妻がいるJustinにとって拘束時間の長い裁判に付きあうのは懸念もあったのだが、毎日18時には終わります、という説明を受けて陪審員をやることにする。 こうして彼は陪審員#2となる。
裁判は誰が見ても圧倒的に被告不利で進んでいくのだが、当時の状況を聞いていくうちに、Justinは自分が豪雨だったあの晩、現場の橋を車で通る時に何かにぶつかり、車を降りて確認したことを思いだす。なにも見えなかったので鹿かなにかかと思い、そのまま帰って車を修理に出したのだが、ひょっとして… という小さな疑念が審理が進むにつれて膨らんでいって止まらなくなり、ひと通りの聴取や尋問が終わり、陪審員同士の協議に入って、ほぼ全員が被告有罪で進んでいくなか、思い当ることがあるJustinはどうしても有罪、と言い切ることができず… 他の陪審員たちの「なにこの人?」を振り切って..
自分から見て無罪の可能性がある被告をどうしても有罪とすることはできず、その反対側で自分が有罪となることはなんとしても避けたい、という両極に引き裂かれたJustinの周りで起訴した地方検事補(ばりばり)のToni Colletteや、やる気がなさそうで証拠提示のミスをする公選弁護人のChris Messinaや、引退した警官で、Justinの妙な拘りをみて何かあるのでは、と勝手に調べ始めるJ. K. Simmonsなどが(彼から見て)禍々しく動きだし、結論が出ないので陪審員全員が現場に行って再検証するなど、平坦だった法廷ドラマが汗びっしょりのサイコスリラーに変わっていくところは見応えたっぷり。
陪審員の間では被告有罪が多数なんだし、子供も生まれて忙しくなるから早く切りあげたい、それなら目を瞑って有罪に入れてしまえば誰もなにも言わないのに、反対側でそちらに踏みきれない何かがあり、でもそれは善なるなにか、というものでもない。でもほんとうに鹿だったのかも知れないし… いや、彼は知っていたのだ、という方に淡々と追い詰めていくカメラの怖さ。そしてこれらが公正な裁きをすることを求められる陪審員の頭の中で起こっていること。例えば、と。
Clint Eastwoodがなんであんなにシネフィルやフランスで騒がれて讃えられるのか、ずっとあまりよくわからなくて、これを見てもそこは変わらないのだが、ものすごくおもしろくていろいろ考えさせることは確かかも。
Toni ColletteとNicholas Houltは“About a Boy”(2002)で母子をやっていたふたりで、そう思うとラストシーンがすごくじわじわくる。犯人(にさせられてしまう)役がHugh Grantだったら最高だったのになー。というおふざけを断固許さない気がするEastwood映画。
11.13.2024
[film] Juror #2 (2024)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。