11月12日、火曜日の晩、Sadler’s Wellsで見ました。
8月にEssenのMuseum Folkwangでのインスタレーション”Y”を見て以来となるAnne Teresa De Keersmaeker / Rosas作品。Folkwangのは絵画の展示スペースで演者も見る方もランダムに動きまわっていく通常のとは違うやつだったが、これはステージ上で客席と会い対するやつ。初演は2023年の5月。どこかしら”Bagavond”ふう - マンガじゃなくて映画のほう - の衣装はAouatifBoulaich。休憩なしで80分くらい。
がらんとした舞台の隅にはギターが数本立ててある、だけ。最初に男性のダンサーによるストリートダンスぽいソロの後、ギターを弾く坊主頭のCarlos Garbin、それに合わせて歌を歌う小柄なMeskerem Mees、彼らもダンスには加わって計13名がこちら側に向かって直線的な集合離散を繰り返していく。
自分が知っているRosasのダンスはダンサーの束がひたすら流れを作ってその流れに乗って乗られてという滑らかな流線の縁に沿って進んでいくものだったが、この作品のテーマはRobert Johnsonのブルースを起点とした歩くこと、彷徨うことにあるという。ギターの人が琵琶法師のようにじりじりとアーシーなギターを鳴らし、そこに小さな女性がよく届く澄んだ歌声を乗せ、それにのっかるダンスはてんでばらばらのようで垂直方向(Exit Above)への突破というか抜け道を探しているような動きを見せる。 “after the Tempest” – すべてがなぎ倒されてしまった嵐の後に人が向かうのは、動くのはあんな角度の、あんな速度の群れ - になるのだろうか。やはりどこかしらコロナの後、という印象が強く、まとまった全体・総体を見せる、というよりはこれからこっちの方、という予兆のようなもの見せているような舞台だった。
上演後、Anne Teresa De Keersmaekerを交えたQ&Aがあり、彼女が喋る姿をはじめて見たかも。
これまで約45年間で65作品を作ってきて、コロナもグループ内の虐め問題も経て、落ち着いて今とこれからを見据えている、そんな印象を受けた。
MaddAddam
11月14日、木曜日の晩、Royal Opera Houseで見ました。
翌週の出張の日程を考えると、この日を逃したら見れなくなることがわかったので、当日にチケットを取って見にいった。
原作はMargaret Atwood - 本舞台のコンサルタントとしても参加している - のMaddAddamトリロジー (2003-2009-2013) - 未読、振付はWayne McGregor、音楽はMax Richter(のオリジナル)、ナレーションで声をあてるのはTilda Swinton。初演は2020年のカナダで、これがヨーロッパでの初演となる。
スクリーンがあり、プロジェクションがあり、ライティングは滑らかに制御されていて、人の倍くらいの大きさの被り物クリーチャーが出てきて、衣装(by Gareth Pugh)はやや近未来風で、まずは↑のと比べると(比べるな)ものすごいお金がかかっていることはすぐにわかる。 パンデミック後の荒廃したディストピアで、でっかい組織のコントロールとそこからの遺棄や逃走~再生、生物・非生物をめぐる壮大な愛と絶望(と希望?)の物語 – らしきものが展開されていることはわかるのだが、自分がダンスに求めているのはその種のでっかい物語的な何かではないので、ちょっとううーむ、になった。Oryx役のFumi Kaneko、Crake役のWilliam Bracewell、Jimmy役のJoseph Sissensなど、個々のダンサーもダンスもアンサンブルも申し分ないレベルなので、ややもったいなかったかも。この原作が表そうとしていたのかも知れぬ権力やコントロール、ひとに対する制御のありようと、コンテンポラリーダンスの(おそらく自分が求める)向かうところがなんか噛みあっていないような。
Wayne McGregor & Max Richterだと、”Woolf Works”がすばらしくよかったので、ここで示された過剰さ、てんこ盛りのかんじってなんなのだろうか、って少しだけ。
11.28.2024
[dance] Exit Above - after the Tempest
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