1.13.2020

[music] R.I.P. Neil Peart

まったくとつぜんに、RushのNeil Peartが亡くなってしまった。
いちばんいなくなってしまうイメージがなかった人 - 太鼓に囲まれた風神雷神さま - でありバンドだったので呆然としている。
なにか書けることがあるだろうか、くらいのところから書いていってみよう。

Rushの初来日公演の時は高校生だったのでとても行くお金なんてなくて、でもNYでは”Vapor Trails”がリリースされた時の2002年と2004年- R30- の時にライブに行くことができて、ああやっぱりRushだ、って感動して、あとは2010年、NYに滞在していたときにTribeca Film Festivalでかかったドキュメンタリーフィルム - “Rush: Beyond the Lighted Stage”があって(2016年のドキュメンタリーの方は未見)、これを見ると現在のミュージシャンに与えた影響の大きさを伺うことができる。 このたびの訃報に際して寄せられたメッセージを見てもそれは。

彼はドラムスを叩いてバンドの主要曲の歌詞も書いた。その歌詞の重要性についてはこれからきちんとした読解が進められることを望むが、個人的には彼の偉大さはPete Townshend と同じくらいにでっかく(Peteはギタリストだけど彼の偉大なパートはKeith Moonが憑依したドラマーだと考えている)、Peteが”Teenage Wasteland”って指さしたその方にどうしても踏みだせなかった片隅にいる弱虫のいくじなし共(Freaks and Geeks)を大勢救ったのである - まあ、どちらもしょうもない男(ガキ)の世界のことではあるのだが。(Bowieは、彼らとはちょっと次元がちがう)

RushはProg-rock - プログレというカテゴリに入れられていて、プログレとは何か、というのはそれはそれで面倒な問いなのだが、従来のロックのエモーショナルで直情情動、動物に訴えるようなやり方とは異なる、それなりに完結した世界観、宗教観、歴史観などに基づいて記述された詞や観念の世界を高度な演奏技術と音楽/音響構成力で展開する/できる音楽、のようなものであるとすると、歌詞の世界の多くがSFのユートピアやディストピアのかたちを取ったりするRushの音楽はまさにそういうやつで、それは聴き手ひとりひとりに向けて本を読むようなパーソナルな経験として届けられて(だからみんなヘッドフォンで聴く)、コマーシャルな音楽のありようからもメディアのプッシュからもほど遠いのにライブでは人が集まってあんなにすごいことになる。

でもRushのはそんなに難しいやつではなくて、基本は目覚めよ! って79年の時点でひとりひとりにhonestyやintegrityを訴えているのはパンクの横に並べて聴いていてもそんなに違和感はなくて、他方でこのやり方でずっと続けていくことの難しさをどこかで彼らも感じていたのだろうか、ステージ上にランドリーのぐるぐるを置いたり、オールドロックのスタンダードに繋げたりやや自嘲的で散文ぽい流れも出てきた気がして。 それでもR50の到来を楽しみにしていたのに。

ご冥福をお祈りします。 安らかに。でもどかどかうち鳴らしてね。

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