12日、日曜日の夕方、BFIのFellini特集で見ました。 タイトルの英語字幕は”The Bullocks”って出て、原題をそのままGoogle翻訳にかけると「 仔牛」となる。 邦題は『青春群像』。
この特集で見る2本目で、この特集でかかるやつは昨年に生誕100年でリストアされたばかりのぴっかぴかのやつら、であるらしい。
イタリアの海辺の町に5人の若者(ガキ共)がいて、その中で一番若いMoraldo (Franco Interlenghi)を語り手として、彼ら - ①女たらし、②お祭りやろう、③ドリーマー、④文学おたく、⑤お悩み坊主 - どいつもこいつもぱっとしない - が田舎の地元でもしゃくしゃしていた時代とそのエピソードを繋いでいく。 80年代以降、だれでもどこでも作られるようになる箸にも棒にもトイレットペーパーしか引っかからない系ティーンムーヴィーの源流にあるような作品かも(ただしドラッグぬき)。
町の夏祭りのミスコンでMoraldoの妹のSandra (Leonora Ruffo)がミス・マーメイドに選ばれるのだが彼女は具合が悪くて失神してしまい、なんでかというとFausto (Franco Fabrizi)の子を妊娠していたからで、Faustoはしぶしぶ観念して彼女と結婚して働きに出るのだが、勤め先の親分の奥さんに手を出そうとしてクビになり、その後も浮気をやめないので呆れた妻子は家出して町中大騒ぎ、とか5人のそれぞれに、この世のそこらじゅうのひとりひとりにも思いあたるところがある - 普遍的にしょうもなさそうな - バカは死ななきゃ寄りのエピソードが綴られて、だからそれがどうした? なんてことはもちろんなくて、それらがその騒動の周囲にいた人々の表情挙動情動もまるごと含めた一枚の写真を構成してしまう - だいたい夜中で、行列していたり横並びしていたり、その向こうには海とか路地とか、たまに大雨とか - のはすごいなと思った。
そしてそれらの写真は、ラストで町を去ることにしたMoraldoの視線 - 駅のホームと彼を見送る町の少年が画面の奥に遠ざかっていく - と共に永遠のものになる。ぼくはここを出ていくから、というのと、ほんとうに行っちゃうの? ていう奴のせめぎあい。遠ざかっていくのはどちらの方なのか、それを決めるのはきみで、決めることで写真とかスクラップブックがずっと残る。
グランドでダイナミックなドラマなんかなくたって、こんなふうな柱の傷とか壁の落書きのように残すことができる物語はいくらでもあるのだし、そっちの方がおもしろかったりする、ていう最初に誰がやったのかわからないけど - 発見はこのあたりから、なのだろうか。 夜は明けるし夢は醒めるし、でもその刻みさえあれば、お話はいかようにでも、えんえん転がしていける。
そしてときに祭囃子だったり行進曲だったり哀歌だったり、ラジオのようにずうっと横で流れて耳に入ってくるNino Rotaの音楽もすごいの。 彼の音楽を聴くと、なにを食べたっておいしいイタリア料理、みたいなのが浮かんでくる。そして飽きないったら。
1.19.2020
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。