1.15.2020

[film] 1917 (2019)

11日、土曜日の昼にBFI IMAXで見ました。こういうのはやはりでっかいところで見て震えないと。

第一次大戦中、今から100年くらい前、1917年の4月6日、フランスの北の方の前線のあたり、菜の花の咲くお花畑で寝っ転がっていたふたりの兵士 – Will (George MacKay)とTom (Dean-Charles Chapman)が呼び出されてテントに入ると、司令部のGeneral Erinmore (Colin Firth)がいて、現在撤退しようとしているかに見えるドイツ軍の動きって実は罠で、それを真に受けて明け方に突撃を仕掛けようとしている英国軍は逆に一網打尽にされてしまう可能性があるから、向こう側に突撃をやめるようメッセージを届けてほしい、と。乗り物では行けないし無線も電話もないから飛脚で。時間もないからすぐ行って、と。そこの前線に兄がいるTomは二つ返事で受けるのだがWillはこんなの危険すぎるからやめよう、って言って、でもTomはすたすた早歩きで先に行ってしまう。

こうして泥とかぐちゃぐちゃとか廃屋とかそこに置いてあった爆弾とか泥に埋まった死体とかそれに群れている鼠(でっかい)とか蝿とか牛とか、こっちから突っこんでいるのか向こうからやってくるのか、いろいろ現れてくるいろんなのを避けたりかわしたりぼろぼろになりながらも、とにかく進んでいく。

そのふたりの道中をワンショットで切れ目なく流し続ける、というのがこの映画すごい!のポイントになっているみたいなのだが、そこはそんなでもない、というかRoger Deakinsさすが、くらい。

すごいと思うのは、自分たちが正面から突撃したり戦闘したりするわけではない、どちらかというと端役で割と簡単に思えたただの飛脚 – 味方のいる地点Aから味方のいる地点Bまで – の任務遂行にここまで戦争の得体の知れない気持ち悪さ、恐ろしさをこれでもかと盛り込んでいることで、その地獄めぐりに見ている我々を強引に引き摺りこむ、その磁場とか重力みたいなやつなの。
最近の戦争映画では『野火』(2014)あたりに近いかも。 あの映画ではネガティブな敗走で、この映画のはポジティブな任務行動なのだが、歩いたり走ったりしていくその先々に無数の死者たちが群れたり沈んでいたり浮かんでたりしつつ死が歩み寄ってくる、そういう構造とか。相手にするのは敵、ではなく既に死んだ者たち、死そのもの、というところとか。これまで好んで描かれがちだった「戦争の狂気」のようなのはあんまなくて、ただの「死」がそこらじゅうに - 桜が咲くふつうの平屋の平地に - いっぱいある。

ほんとうはもっと発狂したくなるくらい凄惨であってもよかったかも。 最後の300ヤードの疾走なんて、手に汗握るし見事だと思うけど、スポーツを見ているような感覚になったりもするし。 どうせなら時間も同軸にして、6〜7時間くらいそのまま流していってもよかったのではないか。なまの戦場の時間がどんなものかわからせたかったのであれば。

日本でもようやく公開されるらしいPeter Jacksonのドキュメンタリー映画 - “They Shall Not Grow Old” (2018)  も合わせて見てほしい。 ここで映し出される平原と泥ぐちゃでところどころ死体が埋まってて腐臭が漂ってきそうな空気や地面は似ている、というか同じ戦争だからなー。

Peter Jacksonの祖父は第一次大戦に従軍していて、Sam Mendesも祖父から聞いた話をもとにこれを作ったという、こんなふうにヨーロッパの人たちにとって第一次大戦は、まだぜんぜん過去のことではない - 過去にして片付けようとはしていない - のだな、って。

そしてあんなふうにうち棄てられた死体たちの上にようやく建てられたのがいまのヨーロッパなのであるから、それを死守するのは今を生きる我々の義務なのだ、ってふつうは思うよね? 

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