18日、土曜日の夕方、BFIのFellini特集で見ました。英語題は”Nights of Cabiria”、邦題は『カビリアの夜』。
上映前に映画作家のCarol Morleyさんを交えたイントロがあった(彼女の”Out of Blue” (2018)はPatricia Clarksonの探偵がとってもかっこいいノワールだったの)。 映画作家としてのFelliniはでっかすぎてどこがどう好きとか言えるもんじゃないわよ、というのが結論になる。 この映画のエンディングについては - (客席から言っちゃだめーの声が多数沸いたので結末は言わずに)、わたしはあれはポジティブな方だととらえている、って。
ローマのはずれのバラックみたいなところ(あの場所、いいなー)で仲間とつるんで暮らす娼婦のCabiria (Giulietta Masina)は威勢よくフラれて溺死しそうになったりしていて、それでも彷徨っていると拾われたお金持ちの映画監督の家で冗談みたいな一夜 - 喧嘩した彼女が戻ってきたのでずっと狭いところに軟禁 - を過ごしたり、教会でじーんとしたり、マジックのショーで舞台に上げられて笑いものにされた後、おどおど話しかけてきたOscar (François Périer)と仲良くなって、彼はどうみても堅気だしいつも食事おごってくれるし過去のことも根掘り葉掘りしないし、って浮かれていると来た!ってかんじで結婚しよう、って言われちゃったので、家財一式売り払って現金にして、仲間に旗をふられてうきうきと彼のところに行くと..
このストーリーはどこかで… と思ったら昨年10月のLFFで見事なリストア版が上映されたBob Fosseの”Sweet Charity”(1969)、これのオリジナルはこの作品だったのね(FelliniやPier Paolo Pasoliniらによる共同脚本をNeil Simonが書き直し - 脚色っていうのか? している)。Cabiria (Giulietta Masina) → Charity Hope Valentine (Shirley MacLaine)、どちらもショートヘアでひどい扱いや境遇にめげずに元気いっぱいなのだが、このふたりを並べてみることにどんな意味があるのだろう? って少しだけ思った。 10年を隔てて全く異なる都市で、ああいうことが連鎖して起こることについて。 そういえば”Sweet Charity”にはエンディングがふた通りあるのだった - LFFでは両方見ることができた。
これってずっと日々続いていく同じ町、同じ通りの、でも決して同じでない夜に起こったいろんなことを繋げていくのだが、『甘い生活』のMarcelloが経験する夜のあれこれとはやはり違う。どっちがどう、とか問うのって意味ないのかもしれないけど、どっちが幸せかなあ、とか、Cabiriaのぴょんぴょこ踊りを見ると思ってしまう。 あんなふうに踊れるってそれだけでとっても素敵だしすばらしい、って。
ぜんぜん関係ないけど、Terry Jonesの訃報も悲しいけど、NYのFairway(グローサリーストア)が倒産してなくなるかもしれないことがショックで悲しい。ローストチキン、ほんとうにおいしくて大好きだったのになー。
1.22.2020
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。