14日、水曜日の晩にBFIで見て聞いた。ここではたまに特集のテーマに合わせたレクチャーとかトークもやっていて、これもそのひとつ。講師はこのために米国から来たというMiriam Bale女史。
大きなテーマはタイトルにあるようにScrewballコメディにはどういう要素があってそれはどういう(社会)状況のなかから出てきたものなのか、ていうのと、そこでのCarole Lombardの登場はどう絡んできたのか、作品の紹介をしつつ彼女のプロファイルやキャリアについても順番に追っていく。約60分。
最初に”My Man Godfrey” (1936)の冒頭のスラム街にお金持ちがスカベンジャーハントにやってきてGodfrey (William Powell)とIrene (Carole Lombard)が出会うシーンを映して、ここにひとつめの要素があると。30年代の大恐慌後を背景に大金持ちと貧乏人の ふたつの階級(クラス)が衝突して双方に混乱をもたらす、と("Fast and Loose” (1930)なんかもそうね)。 ふたつめはこれに近いところで人間と動物 - 動物並みにしょうもなくなった人間とか人間みたいな振る舞いをする動物に勝てない人間とか – 彼女の作品ではないけど“Bringing Up Baby” (1938)? みっつめがヘイズコードの導入が背景にあると思われるジェンダー間のセクシュアルな衝突とか混乱とか。
衝突によるscrewといっても単にどーんてぶつかるだけではだめで、それがscrewballとなってつむじ風ときりきり舞いを巻き起こすには恋による発熱とか火花とかドライブとかが必要で、出会いがしらいきなりとか病気のようにじわじわ来るのとか、きっかけはいろいろなのだろうし、恋が先なのか事故が先なのか、恋ってそもそも事故みたいなものだ - なんていうこともできるのだろうけど、いろんな様相・局面でのギャップや衝突を起点に当事者たちが思ってもみなかった方向に事態が転がって収拾つかなくなって、なのに最終的にはふたりが(見ているみんなが)狙ったり想ったりしていたところに曲芸みたいに着地して、めでたしめでたしになる。
見ていた我々は、はっ? 今のはなんだったのかしら、って我に返る。
別のかたちに単純化していうと、ぜんぜん身分とか立場が違う男女がぶつかって、(大抵は)女の方が笑いながら男の方のプライドとか地位とかをずたぼろのずるむけのすっからかんにしちゃってどうしてくれる、になるのだが女の方はべつにいいじゃんあたしがいるでしょ、ってうちのめしちゃうの。 今の時代にこれほど必要とされているコメディはないかも。
彼女の12歳のときの”A Perfect Crime” (1921)のスチール写真とか、”No Man of Her Own” (1932)のセクシーライブラリー(笑)のシーンとかはいちいち納得で、でもやはり“Nothing Sacred” (1937)で、彼女が川に落ちた後にFredric Marchにも落ちてしまうところとか、”To Be or Not to Be” (1942)で楽屋を訪ねてきた若い将校にめろめろになってしまうところを続けて見てみると、この人の恋に落ちる演技ってものすごくて、ゾンビに噛まれたり未知の病原体に襲われたりしたヘンなヒトに見えないこともないけど、彼女にあんなふうに向こうからやってきたら世界はひっくり返るしかないし、恋というのはそういう経験なのよね、って改めて。
この特集のイントロとかで繰り返し聞かされてきたけど、キャリアの絶頂期に突然亡くなってしまったことが本当に惜しまれる。これまで、ここまでさんざん振り回してくれたのになにさ! って泣き崩れてしまうくらいに残念だわ。
今の時代のCarole Lombardって誰か? の議論はいろいろあって、いろいろあってよいと思うけど、まあ答えなんてないよね。 唯一無二っていうのは..
”To Be or Not to Be”、もういっかい見たくなった。(のでさっき見てきた)
1.20.2020
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