1.08.2020

[film] Long Day's Journey into Night (2018)

12月31日 - 何曜日だとか意識しなくていい大晦日の午後、CurzonのBloomsburyで見ました。ここ数年、大晦日は家に溜まって積もったゴミとか紙束を見てはいけない見ないほうがいいよ、って外に出て、それよりおっかなそうでやばい映画を見るようにしている(そこになんの意味があるというのか)のだが、今年は適当なホラーみたいのがなかったのでこれにした。

Eugene O'Neillによる同名の戯曲とはなんの関係もなかったのだが、タイトルとしてはこれしかないかんじはした。

(堅気の仕事人ではなさそうな)Luo (Huang Jue)が父の死の報を受けて20年ぶりに故郷の凱里市に戻ってきて、彼の遺した店のことなどをやりとりしていると、古い壁掛け時計の裏に古い写真を見つけて、その写真に写っていた幽霊のような女性を探して、彼女の面影を求めてあちこちを彷徨い始める、のだが探していく過程であの時のだれか、だれそれを知っているなにがし、死んでしまった昔の友人、その母とか振りむいてくる女性、などなどが挟まってきて、自分が探しているのがどこの誰でどんなふうなのか、断片ばかりなので見ている方はわからなくなってきて、でもLuo本人にはわかっているみたいなのでいいのか、と思っていると彼は映画館に入って、そこで映画が始まる。

そのタイトルは”Long Day's Journey into Night”っていう、最後の50数分間、3Dカメラのワンショットで撮られた映画で(上映は2D。3Dだったらどうなるか?)、これが映画の本編でもあって、そこまでの映画がつぎはぎだらけで過去と現在が入り乱れる現実の世界を描いたものであるとすると、ここからはすべてが満たされた(満たされているように見える)夢の世界に入ってくる、のかしら。どこかの境内ような場所で、カラオケとか演芸大会をしている縁日の様子がぐるりゆっくりと映されていくだけなのだが、その生々しさ、すべてがそこに降りてきているような感覚のありようは「夢」としか言いようがないやつで、おもしろい。

まあ、他人の夢なんて知るかよどうでもいい、ていうひとにはおもしろくもなんともないやつなのかも知れないが、ノワールの体裁を取りつつ、幻影や亡霊や化け物の力を借りずに夢 – 夢に出てきた女性を追う、っていうのが類型的すぎる気はするけど & 全体にちょっときれいすぎる気はするけど - それなりの説得力はあるかも。アジアのエキゾチシズムをくすぐってくるところもあるのでApichatpong Weerasethakulなんかと一緒にされてしまうかんじがないとは言えないが、彼の作品世界ともまたぜんぜん違う。あの世とか、あの世と繋がったどこか、の話ではなくて、いまここ - 手元で転がって果てのない夢 - その夢が満ちてくる夜に向かっていく旅の話なのだと思った。

監督が89年生まれと聞いて少し驚いて、だって何度か聞こえてくる中島みゆきの歌(だよねあれ? よくわかんないけど)とか、字幕にでてきた(気がする)Momoe Yamaguchiとか、やっぱり彼岸から来た映画なのかなあ。

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