1.14.2020

[film] Jojo Rabbit (2019)

8日、水曜日の晩、Picturehouse Centralで見ました。
監督は“Thor: Ragnarok” (2017)のTaika Waititiで、彼はこの作品でも初期の”Boy” (2010)でも – これはとてもよい作品 - 主人公(の男の子)と父親との関係をずっと描き続けている気がする。

第二次大戦末期のドイツでJohannes "Jojo" Betzler (Roman Griffin Davis)はママのRosie (Scarlett Johansson)とふたりで暮らしていて、父はイタリアかどこかの戦場に行ったまま消息を絶ち、姉はインフルエンザで亡くなっていて、ママは不在のことが多くて、彼のところには想像上の父親だか友人だかのAdolf Hitler (Taika Waititi)が頻繁に現れて横で騒いでくれたり励ましてくれたりする。

でも子供たちのためのナチスの学校に行ってもJojoはドジでウサギを殺すこともできない臆病者って虐められてばかりで、そのうち間抜けな事故で大けがをして自宅に戻された彼は、そこの隠し扉の奥に潜んで暮らしていたElsa (Thomasin McKenzie)と出会ってびっくりして、始めはJewじゃないか、って反発したりするのだがだんだん仲良くなっていく。

並行して留守のまま何かをしているらしいママのこととか、よくわかんないけどかっこいいCaptain (Sam Rockwell)がいたり、お家の中に捜索が入ったり、戦局が変わって家の周囲でも爆撃がひどくなってきたりいろいろあって、Elsaとたったひとり彼女を匿うJojoはどうなっていくのか。

酷くてしんどい大人の世界から離れて自分たちだけのユートピアに向かおうとする子供たちとその周囲の変てこな大人たちを描いたドラマとしてはWes Andersonの“Moonrise Kingdom” (2012)なんかがあって、そのカラフルで儚いかんじが始めは近いのかも、って思ったりもしたし、そういう子供たちにとっての戦争を描いた映画があってもよいとは思うのだが、でもやはり、ナチスがあれだけ正面に出てきて、アンネ・フランクみたいなElsaがいたり、街や家が壊されたりしているのを見ると、これは絵空事として済まされるものでもないのではないか、って。

ああいう戦時下の子供たち、というと映画でまず思い浮かべてしまうのは、自ら成長することを止めてしまった”The Tin Drum” (1979)のOskarなんかで、要は(笑えるところはいっぱいあるし、彼は笑いたいのだろうし、笑ってよいのかもしれないけど)あんまり笑えない。 あんなふうにダンスをすることもできないまま、親とお別れをいうこともできないままに亡くなっていった沢山の子供たちがいたことを振りきってしまうことができない、っていうあたりが(少なくとも)英国でのレビューがあまりよくない背景にはあるのではないかしら。

もちろん、あの厳しく辛い時代、彼らなりに逞しく懸命に生きた子供たちを描いたドラマとして、多くの人たちが絶賛するのはわかる。 けど、ヨーロッパの人たちにとって、ナチスのことって、本当にまだ生々しい、忘れてはいけない傷に向かい合うことでもあるのではないか、って。(にっぽんは?)

Elsa役のThomasin McKenzieさんは“Leave No Trace” (2018)でも大人社会から隠れて逃げて居場所を見つけようとする役だったねえ(しかも、ここでもうさぎが..)。


毎年のオスカーもオスカーの候補選定も、べつにどうでもいい行事なのだが、今年ほど自分の好きだった作品がことごとく徹底的に無視された年はないので、なんだろうな? って思っている。 もちろん、だーれも悪くない、の。

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