こっちから先に書く。『ファニーとアレクサンデル』
27日の土曜日の午後、BFIのベルイマン特集で見ました。 311分版で、今回の特集では2回しか上映がない。
14:30に始まって、17:20から1時間の休憩が入って、21時少し前に終わった。
日本で公開されたときは岩波ホールで見てものすごく面白かった記憶があるのだが細部はぜんめつ状態で、35年なんてこんなもんよね、てしみじみした。 けど冒頭のAlexanderのように寝転がって人形劇にのめりこむように見てしまうおもしろさは変わらない。
1907年のウプサラのお屋敷に暮らすAlexanderが留守番していると死神が横切ったり居間の彫刻が動いたりするのが見える、ていうプロローグから、劇場をやっている一家 - おばあちゃんを頂点に3人の息子のそれぞれの家族と大勢の召使いが集まって朝まで続くクリスマスの宴 - 寸劇があって延々続く食事と乾杯があってそれぞれの家族で別れる別れたい別れてくれもういいかげんにして、とかいろいろてんこもり - の第1部 – “The Family Celebrates Christmas”。
FannyとAlexanderのパパで劇団の座主であるOscarが稽古の途中で倒れて亡くなって、死の恐怖と悲しみに家族がうちひしがれる(Emilieの絶叫すごし)のだが、Oscarは普通に屋敷のなかにいたり歩いていたりAlexanderのほうをじっと見たりしている - の第2部 – “The Wraith”。
未亡人となったママのEmilieは同様に妻子を亡くしていた司教のEdvard Vergérusと結婚して、式のあとでFannyとAlexanderは彼の家に連れられていく。はじめはいい人に見えたEdvardだったが、彼の家の家族も召使いも冷たい変態ばかりで誠実そうに見えた司教はとんでもないDV野郎だった.. ていう第3部 – “The Breakup”。
ここまでのクリスマス - お葬式 - 結婚式という儀礼を通して家族のありようを学んだ子供たちに、慣れ親しんだEkdahl家とはまったく異なる司教の家で試練が降りかかる夏。最初にEmilieはおばあちゃんのところに出向いて子供達が虐待されてて危ない、離婚を申し出てもだめ、わたしは妊娠しているしどうしましょう、て泣き崩れる。いんちき司教野郎にひとり果敢に立ち向かうAlexanderはお尻叩きの刑と幽閉と、おまけにそこの家の姉妹の亡霊までやってくるのでぼろぼろで、でも負けるもんか、の第4部 – “The Summer's Events”。
子供達を救うべく一家の友人Isak Jacobiが屋敷に乗りこんで魔術を使ってふたりを救い出し(ここ、すごく好き)彼の屋敷に匿うと、今度は二人の伯父 - Emilieの義弟たちが乗りこんで司教に離婚を迫るのだが司教は冷笑して取り合わず、奥からやつれたEmilieも出てきていいのよ、ていう。のだがEmileの恨みは思っていた以上に根深くて、このあとに想像を絶する惨劇が… の第5部 – “The Demons”。
Emilieは劇団を再興すると言うし、新たな赤子も加わって全てが元に戻ったかのような団欒のなかにあるEkdahl家だったが、Alexanderだけ、司教の亡霊に後ろからどつかれたりしている.. というエピローグ。
ベルイマン自身の幼年期(の終わり)をテーマにした「失われた時を求めて」であるので、いくら上のようなあら筋を並べていっても画面上に溢れて流れ続けるいろんなイメージやその断片の豊かさを書ききれるものではないの。じっくり見れば見るほどいろんなものが(奥のつきあたりとかから)現れてくるような気がする。
家族を成り立たせているいろんな愛とか掟とか慣習とか、キリスト教と異教(ユダヤ教)とか、人の演劇の舞台と人形劇の舞台とか、それらすべてを包摂するかたちででっかいお屋敷が聳えていて、生者の世界と死者の世界の行ったり来たりがあって、それらはずっと続いているやつのようで、とめどなく流れていって(Love Streams..)。
最後におばあちゃんがストリンドベリの” A Dream Play” (1902)のNoteを朗読するのだが、”A Dream Play”はベルイマンのこの後の作品” After the Rehearsal” (1984)でも上演が企てられていた(ことを知ったのは昨年みたIvo van Hoveの同名の劇で)。
“Everything can happen, everything is possible and probable. Time and place do not exist; on an insignificant basis of reality the imagination spins and weaves new patterns.” (← とってもベルイマンなかんじ)
子供たちを救いだしたIsakの家に「病気」で隔離されているIsmaelとAlexanderの会話が印象に残るのだが、ここで思い出したのがデプレシャンの“Kings and Queen” (2004)のやはりちょっと狂っているIsmaël (Mathieu Amalric)で、そういえばデプレシャンの映画に出てくる家族って、ここのに近いかんじがするなあ、とか。
BFIの隅のスペースでこの映画の企画展示をしていて、ベルイマンが映画のために作ったスクラップとか、コスチューム・デザイナーが人物/場面毎に着る衣装の端切れを時系列にチャートにしたやつとかいろいろあって、おもしろいの。(今日行ったらもう終わってた)
1.31.2018
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