20日の土曜日、公開初日の初回に恵比寿で見ました。『ライオンは今夜死ぬ』
なんか新作の映画も見たいなー、だったところに諏訪監督の『ユキとニナ』(2009)は大好きだったので、これ見たいかも、と。
照明が落ちたところでいきなり映画泥棒のあれが流れ始めたのでああこれだほんとやだ、と帰りたくなる。映画上映前にあれを流しつづけることでどれだけの金がじゃぶじゃぶ業界団体みたいなとこに流れていくのかしらそっちのほうがよっぽど泥棒じゃねえかくそったれ、て改めておもった。
南仏で映画を撮っている老俳優のJean (Jean-Pierre Léaud)がいて、共演する女優さんが年下の恋人との恋煩いで動けなくなり撮影が休止になってしまったので、花束を持ってかつての知りあいの女性のところに会いにいくと、再会できたその女性は、あなたが会いたいのはきっと別のひとよね、と猫のように追い払われて別れるとJeanはそのまま大きな廃屋のようなところに入っていって、そうするとそこの部屋には若くてきれいな女性が現れて、ああJuliette (Pauline Etienne)、君は生きていたんだね、と再会を喜ぶの。
これとは別に、いろんな機材を抱えて映画を撮ろうとしている子供たちのグループがいて、その廃屋に行ってみたらJeanが寝ているのでびっくりしてあのじじいはなんだ? になる。
おっかなびっくりで会話を始めて、老人と子供たちはだんだんに距離が縮まっていって、子供たちは老人に映画に出て貰えませんか、と言って、なら脚本を持ってきなさい、というやりとりの後、彼らは一緒に映画を作り始める。
子供たちの映画はゴーストハンターが出てくるやつで、そういえばJulietteは頻繁にJeanのところに現れるようになって、Jeanはだんだん弱っていくようにも見えて、果たして子供たちはゴーストをやっつけることができるのか(… そっちじゃないよ)。
怪談、幽霊譚になろうとしたのになにかを掛け違えてでんぐり返った痛快なやつ。池の真ん中でJulietteは明らかに戸惑って彼をじっと見つめる。あんたまた来てくれないの? って。
冒頭、明るい陽光の下でこっちを向いて、死とは出会いである、とJeanは言ってしまうので、映画はその線で、様々な出会いとして現れてくる「死」を映しだしていく。また会えるからとか、繋がっているからとか、いろいろな言い方はあるのだろうが、ここのは、恐れることはないのだ、と言っている – それを死ぬ当事者だけでなく、それを受けとめるその周りの人たちにも。 幽霊もライオンもこわくはないし、どのみちライオンは今夜死ぬのだから、と。
それにしても、昨年見た“La mort de Louis XIV” (2016) - 『ルイ十四世の死』 - と比べる必然なんてないことはわかっていても、あまりの符合や乖離に溜息がでてしまう。召使からなにから、あの暗い寝室にやってくる全ての者を闇の沼に引きずり込んで微動だにしない亡者としての王と、向こうからやってくるもの全てに花を渡し、陽の光に曝して歌を歌わせてしまう好々爺と、どちらも死を前に一歩も怯むことはない。それをかつて恋に狂う亡者であり、恋のためならいくらでも死んでみせたJean-Pierre Léaudが、いいか恋ってやつはこうやって自爆して果てるもんで、どっちにしたって死んじゃうのさ... いやそうじゃないそれは出会いなんだ、どっちにしても。 とか言いながら、演じている。「演じている」、でいいのか? くらいの揺るぎなさでもって。
犬ころ(フレンチブル?)がかわいー。ライオンもでてくるけど。
というようなことを書いていても、Mark E. Smithの死には立ち直れないくらいがっくりきている。
今の英国の、世界中の歌い手のなかで、彼のべらんめえな歌い回しが本当に大好きだった。
11月に延期になったライブは延期なんだから、とずっと言い聞かせていたのに。
ご冥福をお祈りします。 とかもう書きたくないよ。
1.25.2018
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。