6日、土曜日の夕方、BFIのベルイマン特集で見ました。”Summer with Monika” -『不良少女モニカ』(?) 。
ストックホルムの工場とかが並ぶ下町で配送の下働きをするHarry (Lars Ekborg) と17歳のMonika (Harriet Andersson)が出会ってあっという間に恋におちて、どっちも親はうざいわ生活はどんづまりだわやってらんないわ、と二人で家出してボートで町を飛びだして小島がいっぱいあるあたりで魚を釣ったり葉っぱをむしったりごろごろしたりふたりだけの夢のような夏の日々を過ごすのだが、やがてMonikaは妊娠したっぽいとかいうし、野食ではないふつうのお肉を食べたいよう、とか言いだしたので下界に降りて結婚して、Harryは働きながら資格を取るために夜学に通い、MonikaはHarryのママに手伝って貰いながら家事育児をすることになることになる。でもそうなったらなんで昔みたいに相手してくれないの遊んでくれないの? てMonikaは荒れて怒って、結局子供を置いて出ていっちゃうの。それだけなの。
恋におちた二人が嫌な世界を飛びだして夢の時間を過ごしたあと、現実に戻ってきたら冷めて互いに失望して別れてしまう – それこそリンゴが木から落ちる、みたいに典型的すぎるお話でなんの面白味もないかんじもするのだが、Monikaのいた夏 - あっという間に過ぎてしまった楽園としての夏 - をこれでもかの輝ける理想の地 - でもきらきらではなく地続きの - として描くことでこの映画の目指すところは達成されている気がして、それのどこがいけないのかしら、て思った。
恵まれないふたりの逃避行、というと”They Live by Night” (1948)にしても”Badlands” (1973)にしても強く結ばれた愛の反対側で犯罪にまみれて地獄にまっしぐら、に向かいがちなアメリカ、のよりはどこにでも転がっていそうな、誰にでも起こりそうな話、自分の記憶のどこかにあった気がする話、としてこの話はいいよね、て思った。
Monikaがロースト肉をかっぱらうところはおもしろいよねえ。
それにしてもこの邦題、こないだの『悪魔のような女』といいこれといい、邦題がしょうもないのは大昔からなのね。『モニカがいた夏』でいいじゃん。Monikaが「不良少女」だったとしてそれがなにか? だよね。 ほーんと大きなお世話だわよ。
(仮にHarryの方が家を捨てたら「不良男子」て言うか? 言わないだろあんた?)
映画終わってシアター出るとき、若い女性3人組が「あたしモニカ、別にいいと思うな」「あたしも~」とか堂々と言ってて、ああそうだよね、それでいいのよね、て思った。
1.23.2018
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