11日の土曜日の午後、SOHOのCurzonで見ました。
"The Lobster" (2015)の監督Yorgos Lanthimosの新作。
"The Lobster"って、なかなか割れない噛みきれないロブスターみたいな変な映画だったが、これも相当変てこで、おもしろいおもしろくないでいうと、おもしろい、のかなあ - とにかく画面に釘づけにされ続けたことは確か。
Steven(Colin Farrell)は優秀で高名な心臓外科医で、妻のAnna(Nicole Kidman)はなんたってニコールだし、娘のKimも息子のBobも美しくてかわいいし一軒家もすばらしいし、そんな彼がMartin (Barry Keoghan)ていうちょっと変わったふうの若者 - 挙動からすると神経発達症群-自閉症のかんじ - と頻繁に会ってDinerで食事したり、腕時計の贈り物をあげたり、家に呼んで食事したりもしている。 MartinはStevenになついて昼間もしょっちゅう病院に会いに来たりして、Stevenは嫌がったり叱ったりすることなく、Martinの言いなりになっているようにも見えて、彼の地位とか立場とかからすると明らかにおかしいような。
それってどうして? 過去になにがあったの? ていう話が亡くなったMartinの父とStevenの仕事のあいだで明らかになっていくのと、Bobがある日いきなり腰から下が動かなくなり、やがて食べ物をいっさい受けつけなくなる - 精密検査してもどこにもおかしなところは見つからない - ということになり、間を暫く置いて今度はKimにも同じことが起こって、これはいったいどういうことだ? になる。
そうなったとき、家族で団結してこれに抗する、みたいなことにはならずに、StevenはStevenで、AnnaはAnnaで、KimはMartinと恋におちてたり、てんでばらばらで、でも事態は進行していって、やがて。
"The Lobster"の世界と同じように、これはそういう世界のお話しなのだと思えばよいだけのこと、なのだがロブスターになっちゃう話ほど荒唐無稽ではない、たんなる超常現象と呼べないこともないような、それを切り取るときのホットなところとクールなところ、気持ちわるいところとそうでないところ、どうにかなりそうなとことそうでないところ、のバランスというか線の引き方がうまい、ということではないだろうか。
ホラーだったら「なんじゃこれ!」とか「ぎゃーっ!」てなるところを誰もそういう想定された動きをしない、気がついたときにはもう起こっている、あるいは誰かがなんかやっていてどうすることもできない。 これがもたらす冷たく凍った世界の感触は、いまの我々の世界と地続きのそれで、"The Lobster"をドライブしていたのもそんなような動物的に神経反射してしまう非情ななにかで。
"The Beguiled"(2017) に続いてColin FarrellとNicole Kidmanが対峙して睨み合ってColin Farrellがぐさぐさにされるやつかと思ったらそんなでもなかった。でもNicoleの凍った表情と演技はそれだけでじゅうぶんおっかないったら。
"Dunkirk" (2017) でCillian Murphyにあっさり殺されてしまったMartin役のBarry Keoghanの不気味さ、異様さが際立ってすごい(スパゲッティ..)。 漂白されたようなハイソな家庭内に置かれると特に際立つ。 彼、これからPhilip Seymour Hoffmanみたいになっていくのではないかしら。
このお話しはStevenとAnnaの視点が主だったけど、Kimの視点で見たらどうなったか、ていうのは見てみたい。変てこ青春映画になったに違いない。
これの後に"Paddington 2"を見たので、鹿 → 熊になった。
11.17.2017
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。