11.01.2017

[film] Blade Runner 2049 (2017)

28日、土曜日の晩、PiccadillyのPicturehouseで見ました。 もうでっかいシアターでの上映はほぼ終わり状態。

他に見たいのがいろいろあったりしてつい後ろまわしの後ろ向きになっていた。
オリジナルの82年のは公開時に見ているのだが、Director's Cut (1991)は見てない。 当時、べつにあんましすごいと思わなかったのね。
でも周りは割と褒めたり熱狂したりしてて、ふーん、だった。 要はディストピア的世界観を細部に至るまで精緻に緻密に表現している、ということらしかったが、映画がなんらかの世界観を表明するのなんて当ったり前のことだし、その程度がどうかなんて、そこらの田舎のあんちゃんがファッションをつま先から髪の先までぎんぎんにきめて粋がるのと変わんない気がした。 都市が道頓堀だの歌舞伎町だっていうのも、だからなに?(大文字)としか言いようがなかったし、レプリカントが云々、にしても既にGary Numanを通過していたので、相手が人間だろうがレプリカントだろうがめんどうでうっとおしいのも危険なのも変わらない、そんなのどうでもいいじゃん、だったの。 (←すげえやな奴だよね)

そういうわけだったので続編がどんなにすばらしい、と言われても、そういうことを言うのは最初のをすごいって言ってた連中に決まっているし、上映時間164分もあるし、とかいろいろ躊躇してて、でも評判よいらしいしねえ、くらい。

舞台は2049年で、前作からの間にレプリカントの製造会社が変わったり、大規模なブラックアウトがあったりしたらしいが、旧型のレプリカントを狩る作業はまだ続いていて、LAPDのK (Ryan Gosling)もその狩る側のひとりで、でも彼自身もレプリカントらしい。 ある日、旧型をやっつけたらその傍の樹の下になんか埋まっているのがわかって、掘り出してみたら鞄に入った人骨で、さらに調べてみたらそいつは産後ので、でもその骨はレプリカントのだった.. レプリカントが子供を産んだりするのか、そんなわけないじゃろ、とデータ掘りを含めた大騒ぎがはじまるの。

ここに旧作のDeckard (Harrison Ford)が出ていることを既に知っているので、あーこの骨はRachaelのなんだろう、とか、じゃあその子供は? とか、その記憶は? とか、それらはKの出自とどう関わってくるのか? とか、それがレプリカント側にとってなんで大変なことなのか? とかいろいろ考えさせるようにはなっている。 けど、基本は人間のミラー(であり奴隷)であるレプリカントの製造工程で見えてくるユートピアとディストピア、その当初想定と結果、そのギャップはご覧のとおり、みたいなところを廻っていく(しかない)。

おおもとに返っていうと『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という問いに対して、Yes. ああその夢のなんと儚く美しいことか、て涙するか、そんなのどーでもいい、他人の夢なんて興味ねえし、ていうかで反応は分かれるのだろうか。
映画は前者の流れに立って、その可能性を近未来のいろんな大風呂敷デザイン(含. 廃墟事案)のなかに抒情たっぷりに描きだす - でも最後に残るのは雨のしずくとか雪のかけらとかだったりして、とにかく儚いんだから魂があるんだったら泣いてみろ、とかいうの。

こーんな面倒なことになるんだったらレプリカント、べつにいんないよね。
あそこの社会、だれも幸せそうに見えなかったし。すでにじゅうぶん奴隷やらされてるしディストピアだし。

撮影はRoger Deakinsで、あそこまで延々もやもやどよーんさせつつも最後まで飽きさせなかったのは見事だとおもった。
音楽のBenjamin Wallfisch + Hans Zimmerも、ずーっと象の鳴き声みたいのがぱおーんぱおーん、響いていたけどなんかすごそうだった。 "Dunkirk"のときにも思ったけど、映画音楽てこれからどんどん音波とか音壁みたいになっていくのかしら。

目と耳が分厚い雲でずっと塞がれてわうわうしている状態 - これが2049年。
いまから35年たったとき、この作品の評価はどうなっているのか。 どうでもいいけど。

"A.I. Artificial Intelligence" (2001)をリメイクしてJude Lawがやった役をRyan Goslingにやらせてみたい。名前も同じJoeだし。

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