11.23.2017

[film] Professor Marston and the Wonder Women (2017)

16日、木曜日の晩、Piccadillyで見ました。 "Justice League"の前に見ておきたいな、と。

2017年は"Wonder Woman"の年だった、と後年に言われることになるであろう。
ちっとも収束する気配をみせないWeinsteinスキャンダルを挙げるまでもなく、ハラスメントだなんだ以前のところで、はぁ?あんたなに言ってんの?といった性をめぐる旧態依然とした腐れた意識のありようが冗談みたいなのまで含めて広範に暴かれて曝されていったのは良い悪いでいうと絶対に良いことで、それは第一次大戦の頃にアマゾンだかどっかの神さんだかの、ボンデージコスチュームを纏って鞭とか刀で武装したこの女性の顕現(あのテーマ音楽と一緒に)がぜったいどこかで影響しているのだとおもう。おもいたい。

それってなにがどうなって? ていうのは結構面白い社会学のテーマになると思うのだが。

実話の映画化。
前世紀の真ん中頃のアメリカで、Wonder Womanのコミック本は焚書扱いで排斥されていて、作者のWilliam Moulton Marston(Luke Evans)は教育委員会みたいなところに呼ばれ、「なんで彼女はこんな淫らな恰好で?」とか「なんで縛られなきゃいけないの?」とか尋問されてて、彼は委員連中の頭の堅さにうんざりしつつもなぜ、どうしてWonder Womanが生まれたのかを振り返りはじめるの。

20年代のアメリカ、Marstonは妻のElizabeth (Rebecca Hall)と一緒にHarvardのRadclife校で心理学を教えていて、そこのアシスタントの応募に手を挙げてきたのがOlive (Bella Heathcote)で、ウソ発見器を開発したり、人間のエモの行方とかそれが行動に及ぼす影響とかをDISC Theory - Dominance (D), Inducement (I), Submission (S), and Compliance (C) :  支配 - 誘発 - 降伏 - 従順 - ていう状態の遷移論で説明・解明しようとしていたWilliamは、Oliveに興味半分で「自分と寝たいか?」て聞いたらウソ発見器は"Yes"って言って、「Elizabethと寝たいか?」て聞いたらこれも"Yes"て言って、じゃあ、とオープンな3人はそれぞれを愛しあいながら一緒に暮らすようになる。 当時婚約者もいたOliveなのに当然結婚はなくなって、更には3人の関係が学内で噂になって大学を追い出されちゃったので、食い扶持を探していくことになって、そんななかでWonder Womanのアイデアが浮かんで、当時のDCコミックスに売り込みにいくの。

NYのGreenwich Village(Christopherのあたり?)のボンデージ・ショップのウィンドウをのぞいたWilliamの頭になにかが閃いて、そこにElizabethとOliveを連れていって、ついに後光に照らされたWonder Womanが現れるあたりはちょっと感動する。 ただそれがなんで感動を呼ぶのかをきちんと、論理的に説明することは(美とか倫理とかエロとか後ろめたさとか快楽とかいろいろ絡んでくるから?)けっこう面倒で、頭が痒くなったりもするので、いいや。

偉そうにふんぞり返っている男(共)を懲らしめるためにあのようないでたちのWonder Womanが現れて、それが喝采を呼んだ、ていう事実の背後には、(いかにもアメリカな)心理学者が自ら(研究テーマの追及も含めて)セットしたこういう愛の相克とか葛藤みたいのがあったのだ、ということ。
更にやっぱこういうのだめでしょ、みたいな規制が後付けで社会から入った、という点も含めておもしろいなー。
(日本は..  日本版の主題歌に勝手にあんな歌詞をつけちゃったりするところを見ると、こんなのよか相当病巣は根深いよね)

というわけで、やっぱし当面はWonder Womanやっちゃえ! でよいのだ、と思った。

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