29日、日曜日の夕方にSOHOのCurzonで見ました。
この日昼間に見たのもとってもよくて、でも病み上がりのぼろぼろで体が持つかしら、だったのだがだいじょうぶだった。
これの予告で、奥のほうに滑るように走っていく自転車にSufjan Stevensの"Mystery of Love" が被さるのを見たときから、これはもうぜったい自分の映画だと思った。なので公開されたらすぐにでも見たかったの。
83年の夏、イタリアの北、そこのヴィラに家族 - 父、母、17歳のElio (Timothée Chalamet) - が滞在していて、そこのゲストとして父の友人で美術関係の調査をしているらしいOliver (Armie Hammer)がボストンからやってきて、Elioの部屋 - Elioはバスルームを隔てたもういっこの部屋に移動 - に泊まることになる。
映画はひと夏の、いつもの夏とは少し違った夏の、ElioとOliverのやりとり - 声のかけあい、体が触れたり、目で追ったり、部屋にいるいないを気にしたり、自転車で遠出したり、タバコ吸ったり、池で泳いだり、昼寝したり、どつきあったり追っかけっこしたり、やがて自然とキスするようになって、互いが互いにとってかけがえのない名前に、記憶になっていくまでを、傷として残るような事件とか事故とかそういうの一切ぬきで描く。 そんなのなしでも、洗礼とか通過儀礼とか「大人になる」とかなしでも十分に忘れられないなにかとして残るなにかを。
ほとんどそれだけ、それと、ひと夏の思い出 - 遅くに起きて、陽射しのなかみんなでご飯食べて、本読んだり、音楽聴いたり、ピアノ弾いたり、ノートに落書きしたり、女友達と遊んだり、夜遊びしたり、もうほんとうに、ごろごろなーんにもしていないに近い、でもこれらがどれだけかけがえのない時間だったか後からわかる、そういう場面がこれでもかと重ねられている。
設定を原作の87年ではなく83年の夏に置いたのも、おそらくその辺のなんもない、まっさらなかんじを出したかったからではないか。
ここには無垢で純な美や愛への志向や欲望があって、ヘラクレイトスの断片があって、キレイごとばっかりだけど、そんなものしかないけど、それらが自然に対しても彼に対しても彼女に対しても食べ物に対してもなんの作為も邪念もなく開かれてある。
ぜんぜん、ちっともいやらしく見えない。 ギリシャ彫刻を眺めるのとおなじで、これをBL映画とか呼ぶ奴がいたら目と脳が腐っちゃったのねかわいそうに、とふつうに思おう。
で、とにかくそれは確かに残る、とても強く残る。 それがあるので、自分はこの映画はすばらしいと思った。
「君の名前で僕を呼んでくれ」とOliverは言った。 彼が自分の名前を呼ぶ声は耳から頭に浸みてきて、あの夏にかかっていた音楽と同じようにずっと残るだろう。 どこに?
この映画のリファレンスとして出されるMaurice Pialatの “À Nos Amours” (1983) - 『愛の記念に』 - がぜんぜんいやらしくなく、ちょっと青苦い瑞々しさばかりが残る不思議と似ていないこともないかも。 これよか能天気でピースフルではある、けど。
脚本を書いたJames Ivoryがそのまま監督していたらどうなっていただろうか。もっとノスタルジックな甘いかんじのものになったのではないか。 でもこれ、30数年前のお話しではあるが、遠い昔のとんでもなく離れた田舎のお話しではなくて、奇跡的に「いま」のお話しになっている気がするのはなぜか。 Sufjanの曲のせいだろうか。
そしてJohn Hughesの影。 最後の父親の台詞はもちろん(泣くよ、まじで)だが、The Psychedelic Fursの”Love My Way"がかかり、それにのって彼らは踊り、OliverにRichard Butlerの名前まで言わせている。 (あと、Elioの部屋のポスターもそう?)
あとさー、ラジオとかであの曲かかんないかなー、と思っていたら本当にかかったF.R. Davidの"Words"。客席の離れたとこでもかかった瞬間に「あう」とかうめき声が聞こえたので同じことを思ったひとがいたのだろう。 なんだろうねこういうの?
一度でもいい、こんな夏を過ごせたらなー、いいなー、ていうのをだらだら思いながら見る、それでもいいと思う。
エンドロールのとこもよくてねえ。 今年のベスト3にはいるかも。
11.02.2017
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。