10.18.2014

[film] Nymphomaniac: Vol. I (2013)

11日の午後、「ジェラシー」の後、そのまま渋谷で見ました。 この日が初日だったのかしら。

薄暗くじっとり陰鬱で錆ついた路地のようなところをカメラがゆっくり動いていって、そこにRammsteinががんがん鳴りだすオープニング。 もろメタルのPVみたい。

地べたにJoe (Charlotte Gainsbourg)が行き倒れてて、それを通りすがりのおじいさん - Seligman (Stellan Skarsgård)が拾って自分のアパートの一室に連れていく。
介抱されたJoeは老人に警戒しつつも、彼に促されるままに身の上と生い立ちを語りはじめる。

Joeは子供の頃からやらしいことが大好きで止められなくて、何かに憑かれたように「道」としてのセックスを究めようとしているかのようで、そういうのを聞かされるSeligmanはあんまよくわからないながらも、おおこれはウォルトンの「釣魚大全」の毛針じゃ、とかフィボナッチ数列じゃ、とかバッハのコラールじゃ、とかいちいち頷いて興奮する(そっちか? みたいな)。 JoeとSeligmanの間に共通のプロトコルみたいのはなくて、Joe自身の語る自身の過去にも、なんでそんなんなっているのか、の解はないし、解を探しているわけでもない。 解とか和解/理解のないところで、精神分析とか家族問題に深入りすることもなく、でもセックス道は究めなくていけない、みたいに若いJoe(若いときだけ、演じているのはStacy Martin)は突っ走っていく。 

”Antichrist” (2009)で神を殺し、”Melancholia” (2011)では地球を壊したLars von Trierの根拠不明の不機嫌が、根拠不明の色狂いを追うことで少しだけ笑いの方に傾いているかのような。 わかんないけどね。 Vol. IIだってあるし、いつ臓物が、とか結構はらはら緊張していたし。

メタルに求められる映像のイメージをある程度集約可能なように、ポルノ映像 - 他人の肉を求めたり求められたり - に期待されるイメージやシンボルも集約可能で、さらにそれを(Vol. I では)求道の物語のなかに置く、しかもそれを枯れた老人が聞く物語としてしまうことで、全体が標本箱のなかに精緻に並べられた虫たちのように宙に浮かんでいるような。 生のコンテクストから切り離された、まったくそそられない、ホルマリン液のなかに浮かぶ「性」の世界。

そして少年ジャンプかよ、みたいなVol. I の終り方ときたら。 これだとVol. IIには公開前夜から並ばないわけにはいかなくなるよね。 

ボカシがうざくて見ていられなくなることを心配していたが、そういう箇所自体があんましないのだった。 でも、それでもボカシはあったけどね。 まったく意味わかんないけどね。
あと、エンドクレジットの終りのほうにでてきたdisclaimer。 まあそうでしょうよ。

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