10.19.2014

[film] 人生劇場 第一部 / 第二部 (1952 - 1953)

シネマヴェーラの特集「日本のオジサマⅡ 佐分利信の世界」で11日の朝に「第一部 青春愛欲篇」を、12日の朝に「第二部 残侠風雲篇」を見ました。
これはもちろん、前の日に見た”Nymphomaniac”のVol. IとVol. IIにも時代を超えて呼応しているのである。(おおうそ)

尾崎士郎の原作は読んでいないし、この原作を元に作られた沢山の映画のどれも見ていない。
とにかく「人生劇場」的なもののすべてから全力で逃げてきたこれまでの人生だったわけだがそろそろ向きあってみてはどうか、とか思ってしまったわけだ。 もうどうせ手遅れだし。 台風とかきてるし。

父の死により郷里に戻った青成瓢吉(舟橋元)がいて、その帰省の電車には幼馴染の初恋のひとで新橋のセレブ芸者となったおりん(高峰三枝子)がいて、地元の侠客だった父(監督の佐分利信が演じてて、やたらかっこいい)は借金と立派な男になるべしていう手紙を遺しただけで逝ってしまい、瓢吉はわかったよ父ちゃん立派な男になるよ、てがんばるの。 それだけなの。

大学(早稲田)で総長夫人像の建設反対の学生運動とかを通して知り合った仲間との話とか、お袖(島崎雪子)を始め知りあったいろんな女性達とか、郷里で父の傍にいた侠客の吉良常(月形龍之介)に飛車角(片岡千恵蔵)といった強くかっこいい男達とか、いつも酔っ払ってズボンを脱いでご機嫌の黒馬先生(笠智衆)とか、そういう人達が次々に登場する劇場で人生が展開する、というか、人生とはそういう劇場とかドラマとかロマンとかを作っていくもんなのである、とか。

で、そんななか、主人公は気がつけば作家として有名になってて生活にも困ることなく、沢山の女も昔の仲間もやくざさん達も現れたり消えたりしつつもずっと傍にいてくれて、父の面影は頻繁に脳裏に蘇ってくるものの、何かすごい修羅場とか勝負に直面していちかばちかの決断を強いられ煩悶呻吟する、ような局面が映画ではあんま描かれていないので、なんかそつなくやってるじゃん、みたいに見えてしまうの。 そんなもんなんだから適当にやっとけ、ていうあたりが狙いなのだとしたら、おもしろいけど。

ヒトの人生についてとやかく言うつもりはないけど、この映画のなかで展開流転されていく要素って、特集のタイトルでもある「日本のオジサマ」が飲み屋とかで得意げに自慢しそうなあれこれそのまま、今だとギャグにしかならないようないろいろ、なのよね。  
で、最後にはママンのところに還る、ていう。

ストーリーはともかく、映画としてはやや強引に(おりんとの回想シーンがいきなり父の自殺につながるとことか、なに?)すたこら流れていって「愛欲」も「風雲」もあんまなくて、銅像の西郷さんが笑ったりしてお茶目なところもあるし、ぱっとしない系の青春映画としてはよいかんじだったかも。 

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