10.20.2014

[film] あゝ青春 (1951)

18日の午前、シネマヴェーラの佐分利信特集でみました。 
これも佐分利信監督 + 出演によるどまんなかの青春映画。

戦後、アプレゲールの若者たち。 峰子(高峰三枝子)は学費も滞納しがちでずっとバイト先を探していて、他にも夜中に人力車を引いている同級生とか同棲している友達とかいて、みんな大変だし、知性と肉体は別なのよ割り切れるわよ、て歓楽街のダンスクラブみたいなとこで夜のバイトを始める。 ぶあつくお化粧したり派手な洋服着たり踊りたくないのに踊らされたりいろいろあるけど、家族も周囲もがんばっているからがんばらなきゃ、なの。

リベラル寄りの佐竹教授(佐分利信)とか、大金持ちの会社員(河津清三郎)とかの大人の世界があり、教授んちのように裕福で幸せそうな家庭があれば、同棲している友達みたいに、理想と現実のギャップもろかぶり、みたいなとこもある。 世の中って。 大人って。

大学野球かなんかで勝ったお祝いのどんちゃん騒ぎの波に呑まれて酔っ払って、「おんなの命より大切なもの」をどうやら奪われてしまったらしい、て深刻に真剣に泣いたり、同棲していた友達は妊娠して(させられて)どうしよう、て泣いたりしていて、ほんとうにいろいろある。

公金を使いこんでやばくなったらしい河津清三郎に一緒にしんでくれ、て迫られるあたりがヤマなのだが、これがなくても十分目がまわるくらい忙しくて苦悶してばっかしだしお勉強もしなきゃならんし、息絶え絶えに「あゝ青春」ていった後に、ばっきゃろー、のひとつくらいは吠えたくなる。

結局、苦難を乗り越えて成長できたのかできなかったのか、幸せになれたのか、みたいなところでいうと、たぶん「成長」はできたのかもしれない、けど成長ってなんだよ? ていう問いの元に再びえんえんループが始まる。 で、これもまたお決まりの「あゝ青春」の変奏、ではあるのね。 真面目だからって幸せになれるのか、ていうと峰子ちゃんには難しいかも。

あと、結局貧困が、貧しさがいけないのか、諸悪の根源なのか? ていうところは今の世のと同じなのか違うのか、もし同じだとしたらこの辺の呪縛って、戦後からずーっと深くに根を張ったままで、相当ひどいよねえ。

高峰三枝子が学生には見えないくらい落ち着いてみえたので調べたら、映画公開当時はすでに30超えているのだった。 やっぱし。

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