11.29.2011

[film] We Bought a Zoo (2011)

土曜日、"A Dangerous Method"のあと、Union SquareのRegalに移動して見ました。

向かう途中、Dashwood(本屋)で"100 Fanzines/10 Years of British Punk 1976-1985" ていうのと、"In All Our Decadence People Die" ていうCRASSのグラフィックを集めたのを買った。
(ぜんぜん関係ないか)

本当は12月のクリスマス公開予定なのを、監督自身の希望で26日の7:00に一回だけ、全米800館でSneak Previewしたの。
PJ20の先行は逃しても(まだ言ってる...)これだけはなんとしても、とがんばってチケット取ったのだが、べつに売り切れはしなかったみたい。

でも、確かに最高の感謝祭映画だったよ。 ありがとうCameron!
動物と子供を使うのはずるい、って言うかもしれないが、それだけではぜんぜんなかった。
感動の実話だからどうか、って言うかもしれないが、それがどうした、だわよ。

冒険作家のBenjamin (Matt Damon)は妻を亡くして半年、子供ふたりの面倒を見てきたが上の息子は籠ってグロい絵ばっかり描いているし、下の女の子(かわいいねえRosie)は健気に気丈に振るまっているけど、長くは持たないだろうし、よくないな、と。

こうして彼は新たしい方に舵を切るために仕事を辞めて、大きな庭のついた新しいおうちを探しはじめるの。
で、ようやく一軒、お庭はでっかいし、これこそ探していたやつだ! ていうのを見つけるのだが、こいつは訳あり物件でして、と不動産屋が困った顔をする。
なにが?どこが? と問い詰めると、そこで獣の声が響き渡る。 
「... ?」 「動物園なんです...」  「いぇーい!」(Rosie)。

(ここのとこは予告編で見れるから見てね。おもしろいよ)

こうして、最低限の維持費で繋がっていた動物園をオープンさせるべく、家族と、スタッフの力を合わせた奮闘がはじまるの。
スタッフ側で指揮をとるのがScarlett Johanssonで、その部下には"Almost Famous"のPatrick Fugitくんもいる(猿使いだけど)。
あと、園内の食堂を切り盛りする純朴な娘にElle Fanningさん。

あのさあ、Scarlett JohanssonさんとElle Fanningさんが一緒に汗流して働いてくれるなら、動物園なんていくらでも買うわ。(て思っても言わないこと)

あらすじから想像できるような、動物との共生や格闘を通して家族や仲間との絆が深まった、とかそんな安易なものにはなっていない。
苦労話で強調されるのはオープンに向けた改築や修繕でお財布が底をついて破産しかけて、とかそんなのばかり。   べつに動物園を買わなくても、この家族はこんな道を通ったにちがいない、くらいのかんじは滲んでくる。

クマとかトラとかヘビとか、動物との楽しい(たまに悲しい)やりとりもいっぱいあるけど、やっぱしBoy meets Girlもあって、そこは外してないの。 ていうかそっちだよねー。

自分の家が動物園になっちゃったもんだから拗ねまくるMatt Damonの息子に、毎日サンドイッチを届けにくるElle Fanningとか...
あのさあ、Elle Fanningさんがぁ、毎日、とびきりの笑顔でサンドイッチを届けにきてくれるのにぃ、なに下向いて拗ねてるんだこのぼけガキゃー、と誰もが拳を握りしめ...(思ってもいわないこと)  でもこのふたりは、"Super8"のあのふたりよか、いいかんじだった。

もちろん、いろんな困難を乗り越えて動物園はオープンできるのだが、ラストはこれじゃないの。

それがなんであるかは書きませんけど、"Elizabethtown" (2005)をはるかに超える、ぼうぼう泣きの、でもすばらしいラストが待っている。
で、これこそが、ラストにあんなのを持ってきてしまうとこが、「われわれの」 - "Say Anything... "の、"Singles"の、"Almost Famous"の、"PJ20"のCameron Croweなんだ、って。

"The Tree of Life"はこの内容でもぜんぜんよかったかも。 むしろこっちの内容のほうが。

音楽はJónsiさんで、きらきらぴろぴろしたハッピーなトーンが全体を覆っているが、それ以外にNeil Young とかPJとか、いつものCameron Crowe印のもいっぱい流れる。 
Neil Young は"Cinnamon Girl"だよ。

続編は、"We Bought an Aquarium"、Wes Anderson組にやらせたいものだ。

それにしてもRosieかわいすぎてずるい。(そればっかり)

11.28.2011

[film] A Dangerous Method (2011)

土曜日も映画2本。 

ライブは諦める(泣)。 BAMのPusciferも、BeaconのCure 3daysも。
Cureはくやしい。ほんとにくやしいったら。

夕方、Landmark Sunshineで見ました。
David Cronenbergの新作。これもNYFFでかかっていて、見たかったやつ。

もともと原作があって、舞台用の脚本もあって、更に実在した人物がモデルなので、あんまし転がしようのないお話だと思うのだが、でも、Cronenbergがこれを映画化した理由はなんとなくわかる。

20世紀初にチューリヒに統合失調症の患者としてやってきたSabina Spielrein(Keira Knightley)が担当医のJung(Michael Fassbender)と関係を持つようになり、その関係を対象化していくなかで独自の臨床論を構築していく。その過程で、Freud (Viggo Mortensen)とJungの方向性の違いも明確になっていく。

わたしは3人の登場人物についても、精神分析についても素人なので、こまこま出てくる用語や理論について詳細に論じることはできませんが(日本公開されたらもう一回みる)、Freudの現実の発言や挙動に根ざした治療を、という立場とJungのそれらが現れてくる根源の夢や世界像にまで遡るべしという立場の違いは、間にSpielrein嬢を置いてみることで、3者の関係のありようによって、より判りやすく見えてくる気がした。

そして、例えば、ここでの「精神分析」を「暴力」に置き換えてみること。
Chronenbergの暴力描写って暴力衝動を病理的に捉えることと根源的な力として捉えることの両者の間で常に揺れていて、その揺れを明晰に、それこそカルテを書くかのような冷静さで持って描きだすことにこの人の「暴力」の怖さ、リアルさがある、と思っているのだが、それがこの作品を通すことでようくわかったような。

精神分析も暴力も嫌いだ。 どっちも偉そうだから。

Keira Knightleyは、よくぞあそこまで。 下顎がすごいの。
Viggo MortensenもMichael Fassbenderも悪くはないのだが、どちらかというと肉よりの彼らがずっとちゃんとした学者の顔と格好していると、コスプレでもしているような変なかんじになったりした。 ぜんぜん悪くないんだけどね。  なんかおちょくりたくなる。

画面はずうっと静かで、重厚で、そしていつものようにかっこいい。
バックで流れていた分裂症みたいに変にゆれるピアノ曲はHoward Shoreのか。器用だねえ。

[film] Jack and Jill (2011)

マリリンに続けて、シネコン内渡り(Piggyすまん)、で見ました。これも感謝祭映画だった。

日本ではもう、Adam Sandlerの新作を映画館で見られない - こないだの"Just Go with It"なんてほんとに面白かったのに - ようなので、ここで見ておくしかないじゃんか。

男女の双子のおはなしで、Adamが二役を演じてて、全く違和感ない。

Jackのほうが、CMプロデューサーでちゃんとした家も家庭(妻はKatie Holmes)もあるのに、双子の妹のJillのほうはでっかくてUglyでやかましいのでずっと独り身で、彼女が感謝祭でやってくる、となってもみんなあんまし嬉しくなくて、んで、例によって大騒動が巻きおこるのだが、最後は… わかるよね。 

いつも以上にあったかい、それは別に双子に限ったはなしではなく、誰もが自分のなかにいるもうひとりの自分をそっとハグしてあげたくなるような、そういう柔らかさ、優しさが全面に出た作品になっている。

ま、そんなのよかすごいのは本人役で出てくるAl Pacinoだよね。 同じブロンクス育ちのJillにべた惚れして狂って追っかけまくるの。あの調子と勢いで。 
このへん、Ben Stillerにいいように操られている(のかな)最近のDe Niroとおなじ空気を誰もが感じてしまうのかもしれないが、べつにいいよ、おもしろけりゃ。

あとは、いつものAdam Sandler組もいっぱい、David SpadeもRob Schneiderも。久々にNorm MacDonaldを見れたのもいかった。

これも、これでも日本公開はないのだろうか...
Johnny DeppとAl Pacinoの2ショットがあるんだよ。
Al PacinoがダンキンドーナツのCMで歌って踊るんだよ。 

オープニングとエンディングは、いろんなリアル双子が出てきて、カメラの前で自分たちふたりのことについてしゃべるの。それもおもしろい。 
オープニングにかかるのが、Sonny & Cherの"I Got You Babe"で、エンディングでかかるのが、UB40 & Chrissie Hyndeの"I Got You Babe"なんだよ。 
素敵でしょー。

[film] My Week with Marilyn (2011)

金曜日はBlack Fridayで、昨年もそうだったが、Record Store Dayだったことを当日の朝に知る。 こまったこまった。  で、映画は同様に2本見る。

昼間に入ったWilliamsburgのコーヒー店、すごかった。倉庫みたいな店の半分以上のスペースで焙煎というか実験みたいのしてた。 

http://www.bluebottlecoffee.net/

で、夕方、Times Squareのシネコンで見ました。

"The Prince and The Showgirl"(1957 - 王子と踊子)の撮影のために英国を訪れたMarilyn Monroe(Michelle Williams)と、彼女との短く儚い、甘酸っぱい思い出を、Laurence Olivier (Kenneth Branagh)の丁稚・なんでも係として働き始めたColin(Eddie Redmayne)の目を通して描く。

あくまでColinの目から見た「実話」だし、関係者は殆どいなくなっちゃっただろうからどこまで本当か、というのはあるのだろうが、そんなの別にどうでもいい、というくらい青年の期待と憧れと失望と、要は青春のきゅんとくるかんじは、くる。

Nat King Coleの"Autumn Leaves"に乗って、ほんの束の間の、一日だけの、夢のようなデートをしたときの高揚感と陶酔はじゅうぶん伝わってくる。ま、だれでもそうなるだろうけどな。
この一日の描写だけ、こまこまずーっと流しておけばよかったのに。 

Michelle Williamsがうまい(それなりの覚悟も含めて、賞賛されるべきだろう)のは言うまでもないが、相手のEddie Redmayneもいちいちぽーっとなってしまう青いかんじが出ていてとってもよい。 ま、だれでもそうなるだろうけどな。

あと、並行して彼と仲良くなるEmma Watson。 彼女だけでもじゅうぶんきれいなのに、とか。

久々に見た気がした、丁寧に作られた英国映画、みんなのイメージのなかにある英国 - それはMarilynが見たものでもあるだろう - をちゃんと追おうとした、という点でもわるくないかもー、と思いましたわ。

[film] The Descendants (2011)

Muppetsのあとで、シネコン内渡り(ごめんねPiggy)で"The Descendants" を見る。
今年のNYFFのクロージングだったAlexander Payneの最新作。
これも感謝祭映画、と言えないこともない。 ちょっと地味で暗いけど。

ハワイに住んでいるGeorge Clooneyが一族で代々管理してきた土地を売ろうとしているの。
そんななか、彼の奥さんがボートの事故で意識不明の植物状態になってしまうの。

で、これまでぜんぜん構ってこなくて、荒れ放題になっていた娘ふたりをそばに寄せて、面倒を見ることにする。 やがて荒れまくる長女の口から妻が地元の不動産屋と浮気していたことを知って唖然として。

ハワイに住んで、その血筋を、その土地を受け継いで生きる/生きてきた、ということを家族との葛藤、自身と妻のこれまでの暮らし(知っていたこと知らなかったことも含めて)との対比のなかで見つめ直そうとした - 見つめ直そうとあがく初老の男のドラマとしてじっくりと描く。 
"Sideways" (2004)のナパがそうだったように、ハワイのほんわかした陽光と空気が彼の焦燥と逡巡をくっきりとあぶりだす。

娘ふたりの荒れっぷり、長女の彼(なぜかどこにもついてくる)のぼけっぷり、義父の救いようのない頑迷さ、妻の浮気相手とその家族、そして何よりも、混乱と困惑のみを後に残し、何も語らず機器に繋がれて死を待つだけの妻、どいつもこいつも状態のなかではっきりと自分にとって必要ななにかに目覚めていく男一匹のGeorge Clooneyがただ、よい。 はじめて彼のことよいと思ったかも。

もともとAlexander Payneの映画ってそういうとこあったけど、今回のはテーマも含めてなんだかとっても小津っぽい。 会話もなにもすべてが地味なのにぐいぐい引きこまれ自分自身が事態の、その金縛りのただなかに押しこまれるような、そういう窮屈な居心地の悪さのなかに置かれてしまう。  それは映画の世界に浸る幸せとは別の種類の変な感覚で、ぐったりしたりもするのだが、悪くないの。

Thanks Givingのディナーは、昨年と同様、Prime Meatsの並びにあるFrankies(メニューは同じ)で七面鳥を戴いた。 昨年と同様、ありえないクオリティだった。

[film] The Muppets (2011)

Thanks Givingの日は、感謝祭ということで映画2本。
そういえば去年のThanks Givingもここにいたのだが、あんまし映画見ていないのな。
今年はなんだか見たいのがぱんぱんに詰まっていて大変なのだが。

朝起きたらパレードやってて、歩いて2ブロックのとこだし、見に行ってみた。
見にいったのって、93年以来だったかも。

で、いつもそうなのだが、寒いし、すぐに飽きて帰りたくなって、次になんか(バルーンね)来たら帰ろう、と決めるのだが、そういうときに限ってスカみたいのしかこない。

スカ、っていうのは例えばこんなやつら。



一番いかったのはデュラセルの電池うさぎだったかも。ぐるって一回転してくれた。
ティムバートン風船も来たけど、なんかじみだよねえ。



で、お昼すぎから"The Muppets"を見る。 3Dではないの。
もう、ぜんぜんよい。 人間側主演のJason Segelが思い入れたっぷりに脚本も書いてて、外してないし、Muppetぜんぶが、でっかいのもちっこいのも変なのも生きて跳ねまわっている。
(人間のダンスシーンはもうちょっとフックがほしかったけど)

共演のAmy Adamsも、あんたはもう一生"Enchanted" (2007)とかこういうMuppetsとか魑魅魍魎の世界で夢見て踊ってなされ、というくらいにはまりこんでいる。

Gary(Jason Segel)とマペットのWalterは幼馴染みでずっと一緒に育ってきて、GaryとMary (Amy Adams)の出会って10年目のアニバーサリーに一緒に西に行こう、て言われて最初は遠慮するのだが、憧れのMuppets Studioにも行くから、ということでついていくの。

で、行ってみたらStudioはぼろぼろでしょうもなくて、裏で石油成金(Chris Cooper - Tex Richmanていうの。悪で、ラップとかもするの)がそこを取り壊して石油を掘ろうとしているのを知り、かえるのKermitに頼みこんで彼とかつての仲間を集めてショーを開こうとするの。

まるでBlues Brothersみたいなお話だが、それのどこがわるいのよ、いいに決まってるわよ。

パリまで(車で)行ってMiss Piggyも誘って、同じくぼろぼろだったMuppet Theaterをみんなで修理して、1回限りのTV放映まで取りつけるのだが、始まった時点で客は浮浪者(Zach Galifianakis)くらいしかいないの。 でもだんだんに増えて、盛りあがっていくんだよ。

ショーのクライマックスで、Kermitがバンジョーを持ち出して、横にPiggyが入ってくるあたりからはずーっと、じーんとしていた。 結末なんてわかりきっているのに。 あんなのずるいわ。

カメオも含めて人間側のゲストはそれなりに豪華。
David Grohlさん(ドラムスの音も彼だよね)とかFeistさんも出てくる。 "Harold & Kumar"にいたNPHも。 ほかにもMappet同様、判別できないくらいいっぱい出てくる。

単に、Muppetsファミリー全員集合で、めでたしめでたし、だけじゃなくて、Walterの成長物語で、GaryとWalterの友情の物語で、GaryとMaryの、KermitとPiggyのラブストーリーでもあるの。 
感謝祭なんだよねー。

AMC系のシネコンでは、上映前にMuppetsたちがマナーを教えてくれます。
行儀の悪い客共(Muppets)に、Miss Piggyが怒りの鉄拳を。

[film] A Very Harold & Kumar 3D Christmas (2011)

今年のThanks Givingは、全体にあったかすぎてつまんないの。

水曜日、Thanks Givingの前日は、だーれも仕事なんかやろうとしてなくて、4時くらいから潮が引くみたいにみんな消えてしまうので、つまんなくて映画みて帰る。
Thanks Givingの前に見ておかないといけない気がしたので、これを。

こういうの、見ないひとは一生見ないだろうし、見るひとはどうせ見るに決まっているのであんま書くことはないのだが、おもしろいようー。
3Dになって、なにが飛び出してくるかというと、卵とか煙とか粉(ドラッグね)とか極楽のらりらりとかクレイのちんぽことか、そんなもんなのよ。

Wall stの抗議デモから始まる。このへんはさすが。
Haroldは結婚して、義父が、Machete(Danny Trejo)で、丹精こめて育てあげたもみの木と一族をひき連れて新婚夫婦の家にやってくるの。 一族が留守にしたところでKumarがパッケージを届けにきて、そいでもみの木が燃えちゃって、Macheteにぶっ殺される、と替わりのもみの木を探しに街にでるの。

車がぶっつぶれようが、ウクライナマフィアに殺されかけようが、幼児がヤク中になろうが、会う奴来る奴みんな変態ーろくでなしーやくざのどれかでしかなくても、どんな散々なめに会おうともクリスマスだもん、すべては神のおぼしめし、サンタさんありがと(でも、ずどん)、なの。
だれも文句いわない。いわせない。 ここはアメリカー、ていう開き直りもまた。

次もまちがいなくあるでしょうが、ずっと続いてほしい。 としか言いようねえな。

11.24.2011

[film] The Blues Brothers (1980)

滞在が延びて、それはもちろん、ぜんぜん歓迎すべきことではないのだが、よい面に敢えて目を向けてみようとするならばだ、例えばこんなのがあったの。

BAMの特集で"8 Films by John Landis"。 監督本人がきてQ&Aとサイン会をしてくれるって。

どしゃ降りのぐしゃぐしゃの火曜日の7:00から"The Blues Brothers"を見る。 
もう何回も見ている。 当時高校生だった自分に決定的かつ致命的な影響を与えた1本、なの。
John Landisはもちろん他にもアニマルハウスだって、サボテンだっておもしろいが、この1本はちょっと他とは比べられない。

この映画でR&BやArethaに出会わなかったら、ただのPunk/New Wave好きのカス野郎で終わっていたはずだ。
でもこの映画のせいで、電撃に打たれて神の愛に目覚めてしまったJakeのように、カスよかもうちょっと始末に困るゴミ、くらいのところにまで行ってしまった。 それがどんなにはた迷惑でうっとおしいゴミ野郎であるかは、例えば"High Fidelity"を読んでみればいい。
あんなふうな鼻持ちならねえくされクズになってしまったのさ。

最初にBAMのバカ映画担当(たぶん)のお兄さんが挨拶して、今回の特集はぜんぶ35mmだから、これはすごいんだから、ていう。  はいはい。
確かに、もう日本では35mmなんて残っていないだろう。 35mmで見れる最後の機会かも、と目に焼きつけよう。

監督も最初に一言だけ挨拶する。 
映画はくだんない(Silly)だけど、音楽は最高だから、楽しんでね! って。

内容は、別にいいよね。 
監獄から出てくるときの"She Caught the Katy"のギターカッティングのとこからずうっと拍手と歓声、笑いの渦ばっかし。
エンドロールで流れる"Everybody Needs Somebody to Love"は最後までみんなえんえん手拍子してた。

ボールルームでのライブから車を発進させて怒涛のカーチェイスになだれこむとこまで、なんかじーんとしてた。
なにもかもすばらしすぎる。

あと、みんな死んじゃったねえ。 
JBもCab CallowayもRay CharlesもJohn Lee Hookerも。

監督とのQ&Aもおもしろかった。
あんなにお話がおもしろくてGentleなひとだったとは。 そりゃおもしろいか、あんな映画つくるわけだしな。

"Animal House"の後で、National LampoonとSecond Cityの面白い連中を集めてアイデアをまとめていった話(これらはぜんぶSNLが始まるずうっと前からなんだぞ - ここ何度か強調)とか。

R&Bのメンツは今からするとすごく豪華だが、当時はディスコが全盛だったらか、みんな割とヒマで、ふつうに参加してくれた。
曲に合わせて口パクをしてもらうのがほんとに大変で、JBなんてぜったい無理だったから最初からライブ。 映画のなかで、JBとJohn Lee Hookerのとこはライブ録音だって。

映画のサントラ盤にJohn Lee Hookerを「黒すぎる」という理由で入れてくれなかったので、Ahmet Ertegunと大喧嘩をした、とか。

ナチ親衛隊の車が空を飛ぶとこは、実際に車をシカゴの上空にヘリで運んで、ほんとに落とした。 それを2台やった。 
ずっとやってみたかったので大満足だった。

カーチェイスですごくたくさんの車を潰したと思われているようだが、実際には50台くらい。前のシーンで使ったやつを塗りなおして再利用している、と。

アニマルハウスのときに「イパネマの娘」の替え歌を許可してくれなかったので、トムジョビンのことはずっと恨んでいる。
エレベーターのシーンでさいてーのアレンジの「イパネマ」を流してやるのは、それへのあてつけ。

ラストの監獄のとこで最初にテーブルに飛び乗って騒ぎ出すのはJoe Walshとその兄弟、だって。

こんなふうに映画のおもしろい話はいくらでも出てくるのだった。

最後に言ってたことで印象的だったのは、コメディ映画の質が根本的に変わってしまった、と。
今年一番面白かったのは"Bridesmaids"だとおもうが、あれは結果的にはみんな幸せになっておわる。 "Knocked Up"でも"Juno"もいろいろ事件は起こるけど、最終的にはみんながハッピーになる。("Juno"なんて高校生が子供つくって、それを他人にやっちゃってめでたしめでたし、なんてひどい話なのにさ)  
これはリスクを取ろうとしなくなった映画産業の質の変容とも関係している、と。

この映画もコメディーだけど、最後は刑務所だし、アニマルハウスはアナーキー状態で終わる。この映画の2-3年後の"Fast Times at Ridgemont High"くらいまでだった。  あれ以降、コメディは変わっていってしまった。 と。

サイン会でサインしてくれた本は、"Monsters in the Movies - 100 Years of Cinematic Nightmares"ていうハードカバーのでっかいやつで、映画怪物図鑑、みたいなやつ。 写真いっぱいで、古今のドラキュラとか狼男とかゾンビとか怪獣とか虫とかがきちんと分類されてうじゃうじゃ出てくるの。
Joe DanteとかJohn CarpenterとかSam Raimiとかいろんなひとたちとの会話もいっぱい入ってて、これで$40はぜんぜん安いよ!

  










と、いうわけでThanks Givingにはいるの。

[film] Martha Marcy May Marlene (2011)

"Kooky"のあとで、続けてBAMでみました。 一転して暗くてシリアスなほうへ。
今年のサンダンスで話題になった新人監督の。

MarthaはCatskillの山奥のカルトになんとなく囲われて、なんとなくそこが嫌になって逃げ出す。
行くところがないので、唯一の身寄りであるコネティカットの姉夫婦のところに身を寄せる。

姉のだんなは建築家で、家は湖畔(海かも)にある立派なおうちで、夫婦は2年間も音信不通だった妹を気遣ってあれこれしてくれるのだが、Marthaは自分がどこにいてなにをしていたのかを彼らに言うことができず、溝が深まっていく。

カメラはコネティカットでのリハビリのような彼女の日々と、教団内の共同生活としてあった彼女の過去を交互に追っていって、やがて彼女のなかの逃れられない過去が、彼女の現在をゆっくりと浸食していく。
ひょっとしたら彼女はあそこに戻りたいのか、このままでいたいのか、それすらもわからなくなっていく。

静かな田舎の、環境的には申し分ないと思われる場所(過去のも現在のも)で、じわじわと生きる感覚を失い、戻れる場所を失っていくかんじ(恐怖、とまではいわない)をサイコスリラーのように描いていて見事でした。
何度か反復される水のイメージも、ちょっと古典的すぎる気もしたが、すばらしい。

そして、Marthaを演じたElizabeth Olsenの存在感。 姉ふたりがあんなだと、妹はこんなにも、とは言うまい。
漂白されたような表情、彼女の少し丸めの体型とまあるい肩を後ろから撮ったショットが印象的でねえ。

よく語られがちなサバービアの風景とはまた別のところ、別のかたちとしてある、個々の意識のありよう、時間の感覚をひとりの少女の後ろ姿とまあるい肩でもって語ろうとした、そこにのみ注力しようとした姿勢は評価されてもよいかも。

それにしても、こないだ見た"Red State"といいこれといい、アメリカのカルトってやっぱしこわい。
日本のは笑いとばせるのに、なんでかしら。


これを見たあと、なんでかへろへろに疲れて、Marcy Mayみたいにごろんとなってしんでた。

[film] Kooky (2010)

日曜日も先週とおなじく映画2本だけみてぱたり。

昼間、New Brooklyn Cuisineの代表といわれる(ことが多い)Fort GreeneのThe General Greeneに行った。
要は素朴で、でも丁寧に作ってあるアメリカン、というだけだと思うのだが、どのお皿もあきれるくらいおいしい。
なんでフライドチキンとワッフルが同じ皿の上で喧嘩しないのかがわかったし、Buttermilk Biscuitのほっこり感はどんなよくできたブリオッシュやマドレーヌをも凌ぐ鮮烈なものでした。 デザートの塩キャラメルサンデーがまたなんであんな...

で、BAMのPuppet映画祭(この日が最終日)でこれ見ました。



チェコの実写人形劇(かなあ)。 これがUSプレミアだそうで、Kookyがこの映画祭のパンフの表紙だったし、主催のJim Henson財団のおばさんもとにかくいいのよ、て絶賛していた。

よれたひょろひょろのクマ(?)みたいなぬいぐるみがKookyで、彼とその同類がそのキャラの世界のなかで動いていくお話ではなかった。
喘息もちの男の子がKookyとずっとに一緒にいて、Kookyはぼろになってきたし、洗うこともできないから、と親が捨てちゃうの。
でもKookyと一緒にいたい男の子がKooky戻ってきて、て祈るとゴミ捨て場のKookyは動きだして、ゴミ捨て場を抜けて森に入っていくの。

でもゴミ捨て場を管理している警察みたいな連中(腐ったペットボトルみたいのでできてる)とかはKookyを追っかけだして、森に入ったKookyは森の仲間をみつけて、一緒に森を抜けて男の子の元に帰ろうとするの。
木の実とかきのことか芋とか、そういうのでできた仲間のほかに、ほんもんのリスとかキツネとかイノシシとかナメクジとかうじ虫とかトリとか、いっぱい出てきて助けあって一緒に動くし、なんかすごい。

それと並行して男の子の喘息は悪化していって、Kookyは戻らなきゃってけなげにがんばるの。
こないだの、"Toy Story 3"にもあった、あのきゅーんとするかんじが、じわじわくる。

Toy Storyの場合、それはいつかは離れなきゃいけないおもちゃ達の想い(それはわれわれ人間のものでもある - 永遠の片想い)に貫かれていたわけだが、こっちはあの男の子の祈りにも似た願いが全編をドライブする。 それはKookyに対してだけじゃなくて、森のいろんな生き物とか、犬ころとか、ショッピングセンターにたむろしているホームレスとか、世界全体を覆っていて、Kookyは、Kookyを乗せた車は、それをぜんぶ背負って懸命に走っていく。 単に持ち主のところに帰るだけじゃない、Kookyは鳥の卵だって、ホームレスだって救う。 
Kookyは彼の目になり、翼になって、世界を捕まえようとする。(両想いなの) 

Toy Storyのキャラクター達だったら、或いはチェブラーシカみたいなのだったら、わかる。 彼らはそういうふうに創られた連中だから。
でも、Kookyは、そこらで、$5くらいで売っていそうなただの布きれクマ人形なのに。 そいつが糸かなんかでひょこひょこ動いているだけなのに、なんでこんなにじーんとしてしまうのか、と。

場内にいっぱいいるガキ共は大喜びでしたが、それ以上に大人も十分にどよめいていた。 
どっちかというと大人のための、だったかも。

でも、くーきー、いいな。

11.23.2011

[music] Eleanor Friedberger -Nov.19

19日のライブ関係は、なかなかきびしいものがあった。

最初は、Japan Societyでの大友良英&Christian Marclayのデュオ、に行くつもりでいた。 
ら、いつのまにか売り切れてて唖然。

それからTerminal5でのMastodon + DEP + Red Fangを狙ったのだが、チケットは売り切れ状態のままてこでも動かず。

あとはBAMで3日間だけやっているJohn Malkovichの演劇"The Infernal Comedy: Confessions of a Serial Killer"(いかもにー)にしようかとも思ったのだが、チケットが$175もしたのでちょっと考えて諦めー。

しょうがないので、といったら失礼だが、Film Forumの近所のLe Poisson Rougeでやってたこれにしたの。  7時開始で早く終わりそうだったし。 当日で$15。

7時過ぎに入ったらまだ前座の一番手でひとがほとんどいなかった。
Grand Rapidsていう4ピースで、DrとBが女の子で、あとはGふたり。
自分はつくづくこういう、どたどたがたがたしたギター2ピースバンドが好きなんだなあ、と改めておもった。
このフォーマットなら、どんな曲でもラブリーに聴こえてしまうという、困った病気のようなもん、というか。

続いてのAn American Dreamは、KeyとViolinを含む6人編成で、The Bandみたいな楽曲をよりモダンにダークに吹きまくるようなかんじ。悪くはないのだが、なんか重たくてきついかも、と思い始めたら20分くらいでひっ、こんでしまった。

で、Eleanorさん。 出てきたのは8:40くらいだったか。

セッティングのときはそこらの男の子みたいなどうでもいい恰好をしていたのに、ステージでは全身ぴかぴかの白スーツできめてくる。

まだちゃんと聴けていないのだが新譜の木綿系SSWのイメージよりは、ぱりぱりがしゃがしゃしたロック!な音で、わるくない。
(よい意味で)いびつでトランシーなパワーポップなFiery Furnacesからも離れて、ほんとによくできたギター/ガレージを。
ドラムスとベースがかなりしっかりしてて、もうひとりのギターのカッティングとフレージングがよくて、要するに気持ちよくて、彼女もギターを抱えてそれに乗っかり、気持ちよさそうに歌う。  
怒涛の勢いで走るわけでも、派手に動いて煽るわけでも、しみじみ歌いあげるわけでもなく、このへんの淡々としたかんじは、Fiery Furnacesでもおなじだったかも。  Cool。てことね。

アンコール2曲も入れて1時間ちょうど。 とにかく気持ちよくて、後に残んなくていかった、と。

戻ってから見たSNLのホストは、Jason Segelだった。 パペットに囲まれていたので、わー、と思ったらあとは落ちた。
音楽ゲストは、朦朧とした意識のむこうで女性があわーあわーひっくりかえった声で叫んでて、えーとえーとこれは、Florence and the Machineだねえなんでこのひとあんますきになれないんだらうー、とぶつぶつ思いながらふたたびおちた。


 

[film] The Life and Death of Colonel Blimp (1943)

MOMAの後、Film Forumに移動してみました。
これもMOMAの修復イベントで話題になっていた1本で、Powell & Pressburger組の弟子であり、本作のRestoration ConsultantでもあったMartin Scorseseさんの挨拶があったり(金曜の晩、即刻売り切れ)、Michael Powellの奥さんであったThelma Schoonmaker Powellの挨拶があったりした。

163分のFull Length versionをFull Color Restoration (日本のDVDはモノクロだったみたいだが)。   邦題は『老兵は死なず』。

映画を紹介する一枚のスチールが、おふろで汗てかてかのたこみたいなはげおやじで、これが「老兵」にあたるRoger Liveseyで、これだけだとぜんぜん気が進まなかったのだが、すんばらしく面白かった。 あっという間の約3時間。

ドイツとの戦闘前夜、興奮して先走ろうとする若年兵にお風呂で老兵が語って聞かせる40年前のお話。 ドイツに乗りこんでいって、ドイツ兵と決闘して、そいつと友達になって、などなど。 が、軽妙なおとぎ話のようなトーンでさくさく進んでいく。

戦争のシリアスさや手柄話を諭すように聞かせる、というよりもこんなことがあってこんなひとに会って、それらをどうやって乗り越えてきたか、みたいなお話を孫に聞かせるかのようにやさしく伝えてくる。

とにかく色彩がすんばらしくよいの。 冒頭のタペストリーの色の一粒一粒から、軍服の鮮やかな赤や青、調度品のひとつひとつ。
そして、いちばんとんでもないのは、たこおやじではなくて、一人3役を演じているDeborah Kerrの驚異的な美しさなの。
彼女の衣装はもちろんだが、肌の肌理といい目のふるふる濡れたかんじといい、彼女の前ではタコは、もうほんとうにただのタコでしかない。

いちおう、ふたつの戦争を乗り越えた敵国間兵士の40年以上に渡る友情物語、というのがメインのテーマなのだろうし、それはそれでぜんぜん悪くないし、やってれば、なのだが、とにかくDeborah Kerrの美しさがすさまじくて、結局彼女の美しさがあったからこそ二人の友情はなんとか保たれたのだろうな、としか思えないのだった。 彼女を見ているだけでうっとり、なのだった。

でも、ロンドンの地下鉄乗っててもああいうきれいな人って見たことないんですけど。

[film] A Celebration of George Kuchar: Rambunctious Rarities, Moody Masterpieces

土曜日は、いつものように、映画ふたつとライブひとつ。

映画の最初のは、MOMAの修復フィルムイベントの最後ので、この9月に突然世を去ってしまった実験映画作家、George Kucharの回顧で、リストアされた短編5本にVideo1本、双子の兄Mike KucharのVedeo1本を見ました。 (彼が遺したフィルムは200本以上ある)

見たのは順番に

・Mosholu Holiday (1966)
・Asphalt Ribbon (1977)
・I, an Actress  (1977)
・Wild Night in El Reno (1977)
・Motel Capri  (1986)
・Statue in the Park  (1996)  ..Videowork by Mick Kuchar
・Temple of Torment  (2006)  ...Videowork

個々には書きませんが、どれもキッチュでほのぼのとジャンクでエロで、ただ見ていて楽しい。
John WatersやDavid Lynch、Harmony Korineあたりまで、フィルムのなかに(悪)夢や妄想、がらくた等々をぜんぶぶちこもうとした作家たちの先駆として、歴史のお勉強というよりは現在進行形で投影され続ける夢のかけらとして見られるべきものだとおもった。

いいなーと思ったのは、どんなに変な、気持ちわるそうな人を描いても、小汚い矮小なかんじがしなくて、そこにWeirdnessやLonlinessのようなものがあるにせよ、ちゃんとそこに彼/彼女は存在していることだった。
あたりまえのことなのだが、部屋や公園や道ばたといったランドスケープのなかで、人がいること・あること、そのコンポジションを描けているからあんまり小品といったかんじはしない。
尊厳、とまでは言わなくてもいいけど、いろんなひとがそこにはいるよね。 変態だろうがなんだろうが、と。

あとは共同制作としての映画の楽しさみたいのもわかるの。
どの作品も最後に彼を中心にスタッフ(彼が教えていたSan Francisco Art Instituteの生徒達)が手を振ってくるのだが、それがあることで、映画に描かれた題材や人が、よりくっきりとした輪郭でもって、すぐそこに現れてくる。
きっとよい先生だったのだろうなあ、とか。

冬の入口に見るにはちょうどよいかんじのぴりっと変態した作品群でしたわ。

11.21.2011

[film] The Twilight Saga: Breaking Dawn - Part 1 (2011)

金曜の晩にみました。
ひとつ前の"Eclipse" (2010)のときは、帰国前日だったのでしょうがなく木曜0:01のオープニングを大勢のヤングに囲まれてみた。なかなかすごいお祭りだった。

金曜日に会社にいたら、何人かに昨日の晩のは行かなかったのか? と聞かれた。
行くわけねえだろ、とか応えつつ、でも、すげえおもしろいとは思えないけど、気になるのでつい見てしまうんだよな、という点ではみんな同じであることがわかった。

TImes Squareのシネコンで、RPXていうでっかい音の部屋で、10:20の回。
30分前にシアターに着いたら、入り口のとこは1時間後の上映の待ち行列でぱんぱんで、上行ったら更にすごくて死にそうになった。 ストローラーも何台かいるし乳幼児抱えているのもいっぱいいる。

前も書いたが、深夜のTimes Squareのシネコンは無法地帯で、あばずれとならず者しかいない。
携帯のチャットもおしゃべりもやり放題、鷹の爪団がこれ見たら発狂してしまうだろうし、映画泥棒だってうじゃうじゃいると思う。 でも画面と音がでっかいのなら気になることもねえ。

予告でかかった"Snow White and the Huntsman" (2012)で客全員、なぜかものすごい興奮状態に陥る。 よくわからない。

で、本編。 期待通りつっこみどころ満載でー。
ずうっと、みんなでぎゃーぎゃー騒ぎながらみる。 それでいいの。

冒頭、雨のなか、式の招待状をたたきつけ、怒りにぶるぶるしながらシャツを脱ぎ捨て上半身はだかで走り出す狼くんに全員熱狂。 はいはい。 いつも思うのだが、下はなんで脱がないのかね。

ゆるゆるの結婚式の準備、そして結婚式本番。
ただ、新郎一族が黒のフォーマルを着ると、白塗りが際立ってみえて、はっきり変なのだが。
特に新郎は、髪型のせいもあって、ひ弱なフランケンシュタインみたいに見えることがある。
こんな一見しただけで怪しいとわかる怪物くん一族に娘をやっていいのか、と普通は思うと思うのだが、パパはもう洗脳されたか、疲れてあたまが変になってしまったのだろう。

(今、日曜の晩、TVで"Twilight"の1作目をやっているのだが、Robert Pattinsonくんははっきり顔が崩れてきてやしないか)

式の一番いいとこで流れるのが、Iron & Wine。 音楽だけは、よいのがいっぱい。

式は、新婦が不機嫌なのはいつものことなのだが、"Melanchoria"みたいにはならない。
でも監督をSophia Coppolaにやらせる案もあったというのだから、Lars von Trierにやらせてもよかったのではないか。 テーマ的にも結構はまっていると思うのだが。

ハネムーンはRio。 Rioにはあんなみんなで楽しくダンスするようなフレンドリーな場所はないし、沖合にあんなプライベートリゾートがあるとも思えないのだが。

初夜に興奮のあまり、ベッドの柵を粉々に、羽根布団をずたずたにしてしまう新郎。
そうだよね、さんざん待たされてじらされたんだから爆発するよね。
で、その爆発力はミサイルの破壊力でもって、ベラをいっぱつで身籠らせてしまい、赤んぼは2〜3日後には母親の腹をキックしはじめる。

ブラジル人の、ハウスキーパー兼呪術師みたいなおばさん(そういうひとがたまたまいた、と)に見てもらうと一言、「死、じゃ…」と。 

なんで? とかゆってもしょうがない、相手は何百年も生きてきた超利己的遺伝子をもった化け物なんだから。 そういう奴と結婚したんだから。

で、慌ててオレゴンに戻って、絶対安静状態に置いて、心配した狼くんはなにをしたこのやろうーばうばう、とか吠えるのだが、もうしょうがない。 
あとはもう血みどろの出産ホラーみたいな展開。 
ベラは一体どうなるのか、腹を食い破って出てくるのはいったい...

これなら出会ってすぐに噛んじまえばよかったんだよ、とか言わないこと。

Part2はこれまでのトラックに戻って妖怪大戦争になると…

なごめるのはAnna Kendrickさんが出てくるとこくらいでしたわ。

11.20.2011

[log] pictures - Nov.19

"Melancholia"にあんなに熱くなってしまったのは、やっぱし星とかに激突してもらいたいからなのだねえ。

こうして、やっぱし滞在が延びる。 ThanksGivingを超えて12月頭まで。

だからそんな計画立てるじゃねえよ、てずうっと言っているのだが、なにが悪いのだろうか? 自分か? やっぱし。
去年からずっと、1週間を超える滞在の場合、ぜったい延長になってしまうのはなんでか?

最初から1ヶ月ってわかっているのといないのとでは、心構えがぜんぜんちがうのにさ。

ThanksGiving前の写真。
左から、SOHOのAnthropologieの店内、真ん中がおきまりRadio Cityのツリー、右がBergdorfのウィンドウ(のひとつ)。 今年のBergdorfのはとってもよい。

11.19.2011

[film] Melancholia (2011)

Angelikaで水曜日の晩にみました。 雨で、だんだん冷たくなってくる。

カンヌでKirstenに主演女優賞と監督によるナチ擁護発言(→永久追放)のおまけをもたらした、どういう顔して賞受けとりゃいいのよ、だったLars von Trierの最新作。

"Antichrist" (2009)もすんばらしかったが、これもすごい。
空前絶後のあるまげどん大作、震災と原発と天災の年に現れるべくして現れた大傑作、と勝手におもうのだがそう思わないひともいっぱいいるんだろうな。

ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』がわんわん鳴り響く中、ストップモーションでこれから起こるいくつかの場面が流されて、そのあとで結婚式の会場、古城に入っていく。

花嫁(Kirsten Dunst)と花婿が会場に入った時点で客はすでに2時間待たされていて、誰もが愛想笑いしかしない。
家族はそれいじょうで、姉(Charlotte Gainsbourg)もママ(Charlotte Rampling)もパパ(John Hurt)もみんなひどい顔してる。
姉のだんなのKiefer SutherlandもWedding PlannerのUdo Kierもみんな不穏な、めでたくない顔。

あまりに退屈なので、花嫁は会場抜け出してゴルフ場行ってドレスのまま放尿したりお風呂入ったり、職場の新人と青姦したり、やりたい放題、そのたびに全員がじとーっと待たされる。
そんなに式やりたくないならやめればいい、ていうか結婚したいとも思えないのになんで結婚するの、とか。

このへん、アルトマンの"A Wedding" (1978)の暗黒版であるとともに、Sofia Coppola的世界への、或いは"The Tree of Life" (2011)への強烈なアンチ、であり毒盛りにもなっているとおもう。 やっちまえ、てかんじ。

ほんとにねえ、いつCharlotteがあの不機嫌顔のまま、釘と金槌を持ち出してくるかと。
どうってことない所作とか表情とかがいちいちおっかない。 意味不明のばりばりの緊張感のなかにある。
かわいかった頃のCharlotteとか、お茶目なKirstenとか、そういうのが永遠に思い出せなくなってしまうのでは、と心配になるくらいこの映画の彼女たちの不機嫌鉄面顔はこわい。

Kirsten, Charlotte, そしてもうひとりのCharlotte (Rampling), この3人がそれぞれにあの不機嫌猫顔でこっちを睨む。それがどんなにおっかないことか。 それだけで世界の息の根が止まっておかしくないとおもう。 この点では、最強の女子映画、ではあるな。

と、そう思っていると、ちょうど都合よく惑星Melancholia(めらんこりん)が地球に向かってやってくるの。
彼女たちの不満と怒りと鬱憤がこいつを呼びよせたのだとしか思えない。(だって星があんなふうに踊るか?)
星は冒頭からちょこちょこ見えていたんだけど、それがだんだんでっかく、目障り耳障りになっていくの。 頭のなかの毒とおなじようにぐりぐりとくいこんできて止まらない。 血が血を呼ぶ惨劇のかわりに星がぶつかってくる。

「世界の終り」、ってこれまでいろんな形でいろんなひとが語ってきたが、終わる直前にひとは何を考えてなにをやっているんだろう、とか、その瞬間て、地底に落ちるのか水にのまれるのか空がひっくりかえるのか火で焼かれるのか、あんまイメージできるものではなかったような気がする。
この作品で描かれる「終り」は、そういうのを考えさせるような、極めて具体的なものに思えて。
これならあるまげどんもそんな悪くないかも、みたいなそういう作りになっていて、その辺はいいなー、と。  (いいのか?)

で、これのあとで、"The Tree of Life"がいけしゃあしゃあと再生されるのね。


あと、あの最後のとこは絶対爆音しかありえない。
Angelikaもなかなかすごい音(+横を走っている地下鉄音)が出るのだが、あれであれなんだから爆音だったら地球が潰れるようなすんごい音になるのではないか。

この回だけかもしれないが、終わって、画面が暗転した瞬間、なんでか大爆笑がまきおこったの。
なんじゃこりゃすげえー、みたいな。 わかんなくはないけどね。

[film] Two Weeks with Love (1950)

あまりにいろんなことがぼろぼろと崩れていくので、なんもやるきにならず、火曜日の晩に抜けだしてみました。

Walter Readeの横の展示室で、" Style and Motion: The Art of the Movie Poster (from the Mike Kaplan collection)" ていうのをやってて、それはそれはきれいでうっとりするしかない昔のミュージカルのポスターがいっぱいあって、それの関連イベントで、Jane Powellさんを囲む一夜、というのがある、と。

JanePowellさんのことは、『掠奪された七人の花嫁』 (1954) くらいでしか知らないのだが、こういう昔の映画はどんな知らなくてもなにがなんでも見ておけぜったい損はしないから、という内部ルールがあるので、見にいった。  振付はBusby Berkeleyだし。

上映前にトークがあって、本人登場の前のイントロとしてStanley Donenの"Royal Wedding"(1951)からFred Astaireとのダンスシーンのクリップが流される。 すごーい(それだけで尊敬する)。 
アステアと歌って踊って、彼の帽子をがしがし踏んずけたひとのほんもんに会えるんだー、と。

ご本人は小柄で、とっても元気でチャーミングなおばあちゃんだった。 「84なのよ、やーねー」
基本は聞き手が投げてくる昔話とか思い出話を語っていくだけなのだが、当然のように、内容はあんまわからない(みんなふんふん頷いていたが)。 
それにしても、スターだなあ、って。 なんであんなにきらきらしているのかねえ。
彼女、エリザベステイラーの最初の結婚のときのBridesmaidだったんだって。 すごいねえ。(そればっかし)

上映された映画は、彼女の一番のお気に入りということで、その理由については、「かんたんよ。見ればわかるからよ。エンターテイメントなのよ!」 だって。 あと、家族についてのとってもTenderなおはなしだから、と。

夏休みでCatskill(NYの北のほう)に避暑にいった6人家族の2週間のおはなし。長女のPatti(Janeさん)は、恋に恋をはじめた18歳で、同じく避暑に来ていた謎のキューバのお金持ちにぽーっとなって、浮かんだり沈んだり泣いたり、それに家族は振りまわされて、あれこれ大変なのだが、とにかく歌って踊ってしまえばなんとなく楽しくなるからいい。 いいったらいいの。

Janeさんはすごい美人さんというわけではなくて、Girl-Next-Doorの、でも歌のものすごくうまい女の子で、ちょっとだけDrew Barrimoreさんがふわーんとしたときの顔に似てみえるとこもあった。

ほんとにTenderなアメリカの家族のおはなしで、John Hughesの『すてきな片想い』 (1984)の、あれよかもっと無防備な、砂糖菓子のような家族の原型を見るようでした。 
ああいう家族って、いまもあるのかなあ、むかしはあったのかなあ、とか。

あとは、ぴかぴかのテクニカラーの色彩の美しさについては、至福としかいいようがない。 
この先、どんなデジタルのCGの3Dのすごいのが出てこようとも、美しいのは断然こっちだ、裁判で争ったっていいね、とおもった。 
でも今のシネコンとか映画技術が向かっているのって、こういうのとは全然別の方角なんだよなー。
リアリティって、そんなに重要なもんなのかしら。

コピーできない、互換もない、暗闇のなかでしか現れることのない美しさ、そういうものがある、っていうことをどうやったら若い子たちに伝えていくことができるんだろうねえ。
  

11.17.2011

[film] Saul Bass: A Life in Film & Design

月曜日の晩、MOMAの"To Save and Project: The Ninth MoMA International Festival of Film Preservation"の一環のイベント。

チケット取っておくのを忘れてて、当日も抜け出せるかどうか直前までわからず、15分前に会場についたらとっくにSold Outで、Stand-byのすんごい行列ができていた。  そりゃねー。MOMAでSaul Bassだもんねー。 
とりあえずおしりに並んで、じゃあかわりに何見ようかなー、と探しはじめたら、なんと入れてしまった。

"Saul Bass: A Life in Film & Design" (Laurence King, 2011)ていう本の出版を記念して、彼の業績を振り返る。  講義してくれるのはPat Kirkham, Chip Kidd, Kyle Cooperの各氏。

オープニングが"Walk on the Wild Side" (1962)のタイトルロール。
土管からでてきた黒猫のしのし、黒猫vs.白猫、黒猫勝ってふたたびのしのし。
この時点で全員溜息しかでない。 ありえないくらいにかっこよすぎる。

最初のパートは彼自身へのインタビューも含めて彼のいろんな業績をざーっと紹介したショートフィルム。

面白かったのが、"Phycho"(1960)のシャワーのシーンを彼が手書きしたシークエンスと実際の映像をパラで流していくところ。
アングルとか、ほとんどおなじに推移していくところがすげえ。

それからあまり紹介される機会のなかったTV CMを紹介するコーナー。
ABCのFrank Sinatra Showとか、ビールのCM(Rainier Beer、National Bohemian Beer)とか。
ビールのCMの格調高いこと深いこと。 (これと比べると、最近の日本のビールのCMのクズなことゴミなこと...)

そしてChip Kiddさん(おしゃれねー : 写真下)が登場して、企業のCIデザインを中心に紹介、ていうかほとんど大学の講義みたいだった。
CIひとつひとつをぱたぱた流して論評していくの。
Lawry'sとかBell SystemsとかALCOAとか、QuakerとかUnitedとかWarnerとかGeffinとか。日本だとミノルタとか。

Chip Kiddさんは、10歳くらいの子供むけのグラフィックデザイン入門、みたいな本を出すそうです。

それから、自身も映画のタイトルを多く手掛けるKyle Cooperさんが登場してSaul Bassが手掛けた映画のタイトルシークエンスの紹介を2回に分けて。
(間違っていたり漏れていたりしたらごめん)

第1部はー;

The Man with the Golden Arm (1955)  ..Otto Preminger
Bunny Lake Is Missing (1965) ...Otto Preminger 
Cape Fear (1991)  ..Martin Scorsese
Vertigo (1958)  ..Alfred Hitchcock
Something Wild (1961) ..Jack Garfein
Cowboy (1958)  ...Delmer Daves

これらはそれぞれの映画のテーマである妄想(Obsession)にドライブされていくさまを象徴的なイメージの連鎖のなかで集約させようとしたもの、だと。

第2部はー;

Grand Prix (1966)  ... John Frankenheimer
Seconds (1966)  ... John Frankenheimer
North by Northwest (1959)  ..Alfred Hitchcock
The Age of Innocence (1993)   ..Martin Scorsese
Casino (1995)   ..Martin Scorsese

こちらは、映画のオープニングの掴みとして、一挙に物語のコアとか全体像に見る人を連れて行ってくれるような、そういう効果をもったやつ。

よくできたオープニングって、ほんとにどきどきして見たくなりすぎてストレスがたまる。
いつの日かぜんぶ制覇したい。
あと、"The Age of Innocence"て、Saul Bassだったんだ、とか。

Kyleさんがあきれてたのは、今だとCGのデジタル処理できることが相当あるのだが、50年代60年代はフィルムしかないわけで、そういうなかでなんであんなことができたのか、って。

で、いちばん最後に、リストレーションを終えたばかりだという、Saul Bass自身によるショートフィルム"Why Man Creates" (1968) 。
原始人のアニメーションから入って、だんだん進化の階段を上っていって、タイトル通りのいろんなイメージとかコントがてんこもりで、とにかくおかしいの。

全体として、ものすごく気持ちよい音楽を聴いているときに近い極楽浄土感覚で楽しむことができた。
約2時間のプログラムで全貌をつかめるようなひとでないことだけはわかったので、これからもちびちび追っていきたいと思いました。
                 


           

[film] The Owl and the Pussycat (1970)

Film Forumのあとで、Lincoln Centerに行って、見ました。
Hollywood's "Jew Wave"(この日が最終日だった)の1本。 Herbert Rossの70年作品。

邦題は『フクロウと子猫ちゃん』。 Pussycat = 子猫ちゃん?
この映画に出てくるのは子猫ちゃんではないねえ。

いつも行っているWalter Reade Theaterの窓口に行ったら、上映するのはここじゃなくて通りの反対側よ、と言われる。
この春に新しい上映館ができたのは知っていて、主に新作の上映をやっているところで。
シアターの名前は、The Elinor Bunin Munroe Film Center ていうの。 誰だよそれ、って。

できたばかりなので中はとってもきれいでちゃんとしたカフェもある。 BFIにあるやつみたいな。
ポップコーンのコーナーに、Parmigiano Black Truffle Popcornていうのがあったので、頼んでみた。($5)
... しっぱいだった。 
パルミジャーノとトリュフのくさいべたべた汁にポップコーンが浸かっているだけなのだった。

書店勤務で作家志望のさえない男(George Segal)が、おなじアパートの別の部屋をしめだされて転がりこんできたあばずれのコールガール(Barbra Streisand)と喧嘩して、両方とも首ねっこ掴まれてつまみだされて、互いにぎゃーぎゃーやりあっていくうちに仲良くなっていくおはなし。

めちゃくちゃおもしろいの。

これが最初のnon-musicalの主演だというBarbra Streisandの機関銃としか言いようがないブルックリン訛りも、それで蜂の巣にされながらもめげずにねちねちやり返していく梟男のGeorge Segalも偉くて、で、そんなふたりに突然スイッチが入って恋になだれこんでいく瞬間のうわわあー、みたいなかんじとか。 それがマンハッタンの西側のぼろいアパートとかで起こる、そのリアルさと、いろんなアパートを転々としてセントラルパークまで流れていってしまうずるずるしたかんじとか。

Barbra Streisandは、とにかくキュート。 子猫ではないし、実際にいたらおっかなそうだし、あんま関わりたくないけど、でもキュート。

上映後に脚本のBuck HenryさんとのIn personがあった。(写真)

もともとはお芝居をベースにしていて、もとは男のほうはSidney Poitierを想定して書いてて、そのあとで別のひとになって(名前忘れた)、最後に彼が即興劇団でいっしょだったGeorge Segalに落ちついたのだそうな。

あと、Barbra Streisandは撮影のときはもっといっぱい脱いでて(すばらしいプロポーションだった、と)、ぜんぜんそういうのにこだわっていないふうだったのだが、公開直前になってやっぱりいろいろ友達とかもいるし恥かしいのでやめて、と言ってきて、それで今のバージョンになったのだという。

あと、"Taking Off" (1971)(『パパ ずれてるゥ!』)で一緒だったMilos Formanとのエピソードとか。
(おもしろいーとおもったのにもう忘れてら...ばかばか)

音楽はBlood, Sweat & Tears が全面担当してて、これもすばらしいの。
満月の白い丸のなかにクレジットが映しだされて、静かなホーンの音色と共にマンハッタンの上にゆっくりと降りてくるタイトルバックのかっこよさに見事にはまるの。
サントラみつけたら、買おう。

このあと、8:30からは、Barbraの"Funny Girl"(1968) もあったのだが、仕事があったので諦めてしおしおと帰った。

11.16.2011

[film] The Other F Word (2011)

日曜日は、地味によいこに映画2本だけ。  Foo Fighters、行けばよかったかなあ。

ブランチは、TribecaのLocanda Verdeで、Wood-Fired Uova Al Forno、というのをいただいた。
深皿にお豆とモッツアレラとはっぱを敷いてこんがり焼きあげたやつ。 しょうげき、だった。

3:00からFilm Forumで見ました。 ドキュメンタリー。 パンクの... かなあ。
http://www.theotherfwordmovie.com/

ふだん、職場(=ライブ会場)でFワードを連発しているLAパンクシーンの重鎮のみなさんが、自分の子供をもって、子育てという事態に直面したとき、どうなったのか。 パンクにとって子育てとは、いったいどういう意味をもつのか。

いろんな人たちがいっぱい出てくるが、メインで出てくるのは、Jim Lindberg (Pennywise), Fat Mike (NOFX), Lars Frederiksen (Rancid), Mark Hoppus (Blink 182), Tim McIlrath (Rise Against) あたりで, 他出るのはBrett Gurewitz (Bad Religion), Ron Reyes (Black Flag),  Flea, Josh Freese, Mark Mothersbaugh,  などなど。

めちゃくちゃおもしろかった。
パンクていうのはまず親に反抗し、体制に反抗し、既成概念に反抗し、なにごとにもきんきん針と中指を突ったてるものだった。
だがしかし、その針の内側に守るべきものができる、自分があれほど嫌っていた親に自分がなる、ちゃんと子供を育てるために学校にも通わせる、そのためにそれなりの生活レベルを維持確保する、これらって自分がずっとやってきたことを否定することにもなりやしないか。

で、そういう事態になって、彼らは彼らなりに考えるわけだ。 自分はなんであんなにも親を嫌ってパンクになっていったのか、とか。

よいのは、「パンクも人の子」とか、「ご家庭パンク」とかおちゃらけたりしないこと、パンクがそんなことを... とかも言わないことだ。
そんなの言うこと自体おかしい。 あくまで線を引くのは自分だし、パンクってそういうもんだから、と。

こうして、彼らが本当に真剣にParenthood - 親になること - を考え、実行し、苦闘するその姿がおもしろおかしく描かれる。

それは結果的に、誕生から35年だかなんだかを過ぎようとしているパンクの本質に向かうものに - そこらの安っぽいパンクドキュメンタリーをはるかに超えるものに - なっていたように思う。

だから年間200日を超えるツアーに出るような生活を子育てのためにやめる = バンドを脱退する Jim Lindbergさんが感動的にうつるのだし、子供がいてくれてほんとによかった、と泣きだしてしまう泣き虫Fleaさんも沁みるのね。

でもだからといって、最近の女性誌にいっぱいでている「子供をつくろう」みたいのとは全然別だからね。  あれってほんとにほんとに気持ちわるいんだけど。

映画全体のトーンは、ほのぼのとおかしい。
子供をあやすのにDevoのフィギュアを使ったり、完全に子供の尻にしかれてたり。

あとね、弱点があるとすれば、これってパンクは男性のもの、っていうそれなりの前提に立ったものなんだよね。
女性側の視点(パンクの夫を持ってしまった妻たち、自身がパンクであるママたち)を入れたらどうなったのか、とか。

続編をつくってほしいものだ。

あとね、これって西海岸(LAパンク)だから成立したテーマかもしれない、とか。

Josh Freeseさんの息子、NINのJones Beachのときにステージの端にでてきてあそんでたねえ。

[music] Sebadoh - Nov.12

"Like Crazy"のあとで再びBrooklynに戻る。 こんどはWilliamsburg。

ライブまでは時間があったので、Academy Recordsですこし漁った。 
店内ではでっかい音でPILの"Flowers of Romance"が流れていた。どんどこどこどこ。
いつもはカウンターで寝ている猫がずっとうろうろしているのであんま集中できず。

Spoonbill & Sugartownの本屋にもいった。 あそこにいつも寝っころがっている猫の写真を展示販売してた。
一枚$100は高いのではないか。 だって実物がそこで寝てるのにさ。 いつきてもほんとによく寝てるねえきみは。

9時過ぎにMHOWに入って、最初の前座がはじまっていたのだが、床に座ってそのまま意識を失っていた。 ごめんね。

2番手がMazesていう英国の4ピースで、説明書きにもあったがほんとにGuided by Voicesみたいだった。 きみたち、ほんとに英国のバンドなの? それくらいにからからすっこ抜けた音だった。

で、だらだらしたセッティングの後、10:55くらいにようやく登場する。 
それまで、壁に寄りかかって気を失ってた。

出張で見れなかったこないだの来日公演のリベンジ。 きほん負け犬だけどそういうとこはへこたれない。  行きたいものは行く。
2011年のツアー全部の最終日、ということでリラックスした、開放感に溢れたライブでした。

というか開放しすぎ。 曲間にだらだらしゃべるしゃべる。 しかもギターの調子がよくない、とかチューニングしながらえんえん。
君たちの曲って、そんなに厳密なチューニングいらないでしょ? と思うのだが、まあ音はばりばり出ていたのでゆるす。

90年代中期にLo-Fiと呼ばれた音が抱えていた壊れやすさ、繊細さ、揺れっぷりは歳月と彼らの年齢と共に、あらかじめどこか壊れた、やけくその音の塊として思いっきり地面に叩きつけられていた。 そういうものだし、それでいい。
そうして再生された"Bakesale"や"Harmacy"の音は、それでも、じゅうぶんに瑞々しいんだもの。

新旧いろんなのをいっぱいやって、でもSebadohらしくだれだれで、で、1時間半を過ぎたくらいで、Louが「みなさん、とても残念なお知らせがあります」とかいう。 「曲のリストをぜんぜんこなせていません。どうしよう...  云々」。 

それでもだらだらチューニングとおしゃべりは止まず(まったく悪いと思ってない)、その状態のまま、「いまのが1回目のアンコールね」 その後しばらくして「これが2回目のアンコールだよ」... 
終わったら1時を軽くまわってて、メンバーはひっこんだものの客電がつかないので50人くらいがずっと帰らずにわあわあ騒いでいた。 あのあと、出てきたのだろうか。

JasonのMCでおもしろかったとこ「ヘンリーロリンズのやろうがルーザーでいて何が楽しいんだ? とか言いやがってよお。うるせえよ、ほっとけってんだよ」 そうだそうだー。 えいえいおー。

アパートに戻ったのは2時半過ぎで、さすがにもうあかんこういうのは、とおもった。 何度目だよ。

[film] Like Crazy (2011)

BAMのあと、裏手のGreenlight Bookstoreでだらだらして、いいかげんBrooklynの地図とか買った。
あと、Jonathan Lethemのサイン本がいっぱいあったので「孤独の要塞」を買った。

晩のライブまでのつなぎで最近の若者むけのもなんか見ないと、と思ってマンハッタンのシネコンでこれを。

予告でかかったJason Reitmanの新作、"Young Adult"がすごくみたい。

で、"Like Crazy"。 2011年のSandanceでGrand Jury Prizeを受賞しているそうな。

学生の終わり頃に知り合った彼(Anton Yelchin)と彼女(Felicity Jones)が、仲良くなるのだが、彼女はVisaの関係で英国に戻らなきゃいけなくなって、その後Vacationでアメリカに入ろうとしたのだがVisaのViolationがあったから、ということで入国できなくて、双方それぞれの国に仕事もあるし、遠距離恋愛で悶々するの。 それだけなの。

きほん、こういうのは彼と彼女(だけ)の問題なので、暗くも明るくもない。静かに、じっくりと感情が昂ぶったり落ち込んだり諦めたりしていくさまをきちきちと描いていく。 こないだのDrew Barrymoreの"Going The Distance" (2010) みたいなわんわんしたはた迷惑な騒々しさはなくて、双方が見えない糸であや取りをしているようなもどかしさが、えんえんと。 たぶんこっちのがリアルなんだねえ。

いっそのこと結婚を、とか思うがグリーンカード目当ての結婚もあるので当局はうるさくて、しょんぼりして、そうしているうちにそれぞれに仲良くなるひともでてきたりして、もうさようなら、になってしまいそうになる。 しょうがないかー。

遠距離恋愛、というのはたんに物理的に隔たっているということだけではなくて、そのひとがそのひとである限りにおいて、それぞれに流れていく時間がある限りにおいてもうどうしようもないのだと。 泣いてもわめいても狂っても。

そういうのを、そういう状態を画面の濃淡と分割と切り返しだけで示そうとする。 耐えられないのであれば、恋をやめるか、自分であることをやめるか。
修羅場も殺傷もない、懇願も恨み節もない、決定的な一撃も殺し文句もない、ふつうそういうもんだよね。

そんな彼と彼女を演じたAnton YelchinとFelicity Jonesはすばらしい。
Antonは、あと5年もしたらはげてでぶになってしまうだろうから、今が旬だとおもう。 ほんともったいないが。

あと、彼のほうの彼女(職場の同僚で、できちゃうの)にJennifer Lawrence。 彼女もよいかんじ。

音楽はいろいろ流れるが、つき合いだした頃にふたりが好きだ、といったのが、Paul Simonの"Graceland"でー (ふーん...)。
ラスト、画面が暗転したところにStarsの"Dead Hearts"がきらきらと流れだす。 その瞬間、うしろのほうにいた女子数名から「きゅぅー」みたいなへんな鳴き声がきこえた。

久々にみた恋愛映画、だったかも。

[film] Being Elmo: A Puppeteer's Journey (2011)

12日の土曜日は、映画2本にライブ1本。 このへんがもう体力の限界だわ。

7月から、アストリアのMuseum of Moving ImageではJim Hensonの特集をずっとやっている。
"Jim Henson's Fantastic World"
http://www.movingimage.us/exhibitions/2011/07/16/detail/jim-hensons-fantastic-world/

で、BAMのシネマテークでも、この日からPuppet映画特集がはじまったの。
"Puppets on Film"
http://www.bam.org/view.aspx?pid=3734

かわいいやつだけでなくて、ホラーとかも含めてざーっと。 見たいよねえ。

2時から見たのがこれで、IFCでは既に公開されてて、オープニングのときにはElmoが来て一緒に写真撮ってくれたりサインしてくれたりしてて、それを見せびらかす同志Mをはげしく嫉妬した。 
今回もPuppeteerのKevin Clashさんが挨拶に来るということで。

ボルチモアの郊外で生まれ育ったKevinさんがPuppetの世界に魅せられてPuppeteerを志し、やがてJim Hensonのチームに加わり、やがて驚異のいきものElmoを生みだすまでのおはなし。
彼とその家族のお話であることは勿論なのだが、Puppeteerの目からみた巨星、Jim Hensonの足跡を辿る旅 - つまるところそれは、Sesame Streetにむかう旅、でもあるのだった。

小さい頃にTVで見ていたSesame Streetは、ウルトラマンとかの怪獣ものと並んで、世界にはっきりと実在する不思議であり、憧れだった。 アーニーとバート、ビッグバードにクッキーモンスターは、どっかの国のあの町に、よくわかんない言葉を話す生き物としてそこにいるのだと信じこんでいた。 彼らの存在は決定的で、その後のディズニーもサンリオもそんなに来なかったのは、まず彼らがいたからだとおもう。

なので、映画の最初のほうで、Sesame Streetのテーマが流れて、アーニーとバートの顔がアップでスクリーンに大写しになった瞬間、ぶわっと泣きそうになってしまった。 とつぜん出るんだもの。

それと同じように最初のほうで、まだ動いてないElmoのもしゃもしゃにKevinさんが寄っていって、毛を撫で揃えて、腕にはめて、くるっと振り返ってElmoが、生きたElmoが目の前に現れた瞬間、客席のあちこちでなんともいえないため息がでるの。 ふにゃー、みたいな。

というわけで、ドキュメンタリーとして、Kevinさんの歩んできた道を追う、というだけではなくPuppeteerがPuppetに吹き込む命のありえないかんじ、のほうがすごくて、痺れっぱなしだった。 例えばすごいギタリストのプレイを追う、アーティストの創作過程を追う、それに近いのかも知れないが、そういうのよか、よりダイレクトに来るものがくる。 よくわかんないけど。 

映画のなかでも出てくるが、どんな調子の悪い子供たちでもElmoが寄っていってハグしただけで、にこにこになる。この会場でも、上映後のQ&Aの最中に子供がぐずぐず泣き出すと、Kevinさんがいけねえいけねえ、というかんじで、Elmoを腕にはめてそこに飛んでいくと、とたんに収まってしまう。 どう説明したらよいのかわからないの。 

という謎と驚異に満ちた80分だった。 
日本の、アニメとせいぜいディズニーくらいしか知らないかわいそうな子供達に見せたい。

Q&Aはおもしろかった。
「Elmoっていくつなの?」 「んー、52歳とかそんなもんよ」 とか。

彼に公認されたElmo使いは世界で4人くらいいるんだって。 
Elmoの人形は全部で9体あって、場面によって使い分けられるようにほんのちょっとづつ仕様が違うのだそうな。

あと、Puppeteerの指使いをみんなでやってみる、ていうのもやった。 One, Two, Three... をカウントしていくだけなんだけど。
こんど靴下でやってみる。

Elmoのもしゃもしゃにも触った。 絶滅危惧種よか珍しいやつに。

もうじき公開される"The Muppets"も、見て帰りたいけどなあー。 


ElmoとKevinさんは、11/19にLincoln Centerにも現れるよ。


[film] This is Spinal Tap (1984)

11日、金曜日の晩にBAMでみました。

"The Movie that Goes to 11: This is Spinal Tap"という特別上映が夜の7時と11時11分11秒の2回あって、11時のほうを。

11年11月11日11時11分11秒きっかりにはじまる。 
(でもちゃんと画面に時計をだして同期をとるわけでもなく、秒針がわかんないから結局みんなの掛け声ベースになったの)
なんでこだわるかというと、知っているひとは知っていると思うが、このバンドのアンプの目盛りが10ではなく11まであるからなのよ。
くだんないけどね、でもこういうしょうもないこだわりがこの映画のすべてでもあるの。

というわけで、11時11分の回はSold Outしてしまったのだった。 客席は普通の格好した中高年ばっかし。
主催者が嬉しそうに、US国内にはこれの35mmプリントがなかったので、スカンジナビアのどっかからわざわざ取り寄せたのだという。
たった2回の上映のために。  DVDだって出ているんだから別にいいのに、でもこのこだわりこそが... (以下略)

上映前に特別プレゼント、ということで、チケットの半券の番号で抽選会があった。 
商品はギターアンプ....
こればっかりは当たりませんように、と少し祈ってしまった。 (前の列のひとに当たってた)

振り返ってみるとこの月曜の晩に見たのがCarl Reinerの映画で、金曜の晩のがRob Reinerの映画だった。
Reiner親子に挟まれてしまった一週間にどういう必然と偶然が働いていたのか。 
これもすごくどうでもいいことではあるのだが。

架空のロックバンド"Spinal Tap"のRockumentary。
60年代の結成からスタイルをころころ変え、ドラムスの屍体の山を乗り越え、メガロックバンドとして米国に上陸する、その大活躍の表裏をドキュメントしているの。 メタ・ドキュメンタリーでもあるの。

84年の段階で、ここまでロックバンドとそのスタイルについて鋭い洞察と観察力でもって、そのありようを描いたものはなかった。
そしてその殺傷力はいまだにぜんぜん有効である。 というか、「ファンのため」を名目に金目当ての再結成を繰り返す三流バンドと業界一丸となってそいつらを甘やかす提灯メディアがはびこる今こそ、改めてじっくりと見られるべき映画なのだとおもう。

それにしても、この映画の延長線上にあった"Wayne's World"(92-93)以降、もうこういう映画はほとんどなくなってしまった。
せいぜい、"Get Him to the Greek" (2010)くらいじゃなかったろうか。
もうほんとうに、その芯からロックの世界は腐りきってしまったのだろう。

公開すらされていない日本なんか、もうさいてーのど田舎だよな。
ファッションとしてのロックを喧伝する業界と、そのスタイルゆえに虐げられている(と思いこんでいる)メタル村の住民と。
そんなのぜんぶ、どーでもいい。 ほーんと、どうでもいいったらいい。 中指。

あと、Rob Reinerさんはこの後、"Stand By Me" (1986) - そういえば見たことねえや - とかでハートウォーミングなドラマを作る名匠、というラベルが定着してしまったようだが、あくまで原点はここだし、これが彼の最高傑作だとおもうの。

ほんとうにしみじみ愛されているバンドであり、映画なのだなあ、とおもった。
客席はみんなずうっと歌っているし。

11.12.2011

[film] Sometimes a Great Notion (1970)

10日、木曜日の晩、9:15から見ました。 なんか毎晩映画見ているようだが、とにかく目も当てられないくらいの惨状なのよ。

公開40周年記念、ということでBAMで1週間だけ上映されていて、みんながみんな必見!傑作! て騒いでいるので。

邦題は『オレゴン大森林/わが緑の大地』。
原作は『カッコーの巣の上で』のKen Keseyの小説。

監督・主演がPaul Newman。 
最近の子にはポップコーンとドレッシングのおじさんかもしれないが、昔はこんなにかっこよかったんだよ。

オレゴンの山奥で、木の伐採と運び出しをやっている一家があって、家長がHenry Fondaで、Paul Newmanとか義弟とか、ぜんぶで6人くらいで暮らしている。 おうちの銘は"Never Give a Inch"。 言葉少なくて、でも岩のようにがんこなの。

ストへの誘いを断ったりしたせいで組合からあれこれ嫌がらせをうけて、でもめげずに一家で山に仕事に出たら事故にあっていろいろ失ってぼろぼろになって、それでもくじけない、折れない、という。

今ならClint Eastwoodがやりそうなテーマだが、あそこまできつい、悲惨なかんじにはならない。
オレゴンの森と、伐採シーンのばりばりをどこまでもでっかく見せて、更にラストの曳航のところの堂々としたふん!うるせえよ、に繋がっていくところに主人公のどこまでもまっすぐな自分の仕事に対する思いと誇りが投影されているからだと思う。

喋らないし、がたがた言わない、喧嘩もしない、ストなんかやってる暇があるんだったら働け、木を切れよ、って。
えらいなー。 無駄口いっさいなし。

ああ、あんなふうに澄んだ瞳でただただ自分の仕事ができたら、どんなにかよいだろう!  
と一応書いておこう。

それにしても、木の伐採て、すごいしこわいねえ。木の屠殺だもんなー。

ラストの中指、あれもすんばらしいー!

土曜日になりました。 外は5℃...

[film] Brooklyn Boheme (2011)

9日、水曜日の晩、IFCで。 これも"NYC DOC"からの1本。 行けるところまでいってみよう。

ブラックミュージック関係のライターとして知られるNelson Georgeさんが自ら監督をして、BrooklynのFort Greene界隈に80年代~90年代末まで暮らしていた音楽家、アーティスト、これらボヘミアン達の肖像を関係者インタビューを通して描く。

Nelson Georgeさん自身が今もずっとそこに暮らしていることもあり、とっても地元愛に溢れたものであることは確かなのだが、それにしても出てくる人たちがすごい。

Spike Lee, Branford Marsalis, Rosie Perez, Chris Rock, Saul Williams, Vernon Reid, Talib Kweli, などなど。
映画には出てこないけど、ほかには、Erykah Baduとか、Jeffrey Wrightとか、Mos Defとか。

彼らはみんな同じエリアに住んで、作品をつくったりしつつ、それぞれがそれぞれに有名になって、去っていった。
そのあまりの集中具合に20年代のJazzが出てきた頃のハーレムが引き合いに出されたりするが、こっちは音楽だけでなく、映画も俳優も漫談もある、全方位で、しかも旧来からのコミュニティのような強い繋がりをベースにしたわけではなく、ケミストリーみたいのが働いて同時発生的に拡がっていったようなところがおもしろい。

存在として大きいのは、やはりSpike Leeと彼のプロダクション(が"Do the Right Thing"(1989) 以降ぐいぐい上がっていった頃)なのだが、それだけではない、変な磁場があったのだとしか言いようがない。

そしてインタビューされる全員が、暮らしていた当時がどんなに日々エキサイティングで楽しかったか、を楽しそうに語るの。
Rosie Perezさんとかは当時を思い出して涙を流してしまったりするのだが、でも、単にあの時代はよかった、だけの回顧では終わっていない。 全員が当時を振り返りつつ、なんであんなだったんだろ、とか感嘆しつつも、あくまで今を向いているかんじが気持ちよい。

ここで出てきたヒップホップ系の領域はそんなに詳しくないのだが、このエリアにあるBrooklyn Academy of Music (BAM)は93~96年頃、ほんとによく通っていたので町の雰囲気みたいなとこはようくわかる。 といっても当時はまだ十分おっかなかったけど。

で、このうねりは、90年代末の不動産バブルと地上げの波と共に消滅して、離れるひとは離れていってしまう。 ださい高層ビルが沢山建ちはじめて家賃がどんどん上がっていった時期。 でも、残るものは残るはずだし、ということでNelson Georgeさんは今も同じところに暮らしている。

Vernon Reidさんが言っていたBlack Nerdの話がおもしろかった。要は、マッチョではない、黒縁メガネの文系の、でもブラック、という異端な連中が登場しはじめたのはここで、まさに自分もそういうひとりで、その流れは今もTV on the Radioとかに引き継がれているのだ、とか。 なるほどなー。
それを言うと、この映画に出てくる連中はみんなそんなかんじかも。強引にのし上がっていくタイプじゃない。 みんな結構神経質で、でも言うことはいうし、やることはやってすたこら逃げる、みたいな。

上映後のトークでは、Nelsonさんと、あとVernon Reiddさんとかも参加してなかなか楽しかった。

どういうかんじかというとだな、夜中に飲み物を買いに出るとするでしょ、そうすると、みんなどこにだれが住んでいるか知っているわけ、で、ちょこちょこのぞいてみたりすると、みんなリハしたり創作したり勉強したりしている、なので自分もなんかやらなきゃなー、と思うわけよ。 とかね。

あと、Erykah Baduさんがはじめてみんなの前でパフォーマンスをしたときの話とか。

これは映画の本来のテーマからは外れてしまうのだろうが、川向こうのNYのダウンタウンシーンとの関係(バスキアは一瞬出てくるけど)とか、エリアは違うものの、Brooklyn育ちの白人たち - Jonathan LethemとかNoah Baumbach とかはどうだったんだろ、とか、いろいろ広がるよね。

Nelson Georgeさんは、12日の土曜日、Museum of Moving Imageで行われる、"We Gotta Have It: The 20th Anniversary of the New Wave of Black Cinema"ていうイベントのKeynote address もやるの。 これもぜったいおもしろいんだけどなあ。

http://www.movingimage.us/visit/calendar/2011/11/12/detail/we-gotta-have-it-the-20th-anniversary-of-the-new-wave-of-black-cinema

[film] Cure for Pain: The Mark Sandman Story (2011)

火曜日。 9:00からIFCで。 そろそろなにをやっているのかわからなくなってきたかも。

11/2から10日まで、DOC NYCていうドキュメンタリー映画祭をやってて、このなかの1本。

http://www.docnyc.net/

来る前はぜんぜんマークしていなかったが、ラインナップは地味にすごい。

Werner HerzogとJonathan Demmeの新作がかかって本人達がくるし、 Richard LeacockへのTributeはあるし。
Stan LeeとかElliott ErwittとかJoe Frazierを追ったドキュメンタリーとかもある。
(8日にJoe FrazierのIn Personが予定されていたのに、ご本人が亡くなってしまったのだった...)

音楽関係だとサブセクションで"Midnight Rock Doc"ていうのがあって、これはそのなかの1本。

これの他には、Jay Reatardさんの亡くなる一ヶ月前の記録とか、こないだ吉祥寺の爆音でやってたSigur Rosの"INNI"とか、これをなんで今頃?の"DEPECHE MODE 101"(1989) とか。

それにしても、これら全部にアクセスできるパスが$125って、安いよね。

で、この映画のはなし。

Mark Sandmanが、Morphineが亡くなったのは99年なので、もう10年以上も過ぎてしまったのだった。
そんなに時間が経ってしまったとは思わなかった。 忘れていた、と言うのは失礼で、ちょっとちがう。 
なんというか、Morphineの音を思い起こさせるようなバンドとか機会に出会うことがなかった、ということなのではないかしら。

この映画の冒頭に流れる"Buena"とかを久々に聴いて、懐かしい、というよりかは、なんて素敵でかっこいいんだ、と改めて思ってしまった。 2弦ベースの岩盤をぶいぶいごつごつぶつかって、転がっていくサックス。 力強く、固くて渋くてダークでちょっとユーモラスで、そんなにアヴァンギャルドでもエキセントリックでもない。 冬のボストンみたいな音。

そんなMorphineの音を全編に流しつつ、Mark Sandmanの生い立ちとかバンド結成、そして最後のライブまでを追っていく。

音楽関係で出てくる人たちは、Morphineのメンバーはもちろん、Les Claypool、Joshua Homme、Mike Watt、Ben Harper、などなど。
誰もが、Morphineの音楽の不思議と、2弦ベースの驚異について語る。最初聴いたときは「なんじゃこれ?」だったと。

音楽のほかには、亡くなってしまった彼の2人の兄弟のことも。
彼も含めると、3人の男の子を失ってしまったお母さん、かわいそうすぎる。
(そして、2010年に亡くなったお母さんにこの映画は捧げられているの)

そして、イタリアの、演奏中に倒れて亡くなった晩のライブのことも。
最後にMike Wattさんがぽつりと「本当に惜しいやつを亡くした」 と呟く。 それがとってもしみる。

Morphineなんて聴いたこともない若者たちへのガイドとしても、すばらしい内容なのだが、日本での上映はむりかなあ...

[film] Where's Poppa? (1972)

体力はまったくないが、時間だってない。 見れるものは膝にナイフを突き刺しながらでも見るの。

月曜日の8:45から、Jew Wave特集の1本。

Carl Reiner(Rob Reinerのパパね)の72年作品。邦題は『パパはどこ?』...  ふつうだ...

George Segalが弁護士で、年老いた母との二人暮らしで、彼女の面倒を見ているの。
"Where's Poppa?"ていうのは母がいつも呟いている言葉で、息子はその度に「あーもういないの、しんじゃったの」と半自動で答える。

母を演じているのが、"Harold and Maude"のおばあちゃん(はこの作品の後なのね)、Ruth Gordonで、あれも十分チャーミングだったが、こっちもボケているんだか正気なんだか不明の、憎めないいじわるばあさんを見事に演じている。
ほんとにね、ボケていようが狂っていようが、それが明確になったところで生活がたいして変わるわけでもないので、この作品の乾いた突き放しっぷりはいいなー、とおもった。

そいで、彼女に散々振り回されるGeorge Segalがすんばらしくおかしい。
なんか起こるたびに、ぴきっ、てなって、口を半開きにして頭をゆっくり返してわらわらあたふた対応する。 ほんとに漫画みたい。
ホームコメディの王道だと思いましたわ。

せっかく、理想の、運命の女性(32時間前に離婚したって... )とめぐり合っても母がいちいち間に入ってくるので、なにもかもがらがらと崩されてしまう。 で、いいかげんあったまきて、母を車に乗っけて老人ホームを探しにいって見つけたところに置いてくるの。

結局ママには勝てないんだよね、というのを、こんなにも爽やかに面白おかしく描いた作品があっただろうか。

中心のふたり以外にも、法廷でのあれこれとか、身ぐるみ剥がされる兄の話とか、いちいち変でおかしい。   ユダヤ人のユーモアってこういうの、というのが割ときちんと出ているような気は、した。

あと、おばあちゃんがシリアルにペプシかけて食べていたが、あれって普通にあるもの?

[film] The Driver (1978)

6日の日曜日、MOMAに移動してみたのがこれ。 MoMA International Festival of Film Preservationのうちの1本。
客席はなかなか一杯入っていた。 5日の上映のときは、監督が挨拶で登場したもよう。 いいなー

Walter Hillの監督2作目。 彼はこれのあとで、"The Warriors"(1979) を作っておらおらとのし上がっていく。 んだよね?

Ryan O'Nealが"The Driver"で、名前はついていなくて、Bruce Dernが"The Detective"で、同様、Isabelle Adjaniが"The Player"で、同様。 

The Driverが強盗とかやったあとの犯人達を車に乗っけて安全な場所に連れて行く仕事のひとで、The Detectiveは彼を執拗に追っかけているやつで、The Playerは...  よくわかんないや、よくいる謎の女。

エモーショナルな会話は殆どない、というか会話自体殆どなくて、Ryan O'Nealは眉ひとつ動かさずにびゅんびゅん車をぶっぱなして警察をまいて、逃げきる。 助手席のIsabelleも、ひどい運転で死にそうになるのにきゃー、もなんも言わない仏頂面で最後までのりきる。

筋はあってないようなもんで、逃げる車と追っかける車がずうっとフレームのなかを走り回っているだけなの。 警察が罠とか仕掛けてしょっぴこうとしても、ぜんぜん捕まらないの。 それだけ。

でも、この面白さと速さと痛快さとかっこよさはなんなのか、と。

車が空を飛んだりアクロバティックな動きをすることはない。すごい車を使うわけでもなく、ほとんどが置いてあったやつを盗んだりして使う。車というのは重くて、四輪で、動いたり止まったり、止めたりするのは摩擦の働きで、それによる物理的な衝突とか横滑りとか、カメラが追っかけるのは車の中と外からのそれだけ。 それだけで、こんな歯をくいしばるようなやつが撮れてしまうのだねえ。

客席は、口をとんがらせて「ひゅぅー」ていうか「わぁぉー」て唸るかのどっちかしかなかった。

こないだ機内でみたメガなんとかなんて、これと比べたらぶよぶよ脂肪の塊だねえ。

久々に"Streets of Fire" (1984)が見たいよう。
Michael PareとDiane Laneのコンビの原型って、Ryan O'NealとIsabelle Adjaniなのかも。 無口でぶーっとしたとことか。
しかし、彼女達の鋼鉄の仏頂面のあとで、最近の若い女優さんのそれ見ると、ついおちょくりたくなってしまう。

[film] I Love You, Alice B. Toklas! (1968)

到着した日、11/6の最初の1本。

今、MOMAでは、毎年恒例の修復フィルム祭りをやっている。 どれもしぬほどみたい。

To Save and Project: The Ninth MoMA International Festival of Film Preservation
http://www.moma.org/visit/calendar/films/1210

で、本当は、1時からの、Richard Fleischerの"The Girl in the Red Velvet Swing" (1955) をすんごく見たかったのであるが、さすがにきつかったので4時からのWalter Readeのにした。

Walter Readeで今やっている特集がこれ。

Hollywood’s “Jew Wave”
http://www.filmlinc.com/films/series/hollywoods-jew-wave 

Jewishのことはあんまよくわからなくて、でも、わからないなりにおもしろそうなのがいっぱいで、そのなかの1本。

Hy Averbackによる"I Love You, Alice B. Toklas!" (1968)。
邦題は『太ももに蝶』... たしかに太ももに蝶の刺青は出てくるのだが、ひでえな。

弁護士のPeter Sellersさんは婚約者もできたし(せっつかれて結婚することにした)ママも幸せでよかったよかったなのだが、ヒッピーの娘さん(Leigh Taylor-Young)と出会ってぽーっとなり、彼女のつくったはっぱ入りのブラウニーを食べたら人生が極彩色に染まって別の幸せと快楽のかたちを知ってしまうのであった、という、それだけのお話。

ヒッピー文化やFlower Movementが堅気で真面目なJewish文化をおちょくる、というのはここに限った話ではなく、割りと普通にあるテーマだと思うのだが、ここでは結構どまんなかにやろうとしていて、これはこれでまた生真面目なアプローチ、というかなんというか。

Peter Sellersは崩壊していく弁護士の役をきちんと演じていてすばらしい。
Mike Myersあたりがやったら絶対おちゃらけてしまうだろうし、こうはいかないよね。
今のひとだったらOwen WilsonかAdrien Brody あたり、だろうか。

タイトルにあるAlice B. Toklasは、彼女の料理本にらりらりブラウニーのレシピが載っているから。
で、"I Love You, Alice B. Toklas!"ていうのは、Harpers Bizzareの"4"に収録されている曲で、大学の頃にこれの中古盤を買ってからずうっと聴いてきてて、ようやく使われているほんもんに出会うことができた。
映画のなかだと、 I Love You, Alice B. Toklas~♪のフレーズだけがちょこちょこいろんな場面で繰り返される。

これだけでよかったよかった、なのだった。

で、これに続いて、ベルイマンの71年作品"The Touch"- 邦題「愛のさすらい」があって、Elliott GouldのQ&Aもおまけでついていたりしたのだが、MOMAのほうを見たかったのでそっちにさすらうことにした。

[log] Nov.6, 2011 (2)

行きの飛行機で見たのは3本だけ。

最初が"Larry Crowne" (2011)ていうの。 Tom Hanksが監督・主演の。

彼が長年勤めていたスーパーを学位がないから、という理由で解雇されて、頭きて大学に入って友達ができたり、そこの講師のJulia Robertsと仲良くなったり、とかそういうお話。

人生やりなおし& 中年過ぎてからの学園モノ、みたいなかんじ。
若い学生仲間とつきあったり、いろいろあって楽しそうなのだが、Tom Hanks、あれじゃかっこつけすぎ。 もうちょっとじたばたおろおろしたほうが彼のアジはでるのに。

Julia Robertsのぎすぎすいけてないかんじは、わるくなかった。
こないだのCameron Diazよりは擦れたBad Teacherぽくてよいかも。

音楽は、Tom Pettyとかがんがん流れてたのしい。

それから"Friends with Benefits"をもういっかい。
楽しいし、改めてよく作ってあるなあ、って。

Third Eye BlindとかSemisonicとかあのへんと、Cheryl CrowとかJohn Mayerとかの間にはなんか溝があるよね。
TEBとかの後に、よりクラッシーなSSW系と汗と涙のエモ系に分化していった気がする。

あと、"The Lincoln Lawyer" (2011)ていうのをみた。
Matthew McConaugheyがLincoln(車)を事務所にしている弁護士役で、あるとき、金持ちのぼんぼん(Ryan Phillippe)が起こした障害事件の弁護を依頼されるの。  で、探っていくうちに過去の事件を含めたでっかい罠があることがわかって。

ロスの外れのぴりぴりやばそうなかんじが滲みでていてよかったかも。
Ryan Phillippeって、こういう、そこらにいそうな嫌なやろうやらせたらぴかいちだなあ、とか、Matthew McConaugheyって、ほんとに顔長いよねえ、とか。

で、NY着いたら天気がよくて、マラソンとかもやってて、ああこんなのやってらんない、のかんじがざーっと押し寄せてきたので、それらに対抗すべく、やけになって2本だけ見たのだった。

[film] Central Park (1989)

出張前日の夕方に見ました。 Wisemanの未公開作のなかでも、これだけは見ておきたかった1本。

80年代後半のCentral Parkの夏のあれこれ。 冬も素敵なんだが、雪景色は出てこなかった。
公園で遊んだり寛いだりする人たちと、公園を運営管理する側のいろんな人たち。

市が管理しているパートもあれば、地元住民が自主的に管理しているパートもある。
ここの「地元住民」ていうのは、Central Park Viewを毎日楽しむことができる場所、5th Aveとかの超高級アパートに暮らす上流の方々で、彼らは大金持ちの誇りと自分たちが公園を美しく維持して下々の庶民にも楽しんでもらうのよ、だってこの公園は自分たちの庭みたいなものだもの、ていう立派な志でもって、通りに面した全ての建物から供託金を集め、維持管理費にあてたりしているの。

で、下々の民に公園を提供して「あげている」、みたいな高慢ちき感覚が、例えば最後のほうに出てくるテニスコートの話でのプチ衝突のような形で顕在化したりする。 いったい誰のための公園なんだよ? みたいな。

こうして、これだけでっかい都市のど真ん中に、あれだけの空間が確保されていて、それが(たまに事件も起こるけど)それなりに維持管理されたかたちで人々にずうっと提供されている、ということの特異性みたいのが浮かびあがってくる。
それはハイドパークとも代々木公園ともちょっと、なんか違っていて、それはあの島の真ん中に長方形で切り取られている、というのが大きいのだと思う。 なんとなく。

病院や軍隊とは異なり、もっとぼわーんとしたかんじで、いろんなひとがここには集まってくる。
なんもしないでぼーっとするひと、散歩するひと、読書するひと、掃除するひと、食事するひと、スポーツするひと、デートするひと、結婚式するひと、稽古みたいのをするひと、ツアーするひと、なんかのイベントやってるひと、なんかのデモやってるひと、音楽やるひと/それをみるひと、木を植えるひと/刈るひと、などなどいくらでも。

公園でなくてもできそうなこともあるし、おうちではできないこともあるし、公園じゃなきゃやだ、というのもあるだろう。
そういうのをぜんぶ受けとめられるだけの広さと明るさがあって、実際にあの公園はそうだから実にいろんなイベントが行われる。
だからこの公園はみんなに好かれるのだ、ということもできるし、みんなに好かれたからこの公園はこんなふうになったのだ、ということもできる。 どっちも正しくて、異議なし、みたいな、理想的なPublic Spaceのありよう。 

公園にいるひとたちの髪型もファッションもみんな80年代末期、ていうかんじで懐かしい。
まだローラーブレードとかもない時代。

オペラのライブではパバロッティが歌っている。 
ロックのライブではMidnight Oilが歌っている。 Peter Garrettのはげ頭。 なつかしや。

最後のほうではなんかの撮影をしている現場がでてくる。
だれかと思ったら Francis Ford CoppolaとVittorio Storaroなのでびっくりする。
"New York Stories" (1989) の撮影風景なのだった。
でもあんなの普通、横で撮らせてもらえないよねー

わたしにとってのCentral Parkは、夏にライブをやる場所、と、動物園のあるところ、でしかないなあ。
ライブで入れなかったときに寝っころがって聴く、というのは何度かやったことがあるが、気持ちよすぎて怖くなっていつも途中で起きあがってしまう。  
ふつうのNew Yorkerのようにちゃんと使いきれていないところがなんかくやしい。

[film] Captain America: The First Avenger (2011)

これもまだ日本の-。

文化の日の3日も、Wisemanかなあ、と思っていたのだが、出張から戻ったらもう見れなくなってしまいそうなこっちかも、と新宿ミラノに行った。 もちろん2Dで。

だってこれ見ておかないと、来年の"The Avengers"がわかんなくなっちゃうんだよね?

悪役があんまし強そうにもカリスマチックにも見えないとことか、体がでっかくなって筋肉ついたからといって喧嘩に強くなるとは限らないのではないか、とか、ところどころ弱点ぽいところもないではないが、全体としては戦前の、70年前のお話だからしょうがない、で片がついてしまうような。

全体にクラシックなヒーロー活劇、のテイストがあって悪くなかった。
他のAvengersものと比べると、ほんとに地に足のついた、実際にあったとしてもおかしくないようなつくり、というか。
"First Avenger"としてこの作品があって"Captain America"という役割が置かれていることになんの違和感もないかんじ。

ブルックリン育ちだったのかー。
敵の電車にアタックするとこで、幼馴染のBuckyが、ふたりでコニーアイランドのサイクロン(木製のジェットコースター)に乗ってげろげろになったときのことを思い出すよな、っていうところできゅんとした。 サイクロンはまだあって、あれに乗るとほんとにげろげろになるんだよ。

あと、これまでずっと童貞で、突然体が倍以上になって代謝が成人男子の4倍になっちゃったら、いろんなことに悶々してやってられないのではないか、とか。 

あと、過去に残されてしまったPeggy Carterさんがかわいそうだよねえ。
あのあと、飲んだくれてものすごくこわいおばさんになっちゃうんだとおもうわ。

日本の翻案版を作ったらおもしろいのに。 
「日本大将」とかいうの。すんごいださいの。やばくなるとすぐ号泣して切腹しちゃうの。

[film] Basic Training (1971)

New Yorkにおります。 
最初のうちはよいお天気。 仕事はぼろぼろ。 例によって。

まだ先週の、日本にいたころのやつから。

30日の日曜日、髪切ってからユーロスペースでWiseman2本見ました。
ユーロスペースに向かう途中、渋谷のマークシティをご夫人(?)と散策しているWisemanを見かけた。
彼が日本の何かをテーマに作品を作ることって、なんとなくないような気がするのだが、どうだろう。

最初が"Hospital"(1970)。 ハーレムの、FRDの横にあるでっかい総合病院の日々を追う。
病院ていうのは多くの人が生まれたり死んだりする場所で、一生のうち、そこに1回も行かずにすむひとは殆どいないと思うのだが、だから、ものすごくいろんなことが起こる。 量も質もはんぱでない。

問題のないひとは普通、病人には来なくて、問題があるから病院にくる。
だから、病院はあらゆる問題の巣窟で博覧会で、病気を治療する以外にもいろいろくっついてきて、警察とかソーシャルワーカーとかセラピストとか、そういう人たちとの連携が必要だし、他の病院とのやりとりもいろいろある、お坊さんまでうろうろしていたりする。

要するに、いろんなことが起こってものすごく混沌としていて大変そうだ、と。
この底なしの抜けられない迷宮のなかにいるような病院のありようをきちんと描いていてすごいしこわいし。
モノクロなのでそんなでもないのだろうが、胴体をぶりぶり開いていくとことか、腹の奥の臓物ひくひくとか、ああ死んでしまうとか言いながらそこらじゅうにゲロをぶちまける若者とか、首を刺されて血をぴゅうぴゅう吹きながら運ばれてくるひととか、そんなのばっかし。

これらのひとつひとつが映像としてのこわい、というより、もっとこわいのはこれらが切れ目なしに底なしに続いていくことで、ここから抜け出せなくなるような閉塞感、居心地の悪さがじわじわと襲ってくる。 
同じく病院を描いた"Near Death"(1989) のほうが、まだ隣り合わせにある死、生のすぐ向こう側にある死をテーマにすることで閉塞感からは解き放たれていたように思ったの。

もちろん、だからどちらがいいとかわるいとか、そういう話ではぜんぜんなくて、ただ、病院ていうのはそもそもがそういう場所なのではないか。  居心地のいい病院なんてありえないよね、とか。

次が"Basic Training" 『基礎訓練』(1971)。

冒頭でWisemanさんの挨拶があった。
ここで撮影された兵隊さんたちは実際にこの訓練の後、戦地に赴いた人たちが多かったはず、とか、こういう撮影が可能だったのは当時の軍のオープンであろうとした方針のおかげで、だから口を挟まれることも殆どなかった、とか。
Wiseman自身も軍隊にいたので同様の訓練を受けたことがあるが、当時のメニューよりは若干軽めになっているかも、とか。
キューブリックが"Full Metal Jacket"(1987) の撮影前にこのフィルムを持っていっちゃって取り返すのに半年かかった、あの映画の前半部分にはこの映画のいくつかの場面のほとんどコピーだ、とか。 そう言われてみると、Matthew Modineそっくりに見える兵士もいたりして。

アメリカ陸軍が一般の人たちを受け入れて軍の兵士としての訓練をする、その基礎訓練の様子を追う。
入隊のところから体力づくりみたいな訓練、最後のほうの実戦に近いような訓練、そして卒業(?)。
合い間合い間に、行進がうまくできない生徒とか、問題を起こした生徒とのやりとり、などが挟みこまれる。

上の命令なんて知ったこっちゃねえよ、オレはオレなんだようぜえな、とか平気でぶうぶういう生徒とかもいたりする。
ここはひとりひとりの個性を伸ばす学校ではなくて、断固たる統制を求められる軍隊なので、そういう生徒に対しては矯正というほどではないが指導と、それでも異議がある場合はここに申告するように、というような「フェア」な対応が為され、いちおう軍の秩序は保たれる。

問答無用とか圧殺とか同調圧力みたいのはあんまなくて、この枠のなかではきわめてフェアでロジカルで、そういうとこもひっくるめての「基礎訓練」で、だからこそ怖いのよね、としみじみ思った。

すごいねえ、と思ったのは、これが自衛隊に入ろうみたいなプロパガンダ映画にも、軍教育の異様さを暴いた反戦映画にもならず、アメリカ社会のなかで認知され、特定の機能と役割をもった集団組織 - 学校や病院と同系の - として、その様相を描くことに徹していることで、それはフレーズでいうと「国益維持のために人殺しを実行する集団」みたいなふうになると思うのだが、そういう距離感と、それ故の正しさ- "Hospital"にあった居心地の悪さと表裏一体の - に貫かれていることだった。
ああいう題材を長期に渡って撮っていたらどっちかに寄ってしまいそうなものなのに。

病院も軍隊も行かなくてすむならそれに越したことはないねえ、とか。
どっちかに入らなきゃいけないとしたらどっちがよいだろうか、とか。

11.06.2011

[log] Nov.6, 2011

前回のから帰国してちょうど一ヶ月。
ふたたびまたたびJFKに向かおうとしているのだった。

ラウンジだけはファーストに通されるようになってしまった。
そんなのいいから仕事のほう通してほしい。 とっとと。

やく2週間、なにも起こらなければ、サンクスギビングの手前で戻ってくる予定。
 
うん、なにもおこらなければ。な。
うん、どんな想定したって、しょうがないのよ。  なんでこんなやくざな。

Wisemanの残りはほとんど見れない、Filmexもほぼ無理かも。
The NationalもBattlesもぱあ。

今回は夜の、闇に乗じての仕事がほとんどなので、夜に遊びに出ることができない。  ImpossibleどころかほぼSuicide Missionなので、いまからすでにどよーん、としている。  そういえば、去年の今頃もおなじようにどよーん、だったねえ。  もう1年経っているのにねえ。

でも見たいのいっぱいあるのにな。 くやしいわ。

[film] Boxing Gym (2009)

29日からはじまったFrederick Wisemanレトロスペクティブ。 
そりゃ、できるだけ見たいのであるが...

今年はいろいろおもしろい映画本が出ているのだが、そんなかでも『メカスの難民日記』と『全貌フレデリック・ワイズマン』は必携。 どちらも、どこから読んでもおもしろすぎるので困る。

初日のトークと"Boxing Gym" を。

TIFFの"Crazy Horse"は、そのうちどっかでやるような気がしたのでパスしてしまった。
そしたらトークの冒頭で、来夏公開@Bunkamura...  だと知る。
あーあ。またBunkamuraのださい邦題とおばさん商法でげんなりさせられるのか。

トークは、あんまし。
まずさあ、監督本人がこれから上映する映画については語りたくない、て言っているのだからそれを尊重すべきでしょう。 Wisemanの映画を見るのに予備知識や前提はいらない。何も知らずに飛びこんでみても、全く知らない、見たこともない世界が目の前にひろがってくる、その楽しさと醍醐味を少なくともこの初日にやってきたような人たちはみんな知っているはずなのだし。

通訳の方もなんか。New Yorker誌のSteve Jobsのは記事ではなくて表紙のことだし(記事ではNicholson Bakerのがおもしろかった)、ジュルジュ・サンドの名前くらいは出てこないと。

この流れで出てきた名前は、ジョルジュ・サンドとフローベール、イヨネスコ。 Wisemanが彼らの名前を示したことで、彼のスタイルがどちらかというとクラシックな語る主体と題材を巡る試行錯誤の流れのなかにあることがより明確になった。 そして、ただひたすら被写対象のBody Movementを追う、それだけなのだということ。
だからおもしろい/つまらない、という話しではもちろんなくて、そして、しかしながら、彼の映画は、どれをとっても驚異的に「おもしろい」、のである。

あと、あんま関係ないけど、Wisemanさんの容姿って、ダンサーのそれだなあ、とか。

で、"Boxing Gym"。

オースティンにあるボクシングジムの何日間かを追う。

いろんな人がやってくる。
男性も女性も、子供も大人も年寄りも、トレーニングやダイエット目的のひともプロの試合を目指すひともいる。  ジムを運営している人たちも当然。
それぞれの言葉で、自分にとってのボクシングやトレーニング、その事情や目的について語る。
家庭や家族、職場の話し、撮影中に起こったVirginia Techでの乱射事件の話しもでる。

そして、いろんなトレーニングがある。
縄跳び、バランスとり、ボールうち、ハンマーでタイヤを叩くとか、スパーリング、ほとんど実戦みたいのから、なにをやっているのかよくわかんないのもある。

これをいつものように、ナレーションなし音楽なしでざーっと並べて、流していくだけ。

そして世界中にあるこんなような大量のメニュウと運動器具、汗と筋肉のなか、昼と夜の追っかけっこのなかから、チャンピオンは出てくるのだし、ジェットアッパーとかギャラクティカファントムとかは生まれるのだなあ、なんか素敵だなあ、て。

撮影された素材は約100時間とか軽く言っていたので、それをWisemanがきちきちこまこま編集していったのだろう。ごくシンプルに、すごいなー、とおもう。

月$50で、いつ来ても、いくらでもやっていていい、っていいよなー。これなら行きたいねえ。
小さい頃からこういうジムに通うことができていたら、こんなろくでなしには育たなかっただろうに、といつものように思うのだった。

あと、時折映りこむジムの壁、そこに貼ってある無数のチラシとかポスターもよくてねえ。
タイソンとホリフィールドのとか、このときはエクアドルにいたんだよねえ。 まさか耳齧るとはねえ、とか。

と、こんなふうに、世界のひとつの場所、そこに集まってくるいろんな人々、彼らのいろんな動き、それらが全て見ている我々の考え方とか過ごしてきた時間にダイレクトに連携してくる、そういう作用が起こってしまうところにWisemanの映像の不思議と驚異があって、だから特集上映が組まれる度に、ついふらふらとなにかを求めて通ってしまう、あるいは、その「なにか」ってなんなのかを探しに通ってしまうのだった。

ほんとにさあ、いつの時代のを見ても、どんな題材のを見ても、どれも同じようにおもしろいって、ありえないよね。  だれかこの老人の仕事と生活を追っかけてみてほしいんですけど。
(撮ったあとで編集だけ彼にやってもらうの)

このあとで、現時点までで3本しか見れなかった。結局...

11.05.2011

[film] UNDERWATER LOVE - おんなの河童 (2011)

28日、金曜日の晩にユーロスペースで見て帰りました。

監督いまおかしんじ、撮影Christopher Doyle、音楽Stereo Total、という日独合作のピンク映画、よくわからない。 でも映画はおもしろかった。

冒頭、ハレーションを起こす寸前くらいにきんきんの緑の池、そのまんなかでかりこりきゅうりを齧る河童。 ああ、Christopher Doyleだわ、て。

佃煮工場で働く婚約したばかりのおねえさんのところに河童が現れる。河童は高校のときに溺れて死んだ青木君だという。河童の青木くんは遊んでよう、という。そのうち死神が現れる。
そんなおはなしなの。

「おんなの河童」ていうのは、おんなの河童が現れる、という話しではないの。
すべてのおんなのこには河童がいるもんよ、そんなようなかんじの。 たぶん。

ところどころで歌と踊りが入ってくるのだが、それらが画面とその流れにぜんぜん違和感なくはまってしまうところはさすが、としか言いようがない。
なれなれべたべたしたかんじで同調しようとするのではなく、スタイリッシュに決めようとするあざとさもなく、適当につくったmix tapeみたいにさーっと入ってくる。

「かえるのうた」(2005)のラストの衝撃までは行かなかったけど、別にあそこまで求めない。

Pinaかなー、とも思ったが、どちらかというとRosas/Anne Teresa De Keersmaekerのほうかも。 
あと、河童に連れられて入っていく森と川の美しさはStraub-Huilletだった(笑)。
なんにしてもヨーロッパなのね。

だれか”Let Me In” (2010)をこんなかんじでリメイクしないかしら。

 

[music] Girls - Oct.27

六本木で"Mekas x Guerin" (怪獣映画みたいね)を見たあと、一旦おうちに帰って着替えて、渋谷に出ました。

新譜がものすごくよかったし、その前のデビュー盤もよかった。
Velvetsの1枚目から3枚目に突然ジャンプしてしまったような。(2枚目相当分はどっかでもしゃもしゃと昇華してしまったに違いない)

開演前にThe dB'sの"Judy"がかかったので嬉しかった。関係ないけど。

1曲目から、なんか死にそうな顔と声で歌っているように見えて(遠くからだと)、だいじょうぶかしら、と思ったのだが、やがてそれがこいつの芸風だということがわかる。

ちょっと前にどこかで見たChristopher Owensのお部屋紹介では、ぼくは読書家なんだ、とか言いつつFitzgeraldの"On Booze"とか指輪物語全巻とかを見せびらかしていたが、なんかいかにも西海岸のイマの若者、というかんじでおもしろかったねえ。

初来日のときのを見ていない(忘れちゃったのよ)ので、前のライブとの比較はできないのだが、デビュー盤からの曲と新譜からの曲の間にそんな大きなギャップはなかったように思う。
ボトムが思っていたよかどかどかべきべきしていた程度で、その上でギターが切れまくったりぐいぐい押しあげていくようなこともなく、アンサンブルをたんたんと重ねていくかんじ。

というか、愛に溺れ身悶えしまくるChristopherの、しめしめくにゃくにゃした歌に寄り添って同じようにじたばたぐいぐいして、でも暴れてもせいぜい半径5mくらい、というところにアジがあって、バンドなんだなあ、って。

新譜の"Vomit"のPVを見たときは、おおKenneth Angerやってるよ、しかもタイトルはげろだよ、と盛りあがったものだったが、ライブでの"Vomit"は、あそこまでブリリアントではなく、ごくそこらにある、青春の「げろ」だった。

個人的には、最初のほう、"Love Like A River" ~ "Alex"と繋いで、おおなんかよいかも、と会場の雰囲気がふあんとあがったあたりがとってもよかった。

愛嬌があって親しみのわくバンド、というのは基本的に好きにはなれないのだが、このバンドはなんかよいのな。キーボードのひとが終始むっつりしているのもなかなか。

The Shinsみたいになっていくとよいなあ。 どことなく文系のPink Floyd好き、みたいな風味も含めて。


ぜんぜん関係ない話だが、さっきBilly Braggが自身のtwitterで"New England"の最初のラインはS&Gの"Leaves that are Green"からとった (stole) て言ってて、えらくびっくりした。

"I was twenty-one years when I wrote this song
I’m twenty-two now, but I won’t be for long"

どっちも何百回も聴いてきたのにー