3.13.2024

[film] Rapito (2023)

3月7日、木曜日の晩、Curzon Mayfairで見ました。
英語題は”Kidnapped”、邦題は『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』 - 昨年イタリア映画祭かなんかで上映されていたなー。

英国の公開予定は4月なのでPreview扱いで上映後に監督Marco BellocchioとのQ&Aがある、と。なのですぐにチケットを取ったのだが客がぜんぜん入っていなくて普通に上映前の予告が始まったので、ああQ&Aはキャンセルになったのだな、と思ったら上映前にやあやあ、って現れた。個人的には最後の大巨匠。

実際に19世紀のイタリアで起こった実話。
教皇領のボローニャでユダヤ人のMortaraの家に夜中、警察のような一団がやってきて、6番目の息子Edgardo (Enea Sala)を強制的にどこかに連れ去ってしまう。

子供本人はなにがどうなったのかわけわからず、家族全員が嘆き悲しみ取り乱すなか、長い旅を経てローマ教皇庁の側にあるユダヤ人の子供たちの収容所のような寄宿学校に預けられ、他の子供たちとキリスト教の教義を学びながら一緒に暮らすことになり、後から親たちもやってきて面会して説得したりユダヤ教のグループが取り戻すべく工作したりするのだがどうすることもできない。

やがてEdgardoは熱心に学んで法王にも気に入られ、母から渡されたユダヤ教のお守りもどこかに消えて、十字架に張りつけられたキリスト像が降りてきて降りたつイメージ(すばらしい動き)を見たあたりから本人も戻ることのできない地点まで行ってしまう。というか幼い頃から摺り込まれたユダヤ教のお祈りも、新たに教え込まれたキリスト教のそれも、おそらく違いがあるとはわかっていない。

はじめはカトリックの上位者を中心とした組織的な小児への性的虐待のような場面/事件を想像していたのだが、それらしい雰囲気もなくはなくて、法王は明らかに邪悪な変態ぽかったりするものの、そういうシーンがはっきりと描かれることはない。他方で、あるのは人を救うはずの宗教が家族を引き裂いてキリスト教とユダヤ教の間の対立と分断を煽って平然としているところで、特に親からすれば神もくそもない状態だと思う。だから法王が亡くなった後に、葬送の途中に棺が襲われるシーン - 実際にあったんだって - のテンションなんてギャング映画のそれだし。

Marco Bellocchioの前作 - ”Esterno notte” (2022)も、時代は現代だったが実際に起こった誘拐事件を取りあげて、拐われて残された者たちの緊迫したドラマが描かれたが、今回のは拐った側、拐われた側の中間地帯に置かれた少年Edgardoの大きな穴 - 空虚のようなものがまず前面にきて、彼の表情や佇まいが、彼の魂はいったいどこに、どっち側にいるのか、のとてつもない緊張感を生む。彼の父(Fausto Russo Alesi)と母(Barbara Ronchi)のふたりの演技もものすごくよいのだが。

この筋運びの巧さというかまったくだれずにぶれずに最後まで一気に連れていってくれるところがMarco Bellocchioの強さで、比べるものではないけどTaviani兄弟とはやはり随分ちがう。

上映後のQ&A、客席からの質問に正確に応えていたかどうか定かではないのだが、宗教による世界の分断、というだけでなく、かつて被害者だったものが大きくなってから加害者の側に立ってしまう - これは間違いなく現代の - ガザの件とリンクしているテーマだ、ってなんの躊躇も迷いもなく明晰にコメントしていて、すごいなこの人、って改めて思った。

元はスピルバーグが別の原作本(この件について書かれた本は複数ある)と英語圏の役者 - Mark Rylanceが法王だったそう - を使って映画化しようとしていていたのだが、よい子役が見つからずに断念したのでまわってきたのだそう。スピルバーグだったらユダヤ人側をどう描いただろうねえ…


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