3.21.2024

[film] Drive-Away Dolls (2024)

3月15日、金曜日の晩、Curzon SOHOで見ました。
初日の金曜日にしては - 金曜日だからか、がらがらだったかも。

Joel & Ethan Coen兄弟のEthanの方のソロプロジェクトで、Joelの方は”The Tragedy of Macbeth” (2021)で重厚な歴史ドラマを構築 - ってかんじで作ってきたが、そっちを意識したのかしないのか、ものすごく軽くてふざけててお下劣な84分の(ほめてる)コメディを持ってきた。脚本はEthanと彼の妻のTricia Cookeの共同。

1999年、もう少しで世紀が変わろうとしているフィラデルフィアの酒場のブースで、金属のブリーフケースを抱えて怯えた身振りのPedro Pascalが座っていて、何かから逃げようとしているのだが結局捕まってさらりと殺されて首を切られる。Pedro Pascalたったこれだけ。

別の場所で、同居していた恋人同士のJamie (Margaret Qualley)とSukie (Beanie Feldstein)が爆発的な痴話げんかをして、Jamieは家を出て、友達のMarian (Geraldine Viswanathan)が計画していたフロリダ旅行の車に乗っけてもらうことにする。まじめできちんとしたMarianはがさつで乱暴なJamieに引っ掻きまわされたくないのだが、ねじ込まれてどうすることもできず、片道だけのレンタカーを借りようとしたら、それが窓口にいた不機嫌なBill Campの手違いで、他人に割り当てられていれた車を押しつけられ、そこにPedro Pascalの抱えていたブリーフケースが隠されていてー。

彼女たちが発って暫くして、彼女たちが乗っていった車を借りるべくやばそうな3人組 - Arliss (Joey Slotnick), Flint (C. J. Wilson), Chief (Colman Domingo)が現れて、自分たちの車が間違って持っていかれたことを知るとBill Campをぼこぼこにして、電話口で動揺するクライアントを落ちつかせてとにかくふたりを追っかける。相手はガキ娘だからちょろい、と。

Marianは早くフロリダに行きたいのだがJamieはいろんなことをして楽しみながらいきたい – 特にMarianを自分たちのレズビアンの世界に引きこみたくて、そのうちにそうなった、と思ったら車がパンクして、スペアタイヤを出そうとしたら、ブリーフケースと氷で冷やされたPedro Pascalの生首が。そしてブリーフケースの中に入っていたもの、とは。

いけいけ女子(死語)vs. まぬけギャングたち、の珍道中&追いかけっこで、最後の方では知事としてMatt Damonも出てきたりする。 – どうでもいいけど、こういう映画の端役で出てくるMatt Damonてなんでいっつもあんなふうなの?  ふつうにこの先どうなるか簡単に予測できて、意味不明のサイケだんだら模様とか、お下品なあれこれとか、John Watersみたいな(一見)極彩色の世界が広がっていく。たぶんリファレンスとしている過去の映画は他にもいっぱいあるのだろうが、そういうのよりもさらさらと軽く、レズビアンの女子たちの底抜けのオープンな明るさと身内で固まってぐさぐさやりあってしまう男たちの対比、それを嘲笑うかのようにその間で交換される「あれ」と生首、という構図のおもしろさがある。どうせなら”Home Alone”スタイルでギャングをズタズタにしちゃってもよかったのに。

あと、道中でMarianがずっと読んでいるHenry Jamesの”The Europeans” (1878)、と思うとギャングの親分のChiefは車のなかで”The Golden Bowl” (1904)を読んでいるし、Sukieの飼っている犬の名前は Alice B. Toklasだし、世紀の変わり目、を意識していることはなんとなくわかる – いや、見えていないだけで他にもあるのかも、いや、そんなのどうでもいいか… になってしまうくらい話としてはしょうもないかも。

でも好き嫌いていうととっても好きで、真ん中の3人の女性のコントラストがよくて、特にこういうのに出てきた時のBeanie Feldsteinさんの爆裂ぶりは実に気持ちよく、しょうもなくなりそうなオチを引っ掻きまわしてくれる。後になんも残らないのは変わらないかもだけど。

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