3.25.2024

[film] Sex is Comedy: la révolution des coordinatrices d'intimité (2024)

3月16日、土曜日の晩、BFI SouthbankのBFI Flareで見ました。
英語題は”Sex is Comedy: The Revolution of Intimacy Coordinators”。

映画やドラマ制作の現場でIntimacy Coordinators(以下IC)という仕事、職種が使われるようになった、というのを聞くようになったが、それってどういう要請に基づいてどういうことをやる仕事なのか、をフランスの現場と比較のために英国にも行ったりしながら説明していくドキュメンタリー。とても勉強になった。

フランスの映画制作の現場 - 監督も含めて女性スタッフが多く(映画の中では言及されないが撮影されているのはIris Brey監督による“Split” (2023))そこに主演するふたりは女性で、うちひとりはSavegesのJehnny Bethさんで、彼女が昔、初めて映画の撮影でセックスシーンを演じることになった際の戸惑いと恐怖を語り、雇われたからにはやらなければいけないと焦るし、悩んでいると進行に影響がでるので従わざるを得ないのですごいストレスだった、と。ここには単なる労使関係以上の明確な力関係があって、それがセックスというその人の存在の根幹に関わるものである以上、撮り方、その結果どう見えるか、どう見られたくないか、等については撮る側/撮られる側それぞれできちんと話し合って合意した上で進める必要があるよね – という事情と、だからそこでIC(的な存在)が必要とされるのだ、というのがわかる。

こうして現場で、ICと女優たちと監督を含むスタッフは都度話し合い、場合によってはダメだししたりしながら撮影を進めていく様子が描かれる - 割と楽しそうに笑ったりするとこもあったり。そうやってどれだけ注意深く撮ったものでもレーティングで12+をくらって悔しい… って監督は泣いちゃったり。

いやいや - 現場で監督は神のはずだし作品は彼/彼女のビジョンをアートとして具現化するものなのでそこに第三者との合意形成のようなものが挟まるのはおかしいのではないか - 実際にフランスでICはまだセンサーシップや検閲の文脈 - 表現の自由への介入としてとらえられることが多いそう – なのかも知れないが、このやり方が女優にとって苦痛でしかない演技を「体当たり」として賞賛する傾向とか、知らないなら教えてやるよ、という(つい最近もあった)性加害の土壌になりうるのであれば、正されないとだめよね。

Weinsteinのケースもそうだし、最近の日本の映画関係者の性加害のケースを知ると、これまで見てきた映画の見方やクラシックのありようも変わってくる気がして、でもそれでよいのだと思う。

この方向、日本だと、そういうのなんだか面倒だから俳優を使わないアニメやAIが加工したやつでいいや、の傾向に向かって加速する気がして、これはこれですごく嫌なんだけど…

あとこの役割って、映画撮影の現場だけじゃなくて、パワハラがまかり通りそうな過酷な大規模プロジェクト全般にあっていいもんよね。- こうしてプロジェクトの予算は更に膨らみ…


Hidden Master: The Legacy of George Platt Lynes (2023)

3月17日、日曜日の午後、BFI Flareで見ました。

アメリカの写真家George Platt Lynes (1907-1955)については、Jack WoodyのTwin Palms Publishersの写真集(必携)で知っていたぐらいだったが、存命中の関係者 – Bernard Perlinなど - にもインタビューして彼の写真を中心とした業績とその全容を明らかにする包括的なドキュメンタリー。思っていた以上にすごい広がりのあるお話しだった。

NJに生まれて1925年にパリに渡ってGertrude Steinのサークルに入り、戻ってからNJに書店を開いて周りの友人たちの写真を撮るようになり、またフランスに戻ってJean Cocteauや画商のJulien Levyらと親交を持つようになり、その友人たちを撮り始めたりしつついろんな裾野が広がったり開けたり。

Harper's Bazaarなどのファッション写真やGeorge BalanchineのNew York City Balletを撮った写真のコマーシャルかつソーシャルな成功だけではなく、友人たちのゲイ・サークル内で撮ったプライベートなものも(そっちの方が)おもしろい(... 当時としては相当すごいことをやっているのでは)のが多くて、Robert Mapplethorpeなど、彼なしには登場しえなかったのではないか。

今回の映画では(あの)Kinsey Instituteに残されていた膨大なアーカイブ資料(の発見)が元になったそうだが、映画の最後にChristopher Isherwoodと一緒にいる動いて笑っているGeorge Platt Lynesの映像(撮影はDon Bachardy) - 一瞬だけど - を見ることができて、おおーってなる(これを発見した際の興奮もすごかったって)。

上映後のQ&Aで、現在彼の大回顧展を企画中だがアメリカのメジャー美術館はスポンサーがつかない状態のまま止まっていて、パリの美術館(名前は絶対明かせない、って)と交渉中だそうな。ロンドンにも来てほしいなー。


Orlando, ma biographie politique (2023)

3月17日、↑のに続けて見ました。これもBFI Flareから。
英語題は”Orlando, My Political Biography”。これもドキュメンタリー。カラーをつけたフレンチブルのポスターがかわいい。

作・監督は哲学者/作家のPaul B. Preciado、昨年のベルリン映画祭でTeddy Award (ベストドキュメンタリー)を受賞している。

Virginia Woolfの小説”Orlando: A Biography” (1928)で、主人公のOrlandoは物語の途中で性別を変える(時間も超えたりする)。 現代フランスのいろんな年代(8歳から70歳まで)の26人のトランスジェンダーやノンバイナリーの人たちを集めて、彼らのこれまでの苦難の旅の物語を語ってもらい、自分はOrlandoである、と宣言することで解き放たれるものがある、と – やらせには見えない。本当に苦しんできた、大変だったんだねえ、というのと、文学は(音楽だって絵画だって映画だって)こういう形で人を救うこともあるのだよ → 「なんの役にたつの?」とか言っているバカども。 最後に判事役の人がひとりひとりに新しいパスポートを渡していくところはなんだか感動的なの。

短編の”Old Lesbians” (2023)を見た時(3/14)にも思ったけど、性差とか男女間の恋愛がいかに社会や制度・権力のありようと密に、都合よく結ばれて広められたもの - 生物としてのそれと関係ないものであったか、昔は無反省にどうでもよくて酷かったんだなあ、というのと、今は今で… というのもまだまだあるねえ。

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