12月3日、土曜日の午前、ヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。ぜんぜん「ヒューマントラスト」してない作品といえよう。
Guillermo del Toroをはじめ多くの映画人が「神」とか「マスター」とか崇めてやまないPhil Tippettが原作、脚本、造形、作画、など約30年をかけて、ほぼひとりでこつこつ作りあげたストップアニメーション。途中で頓挫してクラウドファンディングで繋いだり、完成一年前に監督が精神病院に入ることになったり、いろんなことがあった、らしい。30年かけたのだったらそれくらいはありそう。
70年代の終わりくらいから洋画を見始めた人にとって、Phil Tippett、という名前は特別なブランド名、というより、変なモンスターとか動物とかが動きだしたりスクリーンを横切ったりする都度に無意識に摺りこまれてきた刻印とか紋章のようななにかで、なので彼の名前があると痺れて拝み倒す、というよりも気が付けば手が勝手に動いてお菓子の缶を開けて頬張ったりしてしまうあの感覚、そういうやばい方の符号になっていて、だから今回も気が付いたらチケットを取って映画館に座っていたりする。それはそれでこわいったら。
タイトルの「狂った神」はお狂いになられた神さまが主人公となって暴れて壊しまくる、大魔神みたいなやつではなくて、狂ってしまった神(ひとつであれ複数であれ、どんな形でも)が下痢のようにもたらすであろう世界ってこんなんではないか、くらいのかんじ – それが指し示すその先にPhil Tippettそのひと、を置いてみてもそんなに違和感はない。いっそのこと見ているこちらを引きずり込んで狂わせてくれ、くらいのものを期待してしまう。
暗くおどろおどろした世界にバベルの塔のような建物が見えて、その上方から潜水服のようなものに身を包んでスーツケースを抱えた男がワイヤー(蜘蛛の糸)を伝って地底に降りていく。男は地図のようなものも携えていて、立ち止まる都度それを広げるのだが、その紙もぼろぼろと朽ちて欠けて小さくなっていく。男が誰なのか、どこに向かおうとしているのか、その目的は、など、ナレーションも台詞も字幕も一切ない。見ていればわかる、極めてシンプルな地獄巡り絵巻。昔のガロにあったようなどす暗い画の世界。
降りていった地底なのか何かの底なのか - はどろどろ汁気と湿気たっぷりで薄暗くて空も見えない、変な魔物や怪物がうろうろしていて蹴とばされたり食べられたり潰されたりが茶飯事で、顔のない軍隊がいるボッシュやブリューゲルの世界。 男がスーツケースに仕込んだ爆弾を仕掛けようとしてもうまくいかずに診察台に縛りつけられて解剖されて、男の体内から出てきた赤ん坊をどうするとか、その男のあたまに記録されていた映像を吸いあげた別の男がバイクでやけくそのようにして走り出すとか、そんなゴスゴスした描写 – ぜんぶ人形なのでそんなに気持ち悪くはない – が延々続いていく。
蜂の子が延々弧を描いて飛んで(火にいる)爆発と消滅を繰り返しながら自らの死体の上に蜂蜜とか黄金を練りだしていく、海の底や地の底でこれまでも繰り返されてきた虫レベルの錬金術の営為を虫レベルのViewと視野 - 狭いのか広いのか/低速なのか高速なのか - で描きだす。誰にも止めることなんてできやしない。
こういう神が、Phil Tippettの創作の底には常に見えて寝っ転がって閉塞していた – それも30年 - というのはなかなかすばらしくないだろうか? ビッグバジェットの大作であっても、少なくとも極楽浄土のハッピーなお花畑ではなかったことが確認できただけでもなんか嬉しくなる。
“Guillermo del Toro's Pinocchio” (2022)との比較でいうと、どちらも生の普遍と世界の果てを巡って火花を散らしていくところは似ているのだが、こっちのはひたすら下降するのに対して、”Pinocchio”はどこまでも横滑りしていくとことはやや異なるかも。どちらの創造主もちょっと「狂っている」とこはおなじかも。
あと、音楽だけはちょっと残念だったかも。こんなにゴスで”Downward spiral”映えするネタはないのになー。
12.12.2022
[film] Mad God (2021)
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