12.09.2022

[film] Salesman (1969)

11月27日、日曜日の午後、イメージフォーラムで見ました。
ダイレクト・シネマ・ドキュメンタリーの先駆とか古典とか言われている作品。
監督はAlbert MayslesとDavid Mayslesの兄弟にCharlotte Zwerinの3人。

シカゴに本拠を置くMid-American Bible Companyから派遣されて、車で住居を一軒一軒回って聖書を販売していく4人のセールスマンの姿を追っていく。

4人はネクタイを締めたスーツ姿で、"The Badger"、"The Gipper"、"The Rabbit"、"The Bull"と呼ばれて、みんなでモーテルに寝泊まりして、その日の営業成績についてうだうだ言い合いながらニューイングランドからフロリダまで売り子の旅を続けていく。

ターゲットになるのは低所得層が暮らす地域のぺったんこの一戸建てが並ぶ一角で、ベルを鳴らしても出てこないか、出てきてもどんよりだったり、家に入れてくれて話をさせて貰っても買う気なしお金なしやる気なしだったり当然いろいろあって、売る側は仕込まれた売る技術を駆使してがんばるのだがうまくいかないことの方が当然多い。

各家庭の訪問時には撮影する許可を貰ってからAlbertがカメラを、Davidが録音を担当して、持ち帰った膨大な量のフィルムをDavidとCharlotteが編集した、と。

4人の朝から晩まで、売り子である彼らの表情や発する言葉に受ける言葉、訪問される家の様子や愚痴や倦怠、それらを見ていると神の聖なるメディアであるバイブルが取引される場のそれには到底見えなくて、この「商品」がゴム紐や切手であっても変わらないし、この場で突然ちゃぶ台がひっくり返されて凄惨な銃撃戦や殴りあいが勃発しても驚かない、そんな微妙なテンションで描かれる訪問販売の現場が、実は作り物でもなんでもない - と思わせるところが肝なのだが - そういう世界は、こんなところにこんなふうに転がっているのだ、21世紀を生きる我々のまわりにも。

ストーリー的にはアイリッシュ系で”The Badger”のPaulがどこまでも諦めずにいろんな技を駆使して売り込もうとするも、地獄におちろ!としか言いようのない仕打ちを受けてずたずたぼろぼろにされていく - でもそれを見てもそんなにかわいそうには見えなくて笑ってしまったりして、どっちみち全員地獄に堕ちるんだわ、みたいなところにはまっていく -その辺がおもしろい。なんでこれがおもしろいんだろ? と考えさせるような世界の重箱の隅。

このおもしろさは半分捏造である、としたPauline Kaelとの論争もあったくらい。映画批評の足場も揺るがしてきそうなやつ。

同様におもしろくてやめられないとまらないのドキュメンタリー作家、Frederic Wisemanとの違い。どちらも膨大な量の素材を撮り貯めて、それを時間をかけて編集して練りあげていく、というスタイルは同じでも、Maysles兄弟の指向と対象はダイレクトに個人に向かうのに対し、Wisemanの関心はそれを覆う森 - 組織とか集団とか場所 - に向かう。同じ社会科学でも心理学と社会学の違い、くらいはあるかも。 だからMayslesのって、撮られている対象に自分が興味をもてないと、どうしても乗れないところがあったりするかも。

そして、その被写体が、映画だなんだ以上に最高におもしろくてたまんないのが ↓


Grey Gardens (1975)

↑ のに続けて同じ日に同じ場所で見ました。

むかしTVで見た(米国ではとてもポピュラーな作品)けど、映画館では初めて。
監督にはMaysles兄弟に加えてEllen HovdeとMuffie Meyerが加わって全部で4名。

Jacqueline Kennedy Onassisの叔母 - 要するにアメリカの旧家で名家で貴族の”Big Edie" と呼ばれるEdith Ewing Bouvier Bealeとその長女でLittle Edie" と呼ばれるEdith Bouvier Beale のふたりがイーストハンプトンのゴミ&ネコ&アライグマの屋敷で優雅に暮らしていて、そんな彼女たちの歌ったり悪態ついたりの堂々とした日々を追って揺るがない。

彼女たちは元はマンハッタンの76th & MadisonのThe Carlyle Hotel(ここの前のバス停で降りることが多かった。なつかしい)になるところに暮らしていて、一家は1923年にGrey Gardenを買って、Big Edieの結婚が破綻した後もそこに住んで、そこにLittle Edieが越してきて、とにかく”Salesman”がずっと渡ったり移動したりして暮らしているのと対照的に彼女たちはずーっとこの屋敷にいて、動かない。

世を捨てた没落貴族の母と娘の生活がどんなふうなのか、悲惨さなんて欠片もない痛快さがある。どれだけゴミに囲まれていても誇りと歌とユーモアがあれば生きていけるんだから、っていうのをべらんめえのNY英語で目の当たりにすると、どんなことだって怖くなくなる。

このふたりに関しては、ダイレクト・シネマがどうの、は通用しなくて(というかどうでもよくて)、誰がどう撮ったってああなってしまうのではないか。それくらい彼女たちは存在として飛び抜けていて、チャーミングで、強い。

あの名曲、Rufus Wainwrightの”Grey Gardens”の冒頭で引用されているライン;
"It's very difficult to keep the line between the past and the present. You know what I mean?"
線なんて引く必要があるのだろうか、って。

そして、着実にゴミ屋敷化している自分の部屋をこの年末にかけてどうにかしないと、本当にだめだ。英国からの箱でまだ開けていないのだってあるのだ(威張んな)。

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