12.22.2022

[film] Aftersun (2022)

12月14日、水曜日の昼、A24のScreening Roomで見ました。

作・監督はこれが長編デビュー作となるスコットランド出身のCharlotte Wells。プロデューサーのリストにはBarry Jenkinsの名前がある。既にいろんな賞を受賞しているしSight and Sound誌では今年のNo.1を獲っている作品。(これを描いている時点でまだ発表になっていないが、おそらくGuardian紙のUK, USでもNo.1になる。UKのNo.2は”The Quiet Girl” だよ!)

冒頭、DV-Camの電源オンオフのジージーしたノイズが頻繁に鳴って動作確認しているようで、11歳のSophie (Frankie Corio)とパパのCalum (Paul Mescal)が夏の休暇でトルコのリゾート地(変な名前)に出かけようとしている。時代は1990年代の後半、パパとママは既に離婚しているらしいことがやがてわかる(電話しているのでシリアスなケースではない)。

ホテルに着いても部屋にベッドがふたつないとか細かいことがあったりの緊張を孕みつつも、旅の、バカンスの冒険、トラブルやダメージにそれらの顛末を描こうとするものではないことがわかってくる。Videoに撮っている映像、再生された映像、頭に残っている風景や交わされた会話などを注意深く並べて、起こった出来事よりもその時のトーンや色、温度を掘りおこしてその触感を確かめようとしているかのような。

Calumはとても優しい、というより大人っぽくてスマートなSophieをどう扱うべきなのかを注意深く考えながら、父娘ふたりでいることをとにかく楽しもう、って常に行動しているようで、そうしている背景も – 彼のそもそも危うそうで暴力に向かいがちなかんじ – 動きの端々から伺うことができる。(この辺、Paul Mescal - "Normal People"の彼だよ - ってすばらしい俳優だなと改めて)

こんなだから最初のうちはいつこのバカンスとふたりの間柄が唐突に引き裂かれて暗転してしまうのか、がひりひり忍び寄ってくるようで少し怖いのだが、落ち着いたクレバーなSophieの動きによって心地よく裏切られていくのがよいの。プールサイドでのこと、シュノーケリングに行ったときのこと、ゲームセンターでバイクレースのゲームをやるとき、絨毯を見にいって値段を聞いたとき、そして休暇の締めにくる"Under Pressure"でのダンス.. などなど。あんな優しい(優しくなった?)パパいないかも、って思いつつも、その裏でCalumがひとり必死に自分の中のなにかをコントロールしようとしている - 傍らに自己啓発本や太極拳の本がある – ことも見える。

もうひとつ、トルコの青空と対比するかのように数回に渡って断片的に挿入される、暗く明滅するクラブのフロアで踊り狂うCalumが手を伸ばしてくる映像、これらが指し示すのはー。

ここにママが一緒にいたらいいな、も、このままパパとずっと一緒にいたいな、もあまりなくて、あの時がこうだった – から/けど、今はこう - というのを感傷を脱色して重ねて並べて、上から(もう戻ってこないように)踏みしめている - Aftersun/日焼けの後 – かのよう。それがなんでなのか、は明らかにされないし、する必要もない。でもあの時、CalumとSophieは一緒にいたんだよね、と。

どうしてなのだろう? というのが最後のほうになって現れる大人になったSophie(Celia Rowlson-Hall)によって明らかになる – いや、はっきりと明らかにはならないのだが、だからああいう構成であり色味だったのか、というのが見えてきて、そのかんじは誰にも思い当たるところがあるのではないか。感傷でも惜別でも後悔でもなく、あったあった(… )くらい。そしてしばらくしてからああいうことだったのかな、って水泡のように浮かんできて、暫く残って消えるような。(このまま消えてくれていいような)

人によってはSofia Coppolaの”Somewhere” (2010)を思い出す、のかもしれない。あれも11歳の娘と空虚な日々を送る父親の、どこか遠いところでの短い出会いを描いたものだったが、この”Aftersun”は場所(somewhere)ではなく、かつてあった時間を描いたもので、幼年期に通り過ぎていったそんな時間の描き方はとても英国的(かつ女性的?)な、Margaret TaitやLynne Ramsayが描いた幼年期のそれに近いと思った。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。