7日、日曜日の晩、Criterion Channelで見ました。
Billy Woodberryによるドキュメンタリー作品 - “Bless Their Little Hearts” (1983)とこれは必修のやつで、まずこちらから先に。
ビートニクの詩人としてAllen Ginsbergのような「スター」と比べるとやや謎めいた存在として語られてきたBob Kaufman (1925-1986)の評伝で、ほんの40年くらい前、こんなふうに、まるで詩人のように生きた詩人がいたんだねえ、って感銘を受ける。
1925年、ニューオーリンズに、ドイツ系ユダヤ人の父とマルチニークから来た黒人の母の間に生まれ、二次大戦後の労働争議と赤狩りで堅気の仕事から放り出され、1958年にNorth Beachに流れ着いて、JazzクラブにたむろしながらGinsbergらとzine - “Beatitude”を立ちあげて詩を発表し始めて地元では有名になるものの、常に飲酒とドラッグらりらりでホームレスのような路上生活をしていたので警察に逮捕される常連で、すこし離れようかとNYに渡って、でもそこでもやはり逮捕されて、挙動に問題ありということで電気ショック療法を受けて、その後にSFに戻ったときには別人のようになってて、数少ない知り合いに面倒を見て貰ったりしながら野良状態のままで亡くなる。
彼の滞在していたホテルが火事になったとき、草稿の束ねられた革装本が救いだされるとことか、彼がやはりホテルで亡くなる時のエピソードとか、伝説みたいなことも沢山語られるのだが、一番ダイレクトにこちらを捕らえるのは何度か映しだされる彼の顔の写真ではないか(彼の動く映像は最後の方に少しだけ出てくる)。 JewishとBlackのハーフで、それが原因とは思いたくないが警察の標的となって虐待されてきた業が折り重なったような顔。無頼とか不屈とか、そう簡単には言えないような複雑な顔。
ドキュメンタリーは彼のSF時代から入ってNYに行って、SFに戻ってきてからのうち棄てられた生活を関係者証言と共に追いつつ、詩人としてのビジョンや言葉はその最後まで失われていなかったことを示し、最後に彼の生涯全体を家族や親戚の証言を加えて総括する。 旅の終わりにひとりの人間として彼の像が立ち上がって改めてこちらに語りかけてくるような、そういう構成。
インタビューでフランスの人は彼をボードレールとランボーに喩えていたが、ここで紹介される彼の詩句は確かにそれくらいのかんじは受ける。シンプルで強く、体臭のようにそこに残って漂う言葉たち。タイトルも彼の詩の一節だが、ジャームッシュの新作のタイトルと響きあっているかのようで、それが今、というのは決して偶然ではないと思う。
本屋が開いたら(あさってだよあさって)探してみよう。
ピカデリーの方に行ったので、先週開いていることを確認したFortnum & Masonに行った。
普段は観光客でごった返しているところも、まだ静かで、いつも行っていた地下の食材売り場の方に。ここの生鮮食品は値段高くてあんま買えないのだが、たまーに変なもの - 海鳥の卵とか - があったりする。 人もあんまいなくて品揃えもまだまだのかんじで、でもスコーンがあってさ..
6.14.2020
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