5日、金曜日の晩、Criterion Channelで見ました。こういう時なのでAfrican Americanの歴史や人や女性に関する映画がいっぱい出ていて、こういう時なので、なんて言わずに見なきゃいけないものなのだが、がたがた言わずに見ようと。
映画を2作しか残さずに88年に46歳で亡くなった黒人女性監督Kathleen Collinsの作品(脚本も自身)で、発表当時はLarge Distributionには乗らず、2015年にリストア版が公開されて大きな話題となった。 日本では公開されていない模様。
Sara (Seret Scott)はNYの大学で哲学の先生をしていて、冒頭はその授業風景で黒板にはサルトルとかカミュの名前、”Absurdity”(不条理)とか“Existential Thought”とか書かれていて、彼女は人間の自然状態とかカオスとか戦争とかについて喋っていて、授業が終わっても生徒が来てジュネ論について話をしていたり(いいなー)、とても生徒に慕われている先生であることがわかる。
家に帰ると夫のVictor (Bill Gunn)がいて、彼は画家で最近美術館に絵が売れたので得意で鼻高々で、そのお祝いもあるしUpstateに家を借りて夏の間そこで過ごそう、という。仕上げたい論文もあるし図書館がないところは嫌だ(うんうん)、ってSaraは渋るのだが夫が行きたがるので一緒に行くことにする。
着いてみるとVictorは大喜びで風景や人物のスケッチを始めて、プエルトリカンのコミュニティがあるその地域の佇まいにも惹かれて、そこの女の子Celia (Maritza Rivera)と仲良くなって彼女の肖像を描いたりしていて、つまんなくなったSaraは図書館を求めてNYに行く。そしたらそこで自主映画を撮っている生徒(ジュネ論の話をした彼)が声をかけてきて、先生映画に出てみない? っていう。少し考えていいよ、って返して始めてみると映画作りはおもしろくて、共演者で生徒=監督の伯父のDuke (Duane Jones)とも仲良くなって、Victorには用事があるので滞在を延ばすことにした、っていう。
やがてSaraはCeliaと一緒で楽しそうなVictorのところに戻って、そこにDukeも現れて..
夫婦間の決定的な不和とかそれによる陰惨な事件を描くわけではなくて、NYに暮らして文系で比較的裕福な夫婦の間に生じるちょっとした溝のありようを主に女性の視点で描く。そこにはジェンダー間の役割、職業意識の差から、アフリカンアメリカンとプエルトリカンの間の人種意識の差、未知の世界(映画)に臨む女性と郷愁に籠る男性の違い、など実に多様な論点があって、それは結婚生活における溝というのかただのすれ違いなのか、それらをどちらがどう見るのか、といったところまで微細な表情の変化と共に炙りだしていく。成瀬のメロドラマみたいなトーンの女性映画だと思った。
映画の中で描かれる都会の風景、そこでの男女のクールな立ち姿にダンスと、郊外のプール際でだらだらしている男女(群)のコントラスト、Saraが教えていた実存主義、書こうとしている恍惚体験に関する論文、等が”Losing Ground”というタイトルに収斂していって、見事なラストショットと共に弾け飛ぶの。あそこはなんだか鳥肌もので。
まだ知らない映画、いっぱいあるねえ。『風と共に去りぬ』での表現を問題にするのはわかるけど、Criterion Channelで特集の始まった”The Watermelon Woman” (1996)のCheryl Dunyeとかこれとか、あまり見られてこなかった黒人女性による女性映画、をきちんと掬いあげられるようにしたい。
なにも起こっていなければ、今日の晩はJawboxのライブがあるはずだったの。拷問のようなオンライン飲み会の最中にスケジューラーからポップアップが上がってきて泣きそうになった。 一年後(に延期されてる)、見ることができますように。
6.11.2020
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