6.12.2020

[film] Woman Make Film: A New Road Movie Thorough Cinema Part 2 (2019)

5月30日、土曜日の昼間、BFI Playerで見ました。”Part 1”の後、紹介された映画のリストを手書きからメモ帳にタイプしたのだが、これってせめてExcelにしとかないとだめよね、って変換したりしていたら時間経ってしまった。ばか。

“Part 2”はChapter 9から17まで。紹介された映画は121本で、ペースはよりスローに、重複で出てくる映画も増えてきた。各Chapterのテーマが絞られてくるとそうなるんだろうな、くらい。映画を作るひとはこういう視点とか角度で映画を作ったり考えたりするのかー、というのが解るのでとにかく勉強になる。以下、簡単なメモ。

Chapter 9  Staging

“Part1”の最後に、visual aspects of shots としての”Framing” → “Tracking”ときて、その最後、劇場等でも用いられる最も古典的な手法 – どうやって人やモノをカメラの真ん中に持ってくるのか。どうやって四角のスペースをステージに見立てるのか、観客の目をどうやってそこに向けさせるのか。

最初に田中絹代の「月は上りぬ」(1955)のシンプルなふたりの右左移動(X-axis)から入って、In-Out移動(Z-axis)、その組合せとか、暗闇 → 照明On、とか、コレオグラフィとしてのStagingとして移動、草刈り、最近のだと”Faces Places” (2017)でAgnèsの指揮にあわせてコンテナが移動するように見えるやつとか。

最後に、音も含めてStagingのいろんな要素が絡まって見事な余韻を残す例としてMaria Schraderの”Stefan Zweig: Farewell to Europe” (2016)のラストの8分半が。 

Chapter 10  Journey

登場人物の旅、動き - エモーションの動きも含めて – は、フィルムの中でどう表現されてきたのか。
旅の始まり、起点を紹介するところでは、Nan GoldinのアシスタントだったValérie Massadianさんの”Nana” (2011)とかが印象的。トラムの車内から見る移動、ひたすら歩く、階段を降りて外に - “Mikey and Nicky”(1976)、追ったり追われたり、そういう人の移動から車による移動 - 車そのものの移動 - がテーマのひとつになって、その例としてAlice Guy-Blachéの”Course à la saucisse” (1907)による犬と鵞鳥の追っかけからその83年後 - Kathryn Bigelowの”Point Break” (1991) での車がカメラになったかのような動きとか。
更には夢なのか現実なのか、どこに向かうのか、どこに逃げるのか、というイメージも入ってくる。

Chapter 11  Discovery

映画史の中のDiscoveryとして「市民ケーン」の”Rosebud”とか、「帝国の逆襲」の”I am your father”とかがある。けど、ここではDiscoveryの諸相を”Childhood” – “Adulthood” – “Old Age”に分けて紹介していく。こーれーはいっぱいあるよね。

“Childhood”のは子供達がお買い物して、お金でモノを買えることを発見する、とか、”Big” (1988)で自分がTom Hanksであることを発見する、とか、鏡で自分の顔や姿を発見する、とか。

“Adulthood”は、田中絹代の「乳房よ永遠なれ」(1955)で妻が夫の愛人を発見するシーンとか、”Wonder Woman” (2017)で裸の成人男性を見てしまうとことか、”Silent Waters” (2003)で女性が殺されていることを発見するとことか。

“Old Age”は、Carol Morleyさんの”Dreams of a Life” (2011)で、死後3年経って発見されたJoyce Vincentさんのこととか。

Chapter 12  Adult-Child

人間関係の基本のひとつである大人 – 子供関係を映画はどう描いてきたのか。
映画のなかで登場人物がこの人が母なんだ親なんだ子供なんだと発見する瞬間もあれば、見ている我々がこのふたりは親子だったんだという発見する瞬間もある -  その逆の喪失もあり、絆への希求があり、破断があり、対話があり、恐怖があり、いろんなバリエーションがあって、最後に”A Portrait of Ga” (1952)の母(監督は娘)の背中を見てなんかほっこりするの。

Chapter 13  Economy

ここまではVisual Design & Scriptingの話で、ここからはそれをどうCutしてEditするのか、という話。
画面の中で発生する連続した出来事や行為を(そのまま撮っていたら時間がいくらあっても足らないので)どう切って割って簡素化して伝えるのか。
画面から余分なものを削いでミニマリズムで表したり、古典絵画のようなFixの構図に声を被せてStoryを語ったり、Storyを飛ばして絵だけにしたり。”Appropriate Behavior” (2014)で3人がバーで出会って話をしてアパートに行くまでの流れ - コメディにおける省略の手法とか。

Chapter 14  Editing

Action Editingの例としてSarah Maldoror, Leni Riefenstahl, Kathryn Bigelowを並べて、そこから隔たった時間 - 過去から現在へのジャンプや、異なる場所にいる複数の人々を繋いだり、生(赤子)と死(体)を対置したり、別の場所にテレポートしたり、センセーション/コンフュージョンを生みだしたり、早送りしたり抽象化したり、ただすべては時間に関わることで、映画のなかで流れる時間を殺すようなEditingはやってはいけないのだ、って。

Chapter 15  Point of View

どこに視線の起点・基軸を置くのか、これもいろいろあって、material PoV, visual PoV, sonic PoV, unconscious PoV, PoV of the inner eye, Intimacy PoV, refusal PoV, などなど。
Kelly Reichardtの”Meek's Cutoff” (2010)で、牛のところにある女性のPoVとか、それを語ろうとしているのは誰なのか、どこから、なにを語ろうとしているのか、を表に出そうとすること。

Chapter 16  Close Ups

PoVとの関連で、カメラの反対側にある対象のどこにどう寄っていくのか。サイコロジカルZoomとしてのClose up、マイクロスコープとしてのカメラ、Close upの連続が生む効果 – 増幅とか抽象化、Close upによる目覚め、Close upが作りだすoff screen space(背後の音とか)、”The Ascent” (1977)で、つるし首のシーンでのひとりひとり – つるされる人々とそれを見つめる少年 – のClose upの連鎖が生む恐怖、とか。

Chapter 17  Surrealism and Dreams

パラレルなリアリティのありようをこんなふうに描いてきた、と。
最初が”Wayne's World” (1992)のGarthの妄想で画面がゆらゆらするとこで、あ、こういうのね、って。”Oz”のDorothyのように別の世界に入ったりスリップしたり、クラシックとしてMaya Derenは勿論、天体やピラミッドのイメージとか、やっぱり素敵なのはAgnèsの”La Pointe Courte” (1955)でふたりが浜辺の町を彷徨っていくシークエンス、とか。


ナレーションはPart 1からのTildaさんが始めはやってて、途中でJane Fondaさんに代わって、そこからAdjoa Andohさんに代わって、Sharmila Tagoreさんに代わった。これからもリレーしていくみたいで、楽しみ。

これはRoad Movieなので、どんな道を通ろうがカセット(mixtape)でどんな音を流そうが好きにしていいやつで、人によってはこっちのがあっちのが、は当然あると思うしあってよいし、でもちょうどここの道行きがなんか気持ちよく馴染んできたところ。 途中で似たような風景が出てきても、その理由も含めて推測できたり納得したりできるようになってきた。 学び、ってそういうことのはず。


週末を前に在英国日本国大使館さまから再び注意喚起メールがきたよ。デモの場所と時間を教えてくれてありがとう。
相変わらず、『米中西部ミネソタ州において,5月25日に黒人男性が白人警官による過剰な拘束が原因により死亡したとされる事件』なんて言ってる。「白人警官の過剰な暴力により殺害された事件」なのに。明確に殺人て断定されているのに。

そして、『抗議活動の現場周辺に居合わせた場合には,周囲の状況に常に注意を払い,不審な人物や状況を察知したら速やかにその場を離れるようにしてください』だってさ。 このあっぱれな、ザ・他人事の言い草。うちの国民はこんな野蛮な活動にまさか参加なんていたしませんよね、ってか。修学旅行の引率教師かよ。 ちゃんとした人権教育とかやってないから、あの国はこんなに鈍感な薄らバカばっかりになっちゃうんだよ。

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