6.28.2020

[film] Chanson triste (2019)

20日、土曜日の昼間、BBCがやっているOnline Film Festivalというので見ました。
66分の、ドキュメンタリーのようなフィクションのような作品。英語題は”Sad Song”で、このタイトルだとルースターズのあれがやってくる、そういう世代なのだが、とにかく。

出演者はすべて本名で出ていて、彼らの職業も立場もリアルなそれで、パリに暮らすÉlodieはロマン派とかバロックのクラシックの歌い手 - DuparcやSzymanowskiの曲を歌うシーンがある - で、アフガニスタンからの難民であるAhmadは、Élodieの家に難民申請が許可されるまでステイしていて、たまにその声が聞こえる本作の監督のLouise Narboniは彼の姿をフィルムに収めつつ実際に進行中のAhmadの難民申請手続きを助けたりしている。

アフガニスタンにいたAhmadはタリバンからの迫害を受けて父と兄の行方はわからなくなり、自分も危なくなったのでいくつかの国を転々としてフランスまで来て、でも現地にはまだ母と妹がいるという。
AhmadはÉlodieと片言の英語で会話しつつ彼女からフランス語やフランスの文化について教わっていて、性格も素直でよい子のようだし、お返しに彼が披露する幼い頃に習ったという現地の歌と歌唱は見事で、監督が撮る彼のGentleな姿からも、ÉlodieがAhmadを見つめる目からもこの青年をなんとかしてあげなければ、という思いは伝わってくる。

でもそういう幸せな - 現地で続いている地獄のような苦難と比較すればだけど - 難民の適応/適応支援の物語もAhmadが極めてストレートにÉlodieに愛を告白するとトーンが少し変わってきて… ここから先は書かない方がよいかも。 

タイトルの”Sad Song”にはいくつかの様相というか側面があって、それは彼がアフガニスタンから来た「難民」だから、と最後はそこに行ってしまうのかもしれないが、こうして具体的に解してみれば文化とか恋愛とか、もっと直截に家族とはもう会えないかもとか、いろいろな線が見えてきて、それって例えば”Talentime” (2009)にあった淡い希望とか思いと比べてみると相当に残酷なものではないか、とか。 こういう場所で状況で、果たして音楽は、あるとしてもどこのどんな音楽でありうるのだろうか -  どうにもならないだろ? ってストレートに。

本当にシンプルな構成と最小限の登場人物で(だからこそ?)可能となったのかもしれない深さを持ったドラマで、最後の方のÉlodieとAhmadの恋愛を巡る対話のスリリングなことときたら。ふたり共母国語ではない英語で会話をしているとは言え、救いとはなんなのか、とか、愛の不可能性みたいなところまで入っていってしまうかのよう。

そしてこのトーンに見事にはまるのが19世紀の作曲家の楽曲であるという..


この週末は、本来であればGlastonburyの50周年だったので、BBC2(TV)ではずっと過去のライブ映像を流していて、日課の映画の合間にへーこんなのもあんなのも、って見ていた。そりゃいっぱいあるわよ。  今日の晩の9時過ぎからはDavid Bowieの2000年のライブだった。 自分が最後に見たのは2002年のBrooklynので、これがベースだったのかー、って。(ほんとうに最後だったのは2005年のArcade FireのCentral Parkのに飛び入りで出てきた時、だった)。

いまはEd Sheeranをやってる。ずーっと歌ってる。すごい人気なんだねえ(ひとごと)。

来年はチケット取れますように。

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