2.18.2020

[dance] Tanztheater Wuppertal Pina Bausch: Bluebeard. While Listening to a Tape Recording of Béla Bartók’s “Duke Bluebeard’s Castle”

14日、金曜日の晩、Saddler’s Wellで見ました。
Pina Bauschが亡くなってもう10年過ぎているのかー、としみじみしつつ彼女が亡くなってから初めてTanztheater Wuppertalの公演に行った。90年代、ほぼ年次で彼女の新作公演を見ることができた(BrooklynのNext Wave Festival)ので、 彼女のように”Tanztheater”という様式を通して世界のありようを丸ごと見せてくれるのって(あってよさそうなのに)なくなっちゃったよねえ、って改めて。

初演は1977年、英国では今回が初演になるという4日間公演の3日め。 どうでもよいことだが、スチール写真がずっとモノクロだったので、モノクロで展開される世界をイメージしていた(当然そんなことはなかった)。
タイトルをそのまま訳すと『バルトークの「青ひげ公の城」のテープを聴きながら青ひげは.. 』。

舞台上には大量の枯葉が一面に敷き詰められていて、動けばかさかさ音がするし動きが激しくなる後半は捲きあげられた枯葉のよい香りがふわーっと漂う。 そこにBluebeard (Christopher Tandy)と妻のJudith (Silvia Farias Heredia)がいて、Judithは床に仰向けに固まって転がっていて、Bluebeardはテープコンソール台(天井から伸縮する紐で結ばれていて可動)からバルトークの「青ひげ公の城」(1911)を流し、それに合わせるように床のJudithに被さって一緒にずるずる這いずり(彼女の髪の毛は枯葉まみれ)、音楽のある箇所まで来ると慌てて戻って同じ箇所をリピートして同じ動作を繰り返す。このテープオペレータ(DJ?)としてのBluebeardの挙動は最後まで貫かれて、この一幕ものオペラが彼のテーマであり行進曲でありこの世界を統御するために必要な規範のようななにかなのだ、ということがわかる。

一組みの夫婦による一通りの修羅場、加虐 - 被虐の構図が描かれるなか、舞台の後方にゾンビみたいに変な恰好で固まった男女がゆっくりと一列になって侵入してくる。この辺、きたきたきた.. ってかんじでたまんない。で、そこから先、彼ら - 召使なのか幽閉されていた連中なのかが脱いだり脱がされたり、ムキムキを誇示したり絶叫したり抱きあったり、男女間の、あるいは労使間の典型的かつバカバカしい乱痴気騒ぎがところどころランダムに、全体としては整然と指揮され - テープコンソールは舞台上を行ったり来たりして、狂ったDJが催すパーティのようでもあるのだが、そんな宴もいつの間にか終わって、なにかがすっきりしたのか、これからも同じことが繰り返されるのか。

この辺の世界に対する冷めた目線 - 世界(そんなに広くない)には虐める側と虐められる側があって、でもどいつもこいつも変態ばっかしでしょうもなくて、であるが故に脆弱で転覆可能ななにかかも、ていうのと、そこにおいて美とか醜とか妖艶さとかってどんな意味を持ちうるのか、というのがマスの動きとパーソナルな呻きや叫びや悶絶の交錯のなかで描かれる。 それは社会のドラマでありながら個人のドラマの方に転覆しうるなにかとして、それを見つめる客席の方にまで繋がり、拡がってくるの。

いま、Pina Bauschが求められる背景とか必然って、10年前よりも遥かに強くなっている気がする。 “Social”なんてものがいかにろくでもないいんちきのまがい物なのか、彼女の舞台ほど強く、しなやかに叩き割ってくれるのってなかった。

オリジナルメンバーも数名入っていたみたいだけど、もうDominique Mercyとかは見ることできないのかなあ。

帰り際、やっぱり我慢できなくてステージから飛んでいた枯葉を一枚拾ってプログラムに挟んだ。どこで拾ってきた葉っぱなのかしら?

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