15日、土曜日の夕方、Stormぼうぼうの中、BFIのFellini特集で見ました。
英語題は”Juliet of the Spirits”、邦題は『魂のジュリエッタ』。
中年に差し掛かったGiulietta (Giulietta Masina)にはパブリシストでかっこいい夫のGiorgio (Mario Pisu)がいて、パラサイトされそうなぱりっとした邸宅に暮らしていて、数名のメイドを抱える裕福な暮らしをしているのだが、冒頭の結婚15周年記念パーティとか、親戚も含めた来客が常に溢れていざわざわしていて、そこにやってくるのは見るからに怪しそうな(偏見です)男女ばかりで、降霊術とかチャネリングとかやっていて、Giuliettaも誘われるままに手を繋いで、バカバカしいわと思いつつも無視できず気になってどうしたものか。
他方で仕事が忙しそうで朝早くに出て行って夜遅くに帰宅するGiorgioには彼の寝言から浮気疑惑が持ちあがり、覚悟を決めて探偵事務所に調査を依頼してみればその結果は..
あとは近所に住むかっこいいSuzy (Sandra Milo)のこととか、今の自分のこと、これからの自分のこと、置いて行かれて誰からも相手にされなくなるのではないか不安とかをどうにかすべくいろんなとこにすがろうとしてもどれもいんちきぽくてどうしよう .. という典型的なミドルエイジ・クライシスの諸相をコントラストの強い色彩(初めてのカラー作品なのね)にインテリア雑誌のインテリア、臭気ぷんぷんの登場人物たちを絡めて描いている、ように見えて『甘い生活』のMarcello (Marcello Mastroianni)の彷徨いと同じようなのを、彼にほうって置かれた女性の側から映しだしているのかなあ、ともとれたり。
でもなんか、Marcelloがどこまでもフィジカルな方に涎たらしてやらしく寄っていくのに対してGiuliettaはスピリチュアル – しかも、どう見てもやばい系 – ってなんかねえ、とは思った。だってそんなふうなんだと思うよ、って言われてしまえばそれまでだけど、でもぜったいそんなふうに「あってほしい」、も入っているよね、とか。いやだからそういう集団的無意識が.. とか向こうもなかなかしぶとくて。
自身の抱える存在の希薄さ不確かさを周囲に現れる変なひと(たち)、変な街、夢のような出来事などに溶かしこんで、安心させるのか不安を煽るのか - そこに存在することそのものの危うさとか病(のようなもの)を上空から映し出すのがFellini映画のでっかいテーマとしてあるのであれば、そこに階層やジェンダーといった要素が反映されるは当然なのだと思うけど、あえてcontroversialななにかをぶちこむ、ってやらないのかな。Luis Buñuelなんかはよろこんでやっているように想えるのだけど。
そうはいっても、Giuliettaを真ん中に据えたこの世界が結末も含めてその不安定さをうまく丸めこんだ収まりのよいきれいな物語を作っていることは確かで、いやだからそれこそがー、っていうのもわかるけど、55年前に作られたカラー映画としてはよいのではないかしら。猫もでてくるし。
2.19.2020
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