16日、日曜日の午後にBFIのFellini特集で見ました。”Fellini’s Roma”として書かれることもある映画で、昨年末にRomaに行ったというのもあり、ぜったいに見たいな、って。
感触としては”Amarcord” (1973)に近い、あれが自分の幼少時の記憶の断面スライスの上下数メートルを漂ういろんな人々の絵姿を愛をこめて煮出して映しだしたものだとすると、これは古代からずっと続いている都市が垂直だか水平だかの方向に抱えこんできた幽霊とか亡霊も含めたいろんな顔や姿の人たちがその表面(70年代初)をゆらゆら漂っていくさまを描いたやつで、枠組みとしてはわかりやすい。 けど、次々に新旧いろんな人々が現れては去っていくので、なんだったのあれ.. とか、それがどうした.. なかんじは”Amarcord”よりは強く漂うかも。
エピソードはいっぱい、若いFellini (Peter Gonzales)がローマに着いて下宿屋でいろんな人たちに会ったりとか、夏の夜の大通りのみんなで食事とか、ローマに向かう幹線道路の渋滞大雨での移動撮影とか、地下鉄のトンネルを掘っていたら遺跡が出てきた(けど空気に触れたら消えちゃった)とか、芝居小屋のしょうもない見世物(つまんないからって猫の死骸を投げるのはやめよう)とか、ぜったいそんなの着ないだろあんた、な法衣のファッションショーとか、さいごはバイクでぶんぶんぐるぐる街中を回っているだけとか、自身が全力で突っこみ入れつつもローマならあってもおかしくないな、ていう確信に貫かれたやつらで、見ていると、うん、あそこならあってもしょうがないわ、って思わされてしまう。そしてそれらはAvengersとかTerminatorみたいにタイムスリップして湯気たてながら現れたような得体のしれない連中(この映画のなかにも出てくる)が引き起こしているかもしれないので誰にも防ぎようがないし、そんなの防いでどうする/どうなる、だし。
Romaは昨年末に3~4日くらいしかいなかった程度だが、街の中に遺跡がそのままにょきにょき生えていて、そんなのへっちゃらで新旧互いに異物感を放電している様がとっても新鮮だった。ロンドンの街中にもそりゃ遺跡はいっぱいあるけど、あんなに強く、ここにいるからさ、って堂々と居座っているかんじはない気がする。闇に潜む幽霊というより街に裸で繰りだす妖怪とか化け物のかんじで根を張っている。だから夜の川辺とか橋のたもととか扉の影とか素敵でさあ、夜ずっと歩いているとなにかが出てくる/出てきそうなのがとってもわかるし。
おそらくこれと同じような街は世界中に数千とあるのかもしれないが、Romaが他とちがうのは大昔からセレブっていう特殊なタイプの妖怪が巣食っている、というあたり。シーザーもいたし法王もいるし、この映画でもGore Vidalが喋ったりAnna Magnaniが出てきたり。(後で知ったのだがElliott Murphyなんかもいたの?)
40数年前に撮られた風景と、いまのそれがリンクするって絶対かっこいいと思うんだけど。 NYでもLondonでもそれはできるし、昔の映画見ると感じるし。 ほんとうはさー、Tokyoでもこういうのを作れる隙間みたいのがあったと思うんだけど、いまや跡形もないよね。ださい土建屋がぜーんぶ潰しちゃって、ほんと恥ずかしいしバカみたい。
あと、見ていてものすごくパスタが食べたくなって、帰ったらぜったいこういうの作る、って思い描いて帰ったら家のパスタが切れていたときのしょうげきときたら..
2.20.2020
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。