22日、土曜日の午後、BFIで見ました。
植物系怪奇ホラー? - Floral Frankensteinとか呼ばれている新作”Little Joe”の公開を記念してオーストリアの監督Jessica Hausnerの小特集が組まれていて、知らない人だったので見てみることにした。
監督の長編デビュー作で、2001年のカンヌの「ある視点」部門に出品されている。
オーストリアの郊外に暮らすティーンのRita (Barbara Osika)がいて、射撃をやったりしているパパは少し厳しいけどやや疲れたママも含めてごく普通の高校生がいる家庭があり、学校ではちょっと浮いててひとりでぼんやりして後ろ指さされたり、バスの運転手に惚れてぼーっとなったり、近所の病弱な男の子とあぶないことしたりしていて、どれも積極的に、というより退屈しのぎのつまんねーな、のかんじでやっちゃうので、それでいちいち怒られてもちっとも堪えないでへっちゃらなの。
そのうちバスの運転手とはクラブで踊って遊んでから突然相手にされなくなり、男の子は病状が悪化して入院した彼を強引に連れだして電車で逃避行しようとしたところを捕まり、いろんなことが思うようにならずに潰れていって、親からは相変わらずトイレの蓋を閉めないのを怒られたりして、それで..
上映後に監督のQ&Aがあって、これは90年代初にオーストリアで実際に起こったティーンの女の子による事件について考えたことがきっかけで始まった映画で、その時に裁判の資料とかも取り寄せて調べたりしたのだが、彼女の動機が記録のどこをどう見ても読んでもわからなかった、そしてそのわからないありようをそのまま映画にしてみようと思ったのだ、と。
“Lovely Rita”っていうのはバス運転手が寄ってきた彼女に対して言った台詞で、それを言われても嬉しそうでもなくて、表情をほとんど変えなくて、わかってほしいともわかってほしくないいとも言わない。わかってもらえるなんて思っていないし、わかってもらえるとなんかいいことあるのか? って。 Ritaとかヒトに対する問いかけというより、そうやってなんも返ってこない空洞みたいな空気感を中心にするとドラマはどんなふうに成り立つのか成り立たないのか。
客席からの質問には彼女の挙動とか家庭のありようについて、オーストリアの国民性に起因するもの?なんて質問もあったりしたのだが、自分がふと思ったのはGus Van Santの ”Elephant”(2003) なんかで、あそこにもあった退屈さとその背後で本人にも思いがけないような形で膨れあがる悪意とか殺意、のようなやつのベースって共通していないかしら、って。90年代の後半とかって、ほんとうにプレーンで平穏な日々が続いて、そこに911が来て、突然人々は憎悪、みたいなことを口にしたり表に出し始めたりした、そんな気が。
監督は今でもあの裁判の記録を読み返して、彼女はどうしているかな、って考えることがある、って。 それは闇というよりそこらに浮かんだ空っぽさで、だから見えにくくて、でもあるよねえ、って。
2.28.2020
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