9日、日曜日の昼間にPicturehouse Centralで見ました。
ちょうどこの日の晩がオスカーの授賞式で、ノミネート作品群に対する失望感(女性による作品が少なすぎ)の反動というかなにかでたぶんこれが受賞するんだろうな、という確信のようなのがあった - あとアメリカでの尋常とは思えないウケのよさ(あの現象はなんなのか)とかも。 結果はほらねー、だったし。 英国ではこの週末に公開されたばかりでやはり大騒ぎになっていて、でもこの週末の日曜日、ロンドンにはStorm Ciaraっていう大嵐が来てて、気圧がめちゃくちゃで頭がどよーんて半分くらいしんでて、でもがんばって見たの。
道路から半分地下のとこに暮らして生活に困っている一家がおりまして、ある日そこの坊の金持ち友達から自分が海外に行く間英語の家庭教師をやってくれないかと請われたので証明書一式偽造してその家に行ってみるってえとそれはそれは大層なお屋敷で、こいつあすげえやって妹をそこのうるせえガキのアート教師にでっちあげたらこいつもうまくハマって、それならばと車の運転手をお払いして父親を据え、ではこいつもついでにって常駐メイドにも下がっていただいて母親を呼びこみ、一家全員なかよく金持ち一家にぺったりなりすまし寄生することに成功して、いやぁ極楽極楽ってやっているとお屋敷の底からうちのが先なんですけどってぬうっと浮かんできたもんだからさあ大変っ!
こんなふうに貧乏長屋の落語にしたらぜったい面白いお話(最後のほうは除く)で、こんな落語に変態B級ネタを絡めたような作品がオスカーのど真んなかをかっさらうんだからすごい世の中になったもんだねえ、って。
そういえばもういっこの候補だった“Joker” (2019)もそうだし、賞レースとは関係ないけど”Sorry We Missed You“ (2019)とか、(これも米国ですごくウケた)”Burning” (2018)もそうだった。 アウトサイダーの物語ではない、インにもアウトにもいない、”Sorry We Missed.. ”って言ってしまうくらい見えなくなってしまった(ていう言い方自体が既にあれよね)人々を表面に、映像として引っぱりだしてくる、そういうトレンド。それをされても痛くも痒くもない金持ち階級が慈しみの目をもって上空から眺める、そういう構図。 (この点、この映画で不可視な「匂い」がトリガーになっていたり、Wifiの電波とかモールス信号の届く届かないがポイントになっていたりっておもしろいの)
これらの格差社会映画って最後には主人公が銃とかナイフを手にして.. なのだが、その行動はその格差のありようを根底から揺るがすようなところに決して届くことはなくて、見ている我々も「あ、やっちゃった…」で終わってしまう(”Sorry We Missed You“はちょっと違うけど)。ディストピアにおけるエンターテインメントってこういうもんよね、ってしみじみ。
そしてにっぽんには、どんなに貧しくても見えなくされてもいい、なんか身内でほんわかしていればいいかも、っていう別次元 - グローバルには理解されないかも - の地獄が。
映画はふつうにおもしろかったけど、ほんとうは最後、寄生された側のDa-hye (Jung Ji-so)がKi-woo (Choi Woo-shik)をぼこぼこにしてやるべきだったのではないか。“Stoker” (2013)のMia Wasikowskaみたいに。
2.11.2020
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